フロイドと付き合う前まで記憶後退してしまう大人既婚子持ちリドル

「きんぎょ……ちゃ……きんぎょ……ちゃん。おきて……きんぎょちゃん」
 自分を金魚などという失礼なあだ名で呼ぶのは、憎らしいぐらい自由で自分勝手なあの男ぐらいしかいない。それなのに聞こえて来ている声は、小さな子供のものだ。お腹の当たりに重みを感じがら目を覚ますと、自分を覗き込んでいる小さな子供と目が合う。
 青い髪をした垂れ目の少年。年齢は四歳……いや、三歳ぐらいだろう。デニム生地のサロペットにTシャツを着た少年は、髪色だけでなく顔立ちもリドルがよく知っている人物に似ている。
 しかし、彼とは瞳の色が違っていた。彼は左右の色が違う金色の瞳をしているのだが、少年はフォグブルーの瞳をしている。見たことがある色だが思い出せない。
 眉根を寄せていると、リドルの上に乗って目を丸くして顔を覗き込んでいた少年が首を傾げる。
「きんぎょちゃん……?」
「キミは誰だい?」
 意味が分からぬことを言われたかのような反応をした少年が、リドルの上から逃げるようにして退く。そして、ばたばたという大きな足音を立てて部屋から出て行くと、顔を顰めてしまうほど大きな声が聞こえて来る。
「パパー! きんぎょちゃんが変ー!」
 見知らぬ人物に対して変だなどという不躾なことを言うなど、親は一体どんな躾をしているのだ。首をはねてやる。少年の発言に憤慨しながら体を起こしたリドルは、自分が見知らぬ部屋にあるベッドで眠っていた事を知る。
 センスの良い家具で纏められた広い部屋の中には、子供の玩具が落ちている。先程の子供の物なのだろう。幾つもそんな玩具があるという事は、自分がいるのはあの子供の家だという事だ。
 どうやってここまで移動したんだろうか。寝てる間に一体何があったんだ。部屋の中を見ながらリドルが混乱したのは、寮長をしているハーツラビュルの自室で寝ていた筈だからだ。
 誰かがここまで自分を運んで来たのだろうか。いや、それはないだろう。ハーツラビュルは夜になると勝手に出入りができないように魔法が掛かる。それを破ってハーツラビュルに入ったうえに、リドルを部屋から眠ったまま連れ出すなんて絶対に不可能なことだ。
 だったら、何故自分はこんな所で寝ていたのだろうか。分からない。しかも、初めて来た部屋である筈だというのに、この部屋は妙に落ち着くことができた。
(……ん?)
 二つ並んでいる枕の横にキャンディのパッケージのような物が落ちている事にリドルは気付いた。
 普通ならばベッドに落ちている筈がないそれを無視するなんて出来ない。派手な色のパッケージを拾い上げると、リドルは顔を真っ赤にして悲鳴を上げる。
「うわっあああっ!」
 ベッドに落ちていたのはキャンディのパッケージなどではなく、使用済みの避妊具のパッケージであった。授業でしか見た事のないそれを手に持ったまま硬直していると、足音が聞こえて来ると共によく知っている声が聞こえて来る。
「金魚ちゃんどうしたの? 何かあったの」
「フロイド!」
 姿を確認する前にフロイドの名前を呼んだのは、聞こえて来た声が確かに彼のものであったからだ。甘い声とNRCの生徒から言われているその声は、特徴のあるものだ。他にそんな声をしている人間がいる筈がない。それに、金魚ちゃんという彼が勝手に付けたあだ名で呼んだことからもフロイドなのだと思っていた。しかし、声を掛けて来たのはフロイドでは無かった。
「キミは誰だい……?」
「へ? 金魚ちゃんどーしたの」
 間抜けな顔でそう言った男は、フロイドとよく似た風貌をしている。髪の色も目の色も同じだが、フロイドではないと言い切る事ができる。それは、フロイドよりもずっと歳上であったからだ。二十代後半。三十歳手前ぐらいかもしれない。
 それに、フロイドとは髪型が違う。フロイドよりも長い髪を、彼は後ろに撫でつけるような髪型にしている。先程まで料理でもしていたのか、そんな彼はデニムパンツとベージュのニットの上から黒いエプロンをしていた。
「フロイドだけど。自分の旦那様の顔も忘れちゃったの?」
「旦那様……?」
「昨日もこのベッドでいっぱい愛し合ったじゃん」
 眉根を寄せていたリドルは、フロイドと同じ名前を名乗った男からそう言われることによって先程ベッドで拾った存在を思い出す。
「これ……」
 手に持っている避妊具のパッケージに視線を落としていると、隣へとやって来たフロイドが腰に腕を回して来る。
「昨日使ったヤツがまだ残ってたんだ。いっぱい使ったもんね」
 腰が疼いてしまうような甘い声でそう言ったフロイドに頬にキスをされ、反射的にリドルは彼の頬を打っていた。
「痛った」
「違う! ボクが見知らぬ相手とそんなことする訳ないじゃないか!」
「金魚ちゃんでもいきなりそんなことしたら怒るよ」
 自分は全く間違ったことはしていない筈だというのに、フロイドは自分の行動を反省しないどころかリドルのした事に対して怒っていた。怒るよと言っているが、既に彼は怒っているようにしか見えない。
「キミがいきなり変な真似をするからじゃないか!」
「変な真似って。金魚ちゃんいつもは喜ぶじゃん。さっきから変だよ? オレのこと見知らぬ相手とか言ったり。稚魚ちゃんも金魚ちゃんが変だって言ってたし」
「稚魚ちゃん……?」
 先程の子供のことだろうか。目の前にいる彼とよく似た容姿をしていたし、年齢的に考えても彼の子供である可能性は高い。自分の知っているフロイドと同じネーミングセンスを、彼はしているのかもしれない。
「金魚ちゃん本当にどうしたの……? オレたちの稚魚のこと忘れたとか言わないよね」
「オレたちの稚魚……?」
 彼が言っていることを全く理解できない。いいや、理解することを頭が拒んでいた。
「金魚ちゃんが産んでくれたんじゃん。オレの稚魚が欲しいって言ってくれて」
「ボクがそんなこと言う筈がないじゃないか!」
 フロイドが話した内容は、話を聞き終えると同時にそう叫んでしまうようなものであった。リドルの反応に目を丸くしていたフロイドであったが、直ぐに真面目な顔へとなる。
「金魚ちゃんもしかして記憶喪失になってる? いや、記憶後退ってやつか。金魚ちゃん今いくつー?」
 記憶が後退などしている筈がない。悪い夢を見ているのだ。そうでなければ、フロイドに似た男から自分の子供を産んだなどということは言われない。そう思いながらもリドルはフロイドの質問に答える。
「……十七歳だよ」
「やっぱり記憶後退してんじゃん。昨日頭打ったりしたの?」
「頭なんて打ってないし、ボクは記憶後退なんてしてないよ!」
「うんうん。十七歳っていったら付き合い始めた頃じゃん。その様子だと、オレと付き合う前まで記憶が後退しちゃってるのか。それなのにいきなりあんなこと言われたら吃驚しちゃうよね。ごめんねぇ」
 リドルの話を聞き流すだけでなく、フロイドは一方的にそう言った。その態度は、小さな子供を相手にしているようなものだ。フロイドとよく似た顔でそんな態度を取られると腹が立ってしまう。
 リドルが目を釣り上げていることに気付いていないかのような態度でフロイドが話を続ける。
「金魚ちゃんは今は二十七歳で、お医者様になってオレと結婚して子供が産まれてるの。さっきも言ったように金魚ちゃんが産んでくれたの。NRCの二年の時に、オレと付き合うようになったんだよ」
「キミと結婚……ボクが……?」
 付き合うようになったというのも衝撃的な発言であったが、結婚したという発言の方がずっと衝撃的なものであった。そして、それはすんなり信じられないような内容だ。
 フロイドなどと自分が付き合ってあまつさえ結婚する筈がない。フロイドのことを世界で一番理解できない存在だと思っているのに。絶対にあり得ない!
「まだ信じられないみたいだから」
 リドルの反応からそのことを察したフロイドはベッドを離れると、部屋の端に行き何かを持って戻ってくる。それを渡されることによって、フロイドが取りに行っていたのが鏡だという事が分かる。
 フロイドの話が本当なのならば、鏡には二十七歳になった自分が映るという事だ。そんな筈はない。そう思いながらもリドルは顔を硬らせて鏡を見る。
 鏡の中に映る自分の姿を見てリドルが渋い顔になったのは、二十七歳という年齢には見えないが今よりもずっと自分の顔が大人びたものになっていたからだ。
 本当に自分は今二十七歳になっているのかもしれない。それは、フロイドの話が本当だという事だ。そして、目の前にいるこの男は十年後のフロイドだという事になる。
 まだ信じられないという気持ちになったまま鏡を見ていたリドルは、先程の子供の瞳の色をどこで見たことがあったのか気付く。リドルの瞳と同じ色をあの子供はしていた。
(フロイドとボクの子供……)

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