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ジャパンクラシックパワーリフティング選手権2019年茨城大会(JCP2019)男子一般93㎏級出場レポート

はじめに

 2019年2月9日から11日の三日間、茨城県つくば市で開催された第23回ジャパンクラシックパワーリフティング選手権大会(ノーギアパワーリフティングの全国最高峰を決める大会。以下JCP2019)に出場したレポートを備忘録がてら残しておきます。男子一般93㎏級の戦いの様子を一選手の視点からしか描けていないので事実と異なる場合がありますが、お許しください。93㎏級ですので風張選手ことハリー選手が後日Youtubeにアップロードする動画と合わせてみていただくと、もう少しわかりやすくなるかと思います。
・大会に向けた練習
・エントリー
・検量
・SQUAT
・BENCHPRESS
・DEADLIFT

と以下に続きます。

大会に向けた練習

 JCP2019への練習は11月に始めました。昨年のジャパンクラシック後に膝を痛め、5〜10月は8月にスクベンチを数回した以外全く練習をしていません。この間はパワーリフティングから離れてロードバイクでのヒルクライム練習やアワイチ(150km)、自走ビワイチ(2日で510km)などのロングライドに熱を上げていました。運動しなければすぐに太る体質なので、ロードバイクに乗っていたおかげで8月には81㎏、練習再開直前の10月でも85㎏と体重を抑えられていました。

 10月末に職場の先輩にウェイトリフティング練習会に久しぶりに誘われて行ったのがきっかけで、11月からパワー(というかほとんどスクワット)の練習に復帰しました。再開してすぐは140㎏×10でヘロヘロになるほど弱っていましたが、練習再開時点でJCPと日本記録は意識していたので、11月からの3ヶ月は
11月 フォームを安定させる
12月 ひたすらボリュームを稼ぐ
1月 大会に向けて疲労を抜きフォームを洗練する
という計画を立てました。まずウェイトリフティングシューズからベタ靴への変更に伴うフォームの変化に慣れ、ひたすら筋量を取り戻し、直前1か月で調子を合わせに行く、というような突貫工事です。

 マッスルメモリーのおかげで体重増加とともにスクワットの重量もめきめきと戻り、12月に入った時点で体重は89㎏ほど、スクワットはレップベストが出るようになり、年末には280kgが立てるように。痛めた膝はリフティングシューズからベタ靴に変えたおかげか全く痛まず、ハイボリュームの疲労で各部位が慢性的に痛むものの、練習の調子は頗る良かったです。

 1月は仕事の都合で中旬の練習が満足にできませんでしたが、レップ換算で300kgを超えるセットを行えるなど、調子を維持したまま疲労が抜けていきました。1月はフォームを崩すのが嫌だったので、第1試技予定の270kgまでしか触らないことにし、大方の練習もスピードが落ちる前に止めるよう心がけていました。

 「大会に向けた練習」と書いておきながらスクワットのことばかりになってしまいましたが、ベンチは11月の一か月は全く重量が戻らず、12月に10セット練習にしばしば取り組むようになってから伸び始め、年明けから帳尻合わせのように大幅に伸び、大会直前の練習では甘めに止めて160kgと昨年のJCP並みとまずまず(階級は上がっていますが)。

 デッドリフトは去年のJCPから今年のJCPまで10回も練習していないお粗末な状態。というのも、デッドリフトをする余力があれば代わりにスクワットをしていたからで、11月にパワーの練習を再開してから年内は全くデッドに取り組まず(ウェイトリフティングの練習会は通っていました)、大晦日から練習を始めました。1月に入っても28mmバーとバンパープレートの組み合わせで230kgを引ききれなかったり、220kgで粘ったり。2月頭にパワーハウス赤穂で行なったデッドの最終練習でも、十分疲労を抜いていたにもかかわらず245kgを失敗。もともとデッドリフトは苦手でしたが、思った以上に重量が戻らず、練習再開を遅らせたことを少しだけ後悔しました。

エントリー

 年末でJCP2019の申し込みが締め切られ、エントリーが出たのが1月8日。私の持ち記録は昨年の650.5㎏(83㎏級)で悪くはない数字と思っていました。しかし、昨年の一般93㎏級の結果では一般18人中9位の記録が655㎏であり、近年のパワー界のレベルアップ、関東開催による強豪選手のエントリー増加などの可能性を考えると、前半グループに組み込まれることも危惧していました。

 エントリーが公開されると、無事後半グループに入ることができており、エントリー順位は8位。
1位 古川選手 720㎏
2位 宇佐美選手 715㎏
3位 落合選手 705㎏
4位 古賀選手 700㎏
5位 風張選手ことハリー選手 690㎏
6位 中島選手 670㎏
7位 中瀬選手 657.5㎏
8位 私 650.5㎏

6位、7位の人はあまり名前を見ない選手だったので、この2人を躱して入賞できたらいいな、という第一印象でした。もちろんここから同グループ選手のリサーチに入り、そう簡単ではなさそうということが分かるのですが長くなるので割愛します。中瀬選手は大会当日欠場でした。

検量

 検量は91.7kgでパスしました。
 私の出番は大会3日目でしたが、応援等のため初日に会場入り。会場ではカーボアップということでかなり炭水化物を摂り、前日の夕飯も兵庫県リフターと3人で大戸屋に行き鶏200gくらいにご飯大盛と比較的しっかり目に食べ、当日朝も干芋100gとおにぎりとCCDを口にしたのにかなり体重が抑えられていて少し驚きました。

 93㎏級でしたので同グループの中でも軽い方と予想していましたが、意外に真ん中くらい。ただ、ハリー選手と落合選手よりも軽かったため、4位5位争いなんかでこの2人ともつれたら有利だな、と思っていました。

 検量時に提出する第1試技の重量申請は270-150-235。検量前に朝食も済ませていたので、検量後のリカバリーは炒飯おにぎり1個(激辛で後悔)だけにしておき、あとは試技終了までCCDを飲み続けました。

SQUAT

 改めて断わっておくまでもないかもしれませんが、今回のJCPにおいて私が一番大事にしていたのがスクワット。JCP2018で取った83kg級のスクワット日本記録が息つく間もなく更新されてしまっていたので、日本記録を再び手にすることが今回のJCPの主目的でした。昨年は日本記録を獲れたものの、第3試技で被せに来た選手が全員失敗して転がり込んできた記録。今度日本記録をとるからには確実に獲れる状況を作って獲りたい。絶対に日本記録を獲る。強い気持ちを胸に大会に臨みました。

 セッション開始前にgoodliftが会場のスクリーンに映し出されると、古川選手の第1試技の申請重量が私と同重量の270kgということが判明。私の方がロットナンバーが若いため同重量でも先に試技を行わなければならず、このままだと私が第1試技を成功し第2試技で285.5kg(日本記録)を申請しても、古川選手に同重量で被せられる不利な展開。私が失敗したら古川選手は285.5㎏に挑戦し、私が成功しても286㎏に挑戦という形になる。正直、0.5㎏なんて誤差みたいなものなので、被せる側がかなり有利となります。

 この状況は事前に想定していたため、272.5kgに変更申請する心積もりはありましたが、中3日前の最終練習の270kgの上がりが渋く、申請重量を見てすぐに2.5㎏増やすのは少し不安でした。そのため、アップ完了後~変更申請のリミットまでの間に変更申請の決断をすることに。アップの220-240-255で調子がいいことを確信したので、272.5kgに変更し、第1試技に臨みました。

 272.5kgは少し感触が悪いながらも成功し、第2試技の285.5kgは最高の挙がり。改めて大会当日に調子の波がきてくれたことを実感しました。古川選手が第3試技で286㎏と被せてこなければ300kgを申請するつもりでしたが、被せられたので慎重に290kgを選択しました。結局、第3試技は古川選手、僕ともに失敗し、結果的にまた、辛うじて日本記録を獲ることができた、という形になりました。

 290kgは降ろし~ボトムで体幹がぶれ、立ち上がりの瞬間に右前方にバーが流れる悪い癖が出て為すすべもなく潰れました。第3試技終了後は確実に取りに行ったつもりの290㎏で失敗して意気消沈しており、皆さんの「日本記録おめでとう」にうまくリアクションできませんでした。お祝いを言ってくださった各位本当にすみませんでした。遅くなりましたがありがとうございます。

BENCHPRESS

 私の場合、ベンチは大体大会でも練習通りの結果になるので、確実に第1試技を取りに行く145kgスタートで160kgを狙いにいくか、展開次第で重量を積める150kgでいくかで直前まで迷っていました。スクワットで肩の荷が下りホッと一息ついていたところではありましたが、ハリー選手のスクワットが予想より低くサブトータル1位を目指せる状況だったため、1位争いで第3試技に162.5㎏が申請できるようにするため150kgのままでいくことに決めました。

 ハリー選手のベンチの重量申請が控え目だったことも幸いし、150-157.5-162.5を3試技成功で、ハリー選手と3kg差の448kgでサブトータル1位に立ちました。

DEADLIFT

 デッドリフトの弱さについては大会当日はもはや開き直ったつもりでしたが、最終アップの220kgも少し粘り、「これは本格的にマズイな」と焦っていました。アップで問題なければ第1試技の重量を240㎏へ変更し、順位争いを有利に進めようと画策していましたが、もちろん重量は据え置き。藁をもすがる思いで、初日に同じ兵庫勢のjr66㎏級三永選手のヘルプに少しだけ入った際「これをやると腕が伸びる」と言いながらやっていた前腕へのフロッシングを見よう見まねで行ったりしていました。

 ここでサブトータル時点での順位をまとめると、
1位 私 448㎏ 
2位 ハリー選手 445㎏(-3㎏)
3位 宇佐美選手 435㎏(-13㎏)
4位 古川選手 422.5㎏(-25.5㎏)
5位 落合選手 420㎏(-28㎏)
6位 古賀選手 405㎏(-43㎏)
7位 中島選手 400㎏(-48㎏)

 2位のハリー選手は近年デッドリフトが不調だったものの、彼のYoutubeチャンネルを見ると試技としては失敗ながら270㎏を引き切れていたり、ピーキングでも260㎏を扱っていたりと復調の兆しが見えている模様。彼からすればデッドリフトで私に5㎏差をつけられれば抜くことができますが、私から見てもデッドリフトで彼についていき第3試技まで確実にとれば、十分に勝ちのチャンスがあります。

 3位の宇佐美選手は昨年同大会で290㎏を、4位の古川選手は今年度290㎏を複数大会で引ききっており、おそらく今大会も300㎏を狙ってくるはず。私が270㎏以上を引ける可能性は全くなかったので、この時点でこの二人に勝てるチャンスは2人に大きな失敗が訪れない限りなくなりました。

 5位の落合選手はデッドリフトのこの1年のベストが285㎏。260kg以上を引けばチャンスが転がり込んでくるとは思いましたが、アップの感覚からすると260㎏にはチャレンジできそうになく、敗色濃厚。

 6位の古賀選手はデッドリフトで45㎏差をつけられない限り抜かされないのですが、この1年のベストは290㎏で、甘い条件ながらも練習ではノーベルト300㎏を引いており油断ができない。サブトータル6位の古賀選手と7位の中島選手は下調べの段階でかなりピーキーなデッドリフトをするとわかっていたので、アップの調子が良くない状態ではサブトータル1位を取っていても入賞を確信できない厳しい状況でした。しかしながらサブトータル1位のおかげで、第1試技全員成功時点でトータル4位となる決して悪くはない位置でデッドリフトの試技が始まりました。

 デッドリフト第1試技は235㎏ということもあって前から3番目。いつもはこのくらいの重量からファーストプルが重く、浮いてくるまでに時間がかかるのですが、なぜかすんなりと引けました。これで失格→SQ日本記録認定ならずという最悪の状況は避けられたので、第2試技はトータル700over狙いで練習を含めても自己ベストの252.5kgにジャンプ。第2試技も問題なく引き切り暫定2位を確保しました。

 デッドリフト第2試技終了時点までの順位は、
1位 宇佐美選手 715㎏
2位 私 700.5㎏(-14.5㎏)
3位 ハリー選手 700㎏(-15㎏)
4位 古川選手 692.5㎏(-22.5㎏)
5位 中島選手 670㎏(-45㎏)
6位(体重差)落合選手 670㎏(-45㎏)
7位 古賀選手 645㎏(-70㎏)

 デッドリフト第2試技終了時点までで上位陣に乱調が目立ち、落合選手が第1で250kgを取りこぼし、第2で古賀選手が280kg、古川選手が290kgを失敗する波乱の展開になっており、デッドリフトが弱い僕でも良い位置をなんとかキープできていました。私とハリー選手は第2試技の時点で試技のスピードが落ちており、古川選手も表彰台入りのためには失敗した第2試技から重量を増やすことができなかったため、この時点で宇佐美選手との差を詰められる第3試技を行える選手はおらず、宇佐美選手の優勝がほとんど確定。第3試技では残る表彰台を誰が奪うか、という勝負になりました。

 第3試技の重量はデッドリフト上位陣の結果如何で引き上げることも考えていたので、ひとまず確実に引けると感じた5㎏アップの257.5kgを申請していました。第2試技までで上のような状況になり、ハリー選手、落合選手、古川選手が第3試技で失敗すれば2位が転がり込んでくる千載一遇のチャンスが巡ってきていたため、確実に重量を積み上げ暫定2位を取りに行くことに決め、第2試技の終了時点でも第3試技の重量は257.5㎏に据え置きました。ハリー選手は260㎏を申請しており、私が成功した場合は262.5㎏に変更して被せる態勢。落合選手は私に重量を被せてこず、ハリー選手の第3試技失敗を見込んでの30㎏アップで暫定3位狙い(トータル同重量700㎏で体重差)の280㎏という重量選択。2位争いは私とハリー選手と古川選手の3人になりました。古川選手は第2で290kgを失敗しているので、290kgを引いてトータル712.5kgで2位か、692.5kgで5位かというところ(なぜか私は決着がつくまで古川選手が第2試技で285㎏を失敗していたと勘違いしており、どうして285㎏で勝負してこないのか、と不思議に思っていました)。私とハリー選手が暫定2位を巡って一騎打ちし、あとは落合選手の試技と古川選手の最終試技を見守るのみの展開。

 ここで駆け引きが始まりました。先手を打ったのはハリー選手で、第3試技の重量を257.5kgに変更し、ピッタリ私に合わせてきました。ハリー選手より私のほうがロットナンバーが若く、同重量でも私が先に試技を行わなければならない。私が失敗すれば、ハリー選手は第2試技から2.5㎏アップの257.5㎏を確実に成功させれば0.5㎏差を挽回できるし、私が成功しても"bar's loaded"がかかるまでに変更回数の上限である2回目の変更を行い262.5㎏に変更申請すればチャンスが残る。 

 私の試技終了後に、失敗していれば257.5㎏に下げ、成功していれば262.5㎏で試技を行うという選択肢もあったはずですが、私の試技を待たずに変更を行ったということは確実に揺さぶりをかけてきていました。
私の選択肢としては
①重量を255㎏に下げる
②重量変更しない
③重量を260㎏に上げる
の3つがありました。

 ①は少しでも確実に重量を積み、ハリー選手の第3試技重量を増やして失敗の可能性を上げるものですが、私が255㎏を成功したとしてもハリー選手はピーキングで扱っている260㎏を挙げれば勝利できる状態であり、ハリー選手にかなりの心理的余裕を与えてしまいます。

 ③はハリー選手より重い重量を申請して後ろに回り、ハリー選手へ重量変更のボールを打ち返すものです。しかしハリー選手からすれば、さらに後ろに回る260㎏を再申請し私が成功すれば265㎏、失敗したとしても260㎏を挙げなければならないという状況にするよりは、そのまま2.5㎏アップの257.5㎏を成功させ、私の260㎏の失敗を待ってくるのでは、と感じました。ベンチプレスの重量選択もかなり慎重だったため、この可能性はかなり高いと考えました。そのため③を選択するのであればハリー選手の後に260㎏を挙げられる確信がなければリスキーであると判断し、私自身アップでチャレンジできそうにないと感じた260㎏を申請するのはハードルが高く感じてしまっていたため、③も選択せず、結局重量変更をしない②を選択し、着実に試技を成功させ重量を積み重ねることのみに集中しました。

 超先攻逃切り型の自分がまさかデッドリフトでこんな駆け引きがあるとは思っておらず、他の選手の試技の行方や申請重量を見てハラハラしていましたが、第3試技に入ると普段の試技通り音も聞こえないくらい集中することができました。無事第3試技も白3本で成功。私が退場するとハリー選手陣営がすかさず変更申請を行い、慌ただしくなるプラットフォーム。少し間が空いて"bar's loaded"がかかり、暫定2位をかけた262.5㎏への挑戦。少し浮いたか、浮き始めるところで失敗。引き続き私が暫定2位を保持しました。

 その後、落合選手も重量を変更しないまま280㎏に挑んだため、この時点で私の表彰台が確定。落合選手が280㎏を引き切り、トータル700㎏でハリー選手と同重量で並び、体重差で暫定3位へ浮上。宇佐美選手285㎏、中島選手285㎏、古賀選手287.5㎏はそれぞれ失敗し、最終試技者古川選手、290㎏の挑戦。成功。素晴らしいデッドリフトでした。

 これで古川選手が712.5㎏で2位となり、
1位 宇佐美選手 715㎏
2位 古川選手 712.5㎏
3位 私 705.5㎏
4位 落合選手 700㎏
5位(体重差)ハリー選手 700㎏
6位 中島選手 670㎏
7位 古賀選手 645㎏

という結果になりました。

おわりに

 私個人の成績としては93㎏級のスクワット一般日本新、トータル第3位という、強豪リフターが並み居る93㎏級で想定外の結果を得ることができました。93㎏級のトップ選手は、パワーの練習を始めた2016年からハリー選手のYoutube動画で繰り返し見ており、憧れのような存在で、その中で自分が勝負でき、表彰台に上がれたことが信じられません。93kg級の皆さん、前日急遽セコンドを快諾してくれた同じ兵庫勢の74㎏級藤井優弥選手、声援をいただいた皆さん、会場でお話しいただいた皆さん、本当にありがとうございました。

パワーリフティングの楽しみは様々な側面があると思いますが、デッドリフトでの順位争いはまさにパワーリフティングの醍醐味で、やみつきになりそうです。これからはスクワットはほどほどに、デッドリフトの練習に邁進してまいります(参考:パワーリフターあるあるその4「大会後何かをやりこむ宣言するものの2週間後には忘れている」)。


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