叔母流マッサージ

ぼくには叔母がたくさんいるのですが、一人細菌学の教授をしている高齢のがおりまして、その叔母とぼくが大学生の時期二人だけで一緒に住んでいました。

凡そある分野の専門家の先生と一緒に住むなんてこれっぽっちもいいことはありません、しかもそれが身内なら余計です(笑)自分で高名な先生の内弟子になるほどその分野に打ち込んでいて熱望するなら話は違いますが、ぼくは細菌学にそこまで傾倒していなかったので、普通に先生と生徒の関係の圧がきつかったです。さらに叔母は朝から晩まで顔を合わせるとぼくに細菌学、医学、薬学の基礎質問を繰り返し、一緒にいた数年間学生に答えさせる程度の内容がなくなると、現行の研究者の課題レベルの知識まで答えさせられるようになりました。ぼくのような堕落した学生にはめちゃくちゃ迷惑な「訓練」でした。

全くもって不勉強で不真面目で反抗的な自分には耐え難い毎日でした。ほんとめちゃくちゃめんどくさかった。しかも高度な内容は大学卒業後使わないのはほとんど忘れました。

それで、そうやって叔母が一緒にいる間無理やり専門知識を詰め込んでくるのでぼくも一計を案じました。叔母が唯一質問してこないのは自分が叔母にマッサージをしてあげている間だったので、東洋医学や整形の勉強ついでにマッサージを覚えて一番叔母がしつこく質問を繰り返してくる夕食後の時間を自己流のマッサージに当てました。

叔母はマッサージを受けている間は自分の体に集中しているので質問をしてきませんでした。それがぼくに非常に都合がよかった(笑)マッサージ受けてる叔母本人よりホッとしましたね。

合計で優に数百回か千回くらいは肩腰足をマッサージしたと思います。どんな麗しい女性の体よりぼくの手になじみがあるのは年を取った叔母のしわくちゃかつ肉厚の体です、叔母の体の感触ばかり思いだします(笑)

叔母の体なら全身の筋肉の走行から骨の配置まで今でもまさに手に取るように思いだせます。また解剖学や整形外科の知識の勉強にもなったので、かなり助かったというのは間違いない事でした。その日に解剖したご遺体や、見学した手術中の患者さんの姿を思い出し「あ、なるほど、生きてる人間にはこうやって筋肉が付いているんだ」「なるほど今日手術していたのはここ等辺だったんだな」という復習にすごく役に立たせてもらいました。

大変にお世話になりました。心からそう思います。鍛えてくださってありがとうございました。叔母さんには感謝しかありません。

卒業後色々あって、先日その叔母が地元で亡くなりました。88歳でした。ぼくはその後、いろいろマッサージを習ったりしてますが、源流は間違いなく叔母流のマッサージです。たいていは気難しい顔で考え事をしていて、あるいは一緒にいる間はぼくに質問攻めしていて答えを間違えるとキレ散らかして超怖かった叔母が、マッサージを受けている間だけはリラックした表情をしていたのが忘れられません。

叔母の遺体の顔を見たときも「お!ぼくにマッサージされてるときみたいな顔だな」と思いました。死んだら死後硬直はあるものの、精神的には最高にリラックスしてるはずなのでその通りなのかもしれません。

なので叔母を偲んで、今日お葬式の最中でも控室でお葬式に来た親族の体をひとりひとりマッサージさせてもらいました。みんなびっくりするほどゆるむ、リラックスするといってくれました。まあ、今のぼくはシステマで習ったマッサージも合わせで行うので15年前叔母の体をマッサージしていた頃より少しはリラックスさせられるのかなと思いました。

お骨を拾う時に「あ、これがいつも揉んでいた叔母の肩甲骨なのか」「腓骨なのか、この周りの腓腹筋ははってたなア」「上腕骨かあ、80歳くらいからこの辺りの筋肉が落ちてきてたなあ」「大腿骨か、あんなに太かった大腿四頭筋もきれいになくなってしまって」「頸椎の二番か、いっつもこの周りをほぐしてやりたかったなあ」といった風にしげしげと見つめて思い出を思いだせるほどでした。そうやって丁寧に他の親族より多めに骨を拾って骨壷に収めていきました。他の親戚は嬉々として骨を集めるぼくにちょっと引いてました。

叔母は重い肉体を捨て去ってもういかなるマッサージも受ける必要がない軽やかな状態になっていると思います。それは間違いないので、ちょっとだけ寂しかったけど、悲しくはありませんでした。叔母の体で揉み残した場所はもうなかったし(笑)

ただ、自分の親しい人も、自分もあっという間に生きて死んで骨になります。叔母の骨を拾いながら短い残りの人生で、愛する人、近しい人、ご縁のある人にはもっとマッサージをしてあげたいと思いました。マッサージの御用命があるときはいつでも言ってください「叔母流」のマッサージを喜んでやらせていただきます。

おばさん、ご冥福をお祈りいたします。骨盤、思ったよりごつかったね(笑)道理で腰の揉みでがあったわけだよ。






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