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ディレッタンティズム・サイコウ

ディレッタントを追い求めて30年


こんばんは。

ディレッタントと呼ばれる人たち、あるいはディレッタンティズムという言葉をご存じでしょうか。日本語で言うと「好事家」「愛好家」といいます。

元々はルネサンス期に文学や芸術、知識を愛好した貴族や富裕層の好事家たちのことを指す言葉でもありました。

現代においてもディレッタントには芸術や文学、学問を楽しむ愛好家というライトな意味ももちろん含まれているのですが、日本の文壇やアカデミズムでは長らくある種の侮蔑、退廃的なアマチュアイズムや物にならない文芸の活動家を揶揄するニュアンスが含まれています。

ディレッタントには、公の場での忍耐的な懐疑と議論に耐えられない敗北者であり、知性的権威からの逃避者、いわゆるアカデミズムに背を向け乍らも哲学や学問を玩弄することを辞められない堕落者というニュアンスが含まれることもしばしばです。

ぼくがディレッタントという言葉を知ったのは恐らく14歳くらいの時で、初めて聞いたときからそのかっこよさにくらくらしました。スポーツ選手にあこがれる中学生もいれば、退廃的な好事家にあこがれる中学生もいます、ぼくは完璧に後者でした。ぼくの中二病です。

ディレッタントという言葉にはあまり否定的な雰囲気を感じませんでした。むしろその余裕、広くジャンルや手法を問わず文芸を愛でる見識、そして「公」の価値基準体型に組み込まれない自由さを感じて、そこに憧れました。

14歳の時に、本気で「僕はディレッタントになろう!」と思ったのですがディレッタントは職業ですらありません(笑)なり方などないのです。呼称、言ったもん勝ちと言えばそれまでですが、まずはディレッタントと人に呼ばれなくてはなりません。自称ディレッタントはすぐ達成できる目標なので、どうにかこうにかして他人に「君はディレッタントである」と呼ばせなければいけないのです。でも他人に強制するのは「粋」ではありません、そんなやり方こそディレッタント的ではありません。

ですから、ぼくは「ディレッタントになりたい」という思いを厳粛に胸に秘め、自分からは名乗らず、いつか誰かに何かの折にディレッタントと呼ばれるようになるまで幅広く好事家道を歩むことに決めました。

それから30年程がたちまして(笑)だれも僕のひそかなディレッタントという「称号」に対する恋慕の思いを知らずに、またぼくをそう呼ぶ人も現れませんでした。そりゃそうです。

ですがようやくつい最近、人生で初めてディレッタントと呼ばれるに至りました。



しかもなんと呼んでくださったのは『古代戦士ハニワット』の作者、武富健治先生でした。ほんとうに嬉しかったです。さすが文芸漫画家の武富先生です。話題はガンプラのことでしたが、呼ばれたもん勝ちです(笑)呼ばせたわけではないし、さらに敬愛する武富先生の《お墨付き》だなんてなんて幸せなディレッタント道の走り始めなのでしょう!

またぼくの性質を「ディレッタント」と看破した武富先生のセンス、観察眼には恐れ入るばかりです。

ディレッタントと呼ばれたのはこのようについ最近ですがぼくの中では30年間熟成してきた生き方だったので、堂々と胸を張ってこれからはディレッタントを名乗ろうと思います。

ぼくはディレッタントです(笑)

なにものでもないものになった男

木下杢太郎という戦前、戦中の文学者がおりました。いや彼こそ「ディレッタント」と呼ばれるにふさわしく、医師であり、詩人であり、劇作家であり、研究者でもあった多才で奇異な人物です。

彼自身も自分のことを「不肖のヂレント」と呼んでいるようにディレッタントである自覚があったのでしょう。彼の文学上のスタンスは自然主義批判、自然派批判でした。自然主義は森羅万象を観察したときに生じる美化、ロマン主義的な見方を否定するところから始まります。

いうなれば現代の科学的なものの見方、写実的、実証主義的なものの見方ともいえるかもしれません。

ですが、とぼくは思うのです。文芸において真実を見ようとする自然主義派文学者たちが「真実」「ありのまま」と目測したのは、それが自分のことであれ、周辺の事物のことであれ、どこまでもそれもそういった観念的観察でしかありえなかったのではないかと。

ぼくも基本的には自然主義を肯定します。ですがそれは究極的にはどっちでもいい事のはずです。自然主義的にモノを見ようが、反自然主義的にモノを見ようが、それは到底「ありのまま」ではありえません。自然主義者はありのままにモノを見ることにいまだかつて一度も成功していません。どこまでも「ありのまま」というパッケージに入ったものの見方でしかありません。

「リアル」なゲームをやりこんだからといって現実になるわけではないのと似ています。リアルに描いた林檎は、リアルに描いた林檎の絵です。林檎の体験のイデアではありません。

そういう意味では〇〇主義的という見地であることがもう自然主義文学者たちの初めの目的からすると間違いをはらんでいるのです。自然主義的というそれも一つの観念、価値観に沿った認識、表現方法でしかないのであって、もっと敷衍していえばそれがどういうパッケージに入っているかによらず何かを認識、表現しなければならないという事がすでにより一層深い場所にある己の価値観的希求からこそ生じてしまっている現象、なのです。

その意味においてぼくは木下杢太郎の自然主義批判に賛同します。

木下杢太郎は同時代の自然主義作家たちに「放蕩文学」と謗られました。彼が好むのは益体のない活動、形式や伝統、技巧や装飾性……つまり自然主義文学者達が見切りをつけた「どうでもいいこと」なのです。

しかし「どうでもいい」以外のことはないのではないだろうか、と思う事があります。

凡そこの世で表現される古からの文芸活動のすべてにおいて、本質的にはどうでもいい以外のことなどありません。ピカソ、ゴッホ、ベートーベン、モーツァルト、三島由紀夫、運慶快慶、古代エジプトのファラオの装飾品から古の書聖の書に至るまで須らく「どうでもいい」ではありませんか。

だれしもそれを観るだけで光を発して視聴者に智慧を生じさせる……そんな作品はいまだかつて何一つありません。

方法や達成度は置いておいて何かが表現されてしまった時点ですべてもう「どうでもいい」箱に入らざるを得ないはずです。自然主義を貫き「芸術に生き、芸術に死ぬ」時点でどうでもいいことに準じているわけです。そもそも人は何にも準じて死ぬことはできません。単に生きて、シンでしまうだけです。

たいそうなことは何一つありません。「ありのままを見た・描いた」と謳われる全ての作品。それは自然主義派が嫌い、切り捨ててきた華美装飾それと本質的には全く変わる程度の事でありません。

しかも恐ろしく自分を誤認しています。ありのままにモノを見れた、描けたと思えている時点で恐ろしい間違いの道に足を踏み入れています。「ありのまま」を口にする人間で、誰一人それに実は気が付いていないとは言わせません。

表現、作品、文章、この文章ももちろんそうです。全てがどうでもいいほど偏り貧しい個人の見識から作られた「創作物」でしかありません。

何一つイデアの世界に触れることもかなわず、無常世界に翻弄される、それがすべての人間が行う事のすべての結末です。

勿論だからすべての文学作品や表現物は唾棄すべき!というのではありません。人間はそういうモノなのです。そういうことをするような存在、そういう次元の事をしちゃわないではいられない存在が人間なのです。

釈迦とかキリストとかシヴァとか宇宙人でもない限り、そういう程度のものが人間であり、ニンゲンの所業なのです。

そうおもうと。やあ、なんと愛しい事。

人間のありようの、所業の、作品のどれもがなんという愛おしさ、いじらしさ、切なさなのでしょう。

全ての伝統、形式、装飾のなんと美しい事。それらは、必ず破綻するが故の、永遠を勝ち取れず常住の世界においてイデアに昇華しえないが故の一瞬で究極の美なのです。

で、あるならば。腹の足しにもならぬ、益体のない活動のすべてが、いわばディレッタンティズムと呼ばれる活動のすべてがこれまたなんと愛らしい事でしょう。

自他ともにディレッタントと呼ばれた木下杢太郎は、結局何者にもなれなかった不遇な文学者、頽廃的な表現者として扱われることもしばしばです。

ですが僕はそこに木下杢太郎の深い深い葛藤を見るのです。葛藤・貫徹することから逃げ、敗北主義的だと謗られる趣味人・ディレッタントという世間のイメージとは程遠い「なにものにもならなかった」を常に選択し続け、すべてのものから等間隔に距離をとり、自分にとっての最前線に居続けた一個の精神の打ち震えるような厳しい戦いを作品に見るのです。

彼はよく言われるように「皮削ぎのマゾヒズム」を行えなかった臆病な文学者なのではなく、マゾヒズム的な実感に依存せず、真摯に作品を通じて等間隔に世界と向き合った一個の文学者に思えるのです。

そもそも木村は皮膚科医です。「皮剥ぎ」などするはずがない(笑)侵襲性のある行為がいつでも正しいとは限らない、特に人間はそんなことしなくても皆さん死に向かって壊れ続け、痛み続けながら生きているのですから。

退廃的なロマン主義的な物言いに聞こえますが、木村がよく描いたように全てのものは壊れていっています。

ぼくは木村杢太郎のような立派な医学者、医師にはなりませんでしたが、彼と同じ学問を専攻した先で人体や人間を観察して得た感想としてすべての人は必死の存在である、必ず死にゆく存在として生きているといえると思っています。

それは多分に耽美的、退廃主義的な響きを含みつつも、実は純然たる事実でしかありません。

ならば人生において己が「なにものかになった」というすべての実感や認識は誤りといっていいでしょう。何もかもが全てが壊れ行く人生のなかで仮にいきついた橋頭保にしか過ぎないし、だからこそそれらを愛おしむのに限りもありません。

「なにものでもない」好事家としての生き方がディレッタンティズムだと思います。

ディレッタント、というのはあり方です。実は称号でも、資格でもありません。単なるスタンスの話です。ディレッタントを目指した中二のぼくには悪いのですが、誰に何を言われようが言われなかろうが、それは初めから全く関係のない事なのかもしれません。「なにものにもならない」という姿勢なのですから。

「なにものでもない」というのは職人や専業○○、プロが尊ばれる日本社会においては確かに唾棄すべき退廃スタンスにうつるのかもしれません。今流行りの言い方で言うとマーケティング的()には一番してはいけないのは「なにものでもない」という事です。

ですが、ここは大先輩の木村に敬意をもって、あるいは勇気をもって「なにものでもない」趣味人、ディレッタントとしての生き方を選ぶとしましょう。それは常に自分の感性と認識の最前線に立って「己がなにものであるかにかかわらず」呼吸して動き続ける生き方なのですから。

武富先生にディレッタントと呼ばれたことを期に自身の人生における「ディレッタント」という言葉を再考してみたらこんなに長い文章になってしまいました。やはりディレッタントは最高です。

これからも自信を持ってディレッタントを名乗り、目に映る、耳に聞こえるすべてのものを慈しみながら、愛しながら、楽しみながらディレッタント道を精進して歩いていこうと思います。

この文章をここまで読んでくださってありがとうございました。

以上です。










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