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「日本カメラ」

 衝撃のニュースでした。今日、Facebookで知る以前に小耳には挟んでいたものの、やはり当事者の投稿は重みが違う。

 日本カメラ社清算による媒体「日本カメラ」の休刊。私と弟が会社勤めを辞め、写真家の道に足を踏み入れてから約20年と少しの月日が流れますが、その間、多大なお世話になり、私たちの写真家人生を支えてくれた日本カメラ社が清算するというのは、いかんともし難く、なんの助けにもなれなかった身としては、悲しさと悔しさが同居する思いです。

 私たち兄弟は、どちらかと言えば日本カメラ本誌よりも、MOOK編集部にお世話になりました。私たち最初の共著は2005年に作っていただいた「四季の風景を写す」。フィルムとデジタルデータの双方を使い、フィルムとデジタルが置き換わる過渡期を象徴したかのような本になりました。今ページをめくると、目次の見開きページには、「俊哉の丘」の写真が掲載され、次の本文最初のページには、弟がカメラを構えるカットが挿入されています。なんとも思い出深い一冊となりました。

 その後は「四季の風景撮影」シリーズを毎年のように刊行していただき、計8冊に。いろいろな機会や場所で「四季の風景撮影」シリーズで写真のことを学んだ、今もバイブルのようにしているという声をいただきますが、私たちの風景写真家としての礎を築いていただいた本と言っても過言ではありません。

 皆さんは「カメラ年鑑」という分厚い本を知っていますが、覚えていますか。厚さは2センチほどもあるでしょうか。その一年で発売されたすべての製品レビューやデータを中心にして、現行製品を網羅した写真・カメラ業界のバイブル的な本。その本のデジタルに関する執筆を私たち兄弟に任せてくださり、私たちにとっても一年の集大成のような仕事を経験しました。

 また年に3~4冊程度、新型カメラの使い方マニュアルもお手伝いしました。ギャラリーページやジャンル別のハウツー記事などは、新しいカメラにしっかりと触れるチャンスでもあり、仕事の依頼を受けることが楽しみでならない、そんな経験もしました。機種別のマニュアル本は、ざっと数えても30冊ほどが棚に並んでいます。

 でも、こうして形になる仕事を沢山させていただきました。そして多くの方にお読みいただき、少しばかりの影響や示唆を送ることができました。それらは私の尊い知識や経験となり、今後の仕事の糧となっていくわけです。

 今は日本カメラ社皆さまのご多幸を祈り、心からのお礼を申し上げるのみです。

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