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【ハニワット10巻発売】蚩尤収めは、はぁ~しんど【祝】

これは、ぼくらが望んだ物語

(10巻及びその周辺のエピソードについて、致命的ではない程度のネタバレが含まれます)

先日『古代戦士ハニワット』の10巻が発売されました。たいへん、たいへん嬉しかったです。ファンとして非常に感慨深い巻でした。

ハニワットについては年末に個人的にも、自身のファン活動的に大事な局面があったのですが、とりあえずそれは別の機会に書いたりするとして、今回はハニワットの第二部ラストエピソードが収められた記念すべき10巻の内容について語りたいと思います。

第二部のラストエピソードがフルサイズの尺で収められたこの『古代戦士ハニワット第10巻』こそ、ハニワットが打ち切りの危機にあった頃の作者の武富先生が描き切りたいと思った形での第二部であり、ファンがこれこそ見たくてたまらないと切望して打ち切り回避活動に打ち込んだ理由そのものだったと思います。

ハニワットではめったに用いられない「モノローグ」によってラストに作中で明言されている通り、ここまでの10巻にわたる物語がはっきりとした形で一区切りをつけられています。

そしてさらに第三部に続く、非常に重要な展開も挿入され、まさにハニワットサーガの序盤が終了したことは、武富先生のあとがきでも「ここまでが第一章」という言い方によって述べられています。

これこそ、武富先生が描きたかった形という意味において、ぼくらが待ち望んだ形での第二部ラストだったのではなかったでしょうか。ネットの反響でも「カタルシスがすごい」という感想が多かったのですが、私も同じ意見でした。演出的にも、すさまじいスケールでした。

ところで、10巻で個人的にとても印象深いシーンがありました。三沢祐樹が「しんどい」というシーンです。正確には

「これがー蚩尤収め…なんですね……」

「しんどい…しんどいな…!」

と言いながら座り込んで涙するシーンです。

このシーン、ファンの間では不評な面もあって。まあ、確かに作中の状況を鑑みればまだ、ここでしんどがってる暇はねえぞ!っていうのはその通りなんです(笑)その意見はすごくぼくもわかりました。ある意味ここで祐樹が漏らしたのは「泣き言」そのものであり、センチメンタルに属する甘えでしかないからです。彼の基本的な性格、線の細い才能家というイメージからすると非常に自然な態度ですが、もはや作中の事態が個人の情緒的な反応を超えた規模で展開していますから、ここで泣き崩れるのは、さすが埴輪徒(埴輪徒は精神が未熟だったり本邦だったりすることも多い)と思わざるを得ない部分もありました。

しかし、すこしひいてこの祐樹の発言や態度をみてみると。これこそ誰も異論をはさめない「蚩尤収め」についての観想ではないでしょうか。つまり、蚩尤収めを総括する言葉がもしあるとするならそれは「しんどい」だと思うのです。

だからこそ、これは佑樹だけの矮小な蚩尤収めに対しての感情という描写の仕方ではなく、周りの権禰宜や主巫女のモモちゃんや山さんまでしんみりとその発言と心に寄り添う風にしているのだと思いました。

「蚩尤収め」つまりこれはこの作品の根本的なテーマといってもいいのですが、一言で言うならそれは「しんどい」のです。すこしこの「しんどい」について考えてみます。

「癖」に鈍く響かせる「しんどさ」

最近の漫画で流行りもの、売れ筋のものを見ていますと非常に所謂「癖(へき)」を明確に描いているといわれるものが多いです。「癖」というのは「性癖」というようなもので、フェティシズムの少し軽くなったような表現として、創作界隈で最近はよく使われています。

「癖(へき)にぶっささる」みたいな言い方が多いです。「性癖」というのは精神医学的に言いますと変態性欲や性的倒錯のことを差すのですが、だいぶんマイルドに「好きな分野」「好きな性向の展開」「好きな要素が入っている物語」みたいな言い方でサブカルの評価に使われている表現のようです。

近年のTwitter漫画とかでバズったものを見ると必ずこの「癖」をむき出しに描写することに成功しているように見えます。つまり、巨乳!とかマッシュルームヘア男子!とか、鬼畜眼鏡!とか、人外恋愛!とか、ヤクザ×幼女!とか明確にジャンル分け、もしくは厳格にタグづけされているような要素がきっちり入っていてそれがわかるように推されています。であるがゆえにそれが好きな人が食らいつきやすいのでしょう。

これはある種洗練された商品のプロモーションに似ています。ラーメンが好きな人はまず「ラーメン」と看板に書いてあるか、どうみてもラーメン屋でしかないディスプレイをしている店を選んで入るのです。いくらおいしいラーメンを出す店でも「中野飯店」「今垣屋」という個人の定食屋にはなかなか入らないでしょう。もちろん、その店がおいしいラーメンも出せることを知っている一部の通の間では、「うちはラーメンで推してます」そういうプロモーションはしなくても知っているのです。知ってる人、つまりローカルの外食に対して深く精通している人だけがラーメンとは謳われてないけれど、今垣屋の「中華そば」を楽しめるのです。

まあ、で。これは武富作品自体にもよく表れる傾向なのですが、「ハニワット」ではそこまでその「癖」というようなものを明確にむき出して提供してこない傾向にあります。ですがまったくそういう要素を無視しているかというと、全然そうではなくて、色々混ぜられて加工されていろんなところに入っているのです。刺さると言えば刺さるけど、ガツーン!と提供されなくて、鈍く深く響くように提供されています。じんわりと染みていくような感じです。

先ほどのラーメンの例でいうと、「武富屋」に入った客は、焼きラーメンの付け合わせや、ミニラーメンとして「武富スペシャルフルコース」の一部としてラーメンを食べることはできるのでしょうが、ラーメンだけを重点的に食べよう、唐揚げだけを重点的に食べよう、という試みは失敗します。ですがコースを最期まで食べた時、しっかりと自分がどこかでラーメン(やその他の食事)を食べていることを認識せざるを得ないのです。

ハニワットは乱暴に言い切るとそもそも土偶と埴輪が戦う話です。ですが、読んでいくと「土偶」や「埴輪」や神話を中心に話が進んでいくわけでもありません。かといってそれらを無視しているわけでは全くなく、土偶や埴輪の成立に関わる歴史的要素、あるいは伝奇的要素も十二分に婉曲的に触れつつ、全体として土偶だか埴輪だか人間達のやりとりだかよくわからないおおきな全体図を描こうとしていくのです。

これが人物でわかりやすいところでいくと呉葉なのですが、ギャルだけど巫女、巫女だけど鬼嫁、鬼嫁だけど良妻、という風に非常に複雑に、個別の要素だけなら「癖」にぶっささって人気になりそうなポイントを巧みに混ぜて唯一無二のキャラ造形に成功していると思います。

呉葉というキャラに「オタクに優しいギャル子ちゃん」を夢想して近づくと情けないままの男は、やはりケツを叩かれ、叱咤されてしまいますので十分に萌えられないでしょう。

オタクが大好きな、ぼくの心身を無限に愛してくれる癖にぶっ刺さったキャラ造形はありません。呉葉も自己の利己的な社会的欲望、またはやや政治的な理由も垣間見えつつ「デキる」埴輪徒の男を選ぶ現実的な男性観をしっかり持っているのです。

ですから正春もずっと情けないままで都合よく無限にバブみを感じてオギャれるということはありません。彼は何より埴輪徒の才能という点で呉葉に好かれています。しかし呉葉は、それだけでなく、より根本的な人に対する優しさを持った、何もかも失っておしっこ漏らした男性を抱擁するような深い愛に基づく女性像も持っています。

巫女も、ギャルも、良妻賢母も、鬼嫁も、呉葉の中では唯一無二の要素ではありません。全てが同居して、モザイク状に有機的に混ざり合って「呉葉」というキャラクターを作り上げています。そしてそのキャラクターのまま、他者との関係性の中で性格を発現しあっているのです。

ここは武富健治の漫画家としての作風の妙かつ真骨頂なのでしょうが、いわゆる「話題の」漫画とは一線を画す姿勢でもあると思います。それはテーマや要素の選択について、読者が直達的に欲しがるフェティシズム的要素や、ジャンル的要素をそのままは与えず、しかし物語全体の複雑な関係性の中に分解したり、別の形に組み立てたりして、少し意地悪な言い方をすれば「欲しがるものをそのままの形では絶対に与えない」作風で提供してくるのです。

これは武富漫画にある程度通底する作風なのでどこをとってもフラクタル構造の様に似た作意を見ることができます。

しかし、それは読者からすると相当に読むのが「しんどい」

まったく与えられないより、ちょっとだけ与えられる、あるいは部分的に絶妙な距離感で与えられる、混ぜた中に意識させられる方が、読者の飢餓感は増すからです。それと同時に欲しがるものだけでなく、それを成り立たせている全体に対してのある程度の読みの深さを要求されるようになります。

これが先ほどの「ハニワット10巻はカタルシスがあった」という意見の裏付けにもなります。逆に言えばそれまでは「ハニワットでカタルシスをそのままの形では絶対に与えられてこなかった」ということでもあるからであり、ハニワットはポップミュージックの装いを持ちながら、実はオーケストラ、クラシック音楽の様に何時間も何時間も展開を聞いてからの「歓喜の歌」を読ませるような、まあありていに言えばそうとう「古式の」演劇や作曲スタイルを持っています。

ハニワットは読者の欲しがるものをそのままズババンと初めから与えない相当に「しんどい」読みを要求する稀有な漫画です。また、武富はそういう要素をシャープにエッジングするのではなく、全体の構造や関係の中において別の形に組み立てて、時間の経過に沿って構築しながら、あるいは脱構築しながら語るのが非常にうまい漫画家でもあります。

これがハニワットにたいして「とっつきにくい」と「なんかよくわからないけど、おもしろい」という感情が同居して読むうえで読者の情緒が混乱をきたす(「おれなに」現象)一つの原因にもなっています。

ハニワットは麻薬のように特定の感情やフェティシズムだけを切り取って強く増大させて刺激するのではなく、物語全体において沢山の要素を偏在させて、それを読者の読みの力を育てさせながらいろいろな形で読ませることで「ハニワットでしかない」形で提供するという手法に長けた、大変稀有な作品だと思います。

はい。ぼくの解説だとそういうふうに信じられない人はつくし卿のコメントをどうぞ(笑)

また十巻の帯には「信じて、ハニワットでしか摂取できない栄養があるよ」とつくし卿の帯コメがついています。

ここのポイントは「信じて」です(笑)

なぜかというと、まず信じてそこにハニワットでしか摂取できない栄養素(おもしろさ)があるとみて読み始めることを要求される厄介な作品でもあるからです。

じゃないと、信じて、なんて言いませんでしょう^^

「信じて!ここのラーメン屋さんのラーメンはほんとにラーメンだよ!」って言われたら逆に店に入るのが不安になります。ハニワットはその栄養素を摂取するまでが「しんどい」作品であり、しかしながらそのしんどさを乗り越えてハニワット素を摂取したときの感激は格別どころではない作品なのだと思います。

そしてその栄養素自体も「しんどさ」であることでしょう。ハニワットは作品のテーマそのものとしても「しんどさ」を描いて見せている作品だと感じることがあります。

「しんどさ」のリアリティを描く

ハニワットは特殊祭祀、いわゆる「蚩尤収め」を描いています。上述のように蚩尤収めは収めた祐樹の感想が総評として「しんどい」のですが、このしんどさを描くというのは漫画やその外の創作物において取り組むテーマとしては最高難易度のものだとぼくは信じています。

なぜなら、ある意味において、と断らずとも「しんどさ」こそが人のあらゆる所業の最終的な見解ではないかと思うからです。言い換えるならば生きとし生けるものの感じる、生きる上での森羅万象に対する「思い通りにならなさ」「苦労」が「しんどい」という反応といってもいいでしょう。

そもそも、祐樹たちは悲願中の悲願であった蚩尤を収めることに、しかも人の子の立場で大した損害なく成功したにもかかわらず、なぜ「しんどい」といって泣き崩れたのでしょうか。

普通は「うおおおお!やったー!!」「かったー!!」で終わってもよかったでしょう。今までの経緯を考えると、ずっとクオオオオオン!!しててもよかったくらいです。

今まで数多くの犠牲を払いました。仁の犠牲もありました。その他もう二度と帰らぬ人となった蚩尤収めのメンバーや一般人もいました。そういう人たちを思ったのかもしれません。しかしながら、そうであっても、そうだったからこそ、彼等は苦労と犠牲を払った末の勝利を勝ち取り、絶大な栄光に咽る獰猛なチャンピオンの様な高揚感に包まれ玉までもよかったでしょう。

10巻では冒頭で明確に蚩尤という存在が霊的”生物”だと言及されている通り、蚩尤は人智が及ばないけれど人よりある意味高級な精神・肉体を持つ”生物”なのです。生物であるからには生滅の定めから逃れられません。

9巻や10巻では蚩尤という存在が徐々に人智を超えて接触不能な精神性を持っている謎のUMAではなく、それなりに感情や欲望を備えた生物であるということが色濃く語られるシーンが以前より多くありました。

祐樹ら埴輪徒は、実際に蚩尤収めをする体験の中で、自分と全く変わらない生物である彼らの生と死に、思いをはせざるを得なかったのでしょうし、同じ生物でありながら、敵味方という見地を超え、互いの生死より大きな「和合」のために剣を交え矛を交わす宿命であることに、言葉にならない体験知、つまり「しんどさ」を感じたのかもしれません。

何一つ思い通りにならない私たちがいきる現象世界において、それでも我々が生物として結果を求めながら生きていくとき、そこに去来するのは「しんどさ」「苦しさ」でしかないはずです。そのリアリティはすさまじい。どんな強力な信仰、あるいは愛や神秘の体験のバックボーンを持っている人であっても、人生が「苦しくない」「思い通りにならずに空しくない」「葛藤しない」などということはないでしょう。

面白いシーンがありました。凛が蚩尤収めの後に自分の蚩尤収めのために念波を使い果たして果てた巫女のチカにたいして号泣するシーンです。

これを見てユリは複雑な気持ちになります。ユリは凛の主巫女として大役を二度も滞りなく努めており、実力もそして運命力も最強のヒロインに相違ありません。ですが、凛がチカのために泣く姿にある種の自信を喪失して動揺するのです。さらに読者ですら忘れかけていた、想い人だった仁のことを思い出し、雨の中一人実家で泣くわけです。もしかしたら、柔里にとってこれかもずっと仁は凛とは別の「想い人」として心中に一区画を形成していく事でしょう。しんどっ・・・つらっ・・・!!

流浪の旅に出る柔里の最期の「いざ起たん」という言あげ、呪術的ウケヒともとれる一点の曇りもなさそうな宣言に至るまでも、あるいはそのあとでも、この柔里の複雑な葛藤というのは別に消え去っているわけではありません。

晴れがましい宣言の前日には、湯船に身をつけつつ

「そうだよね・・・」

「きっと・・・いい旅になる・・・!」

と自らに言い聞かせ、ある種の葛藤を胸の内に収めて飲み込みつつ、新たな旅路についているのです。

そしてこの風呂のシーンで話し相手になっていてコマの対比になっているのは、絶賛失恋、または埴輪徒喪失中のエリです。

正春をうしない、主巫女ですらなくなったエリに「無理ないよ!ユリは主巫女なんだもん」「気にしない」「気にしない」って言わせるだなんてww

しかしその柔里も単なるシンデレラガール的ポジションではなく、仁という想い人を失って、さらに自分の相手は性格分類不能の改造埴輪男、これから先の人生は何処にどうなるかわからない流浪旅という、なんというかこれはこれでやたらと過酷な状況です。

ここでのユリとエリは明暗対比ではなく、同じ類の失恋や傷心に関わる「しんどさ」の構造の中にいて、むしろある意味「ことどわたし(離婚を言い伝える儀式)」を終えて「だめだった」ことを認めて諦めるしかなかったエリが風呂場から上がってきて「上」を向きいているのにたいして、ユリは「下」を向いてこれから「禊」(入浴)をするというみせ方になっていますね。

武富先生、鬼ですか?(笑)漫画の技術も鬼なら登場人物の心理のえぐり苛め方も鬼です。

この、どうにもならなさ。この苦しさ、今回のテーマに沿って言えば「しんどさ」を希望や喜びや外時々の登場人物の心情の中に搦めて描くのが、ハニワットや武富文学の一種独特の味わいになっています。そしてこの丁寧に過ぎるあらゆる悲喜こもごもの局面における「しんどさ」に寄り添うスタイルが武富文学に横たわる慈悲、慈愛の類の目線であるとも、言えるのではないかと思います。

ハニワットのテーマの一つである「神仏」その仏そのものである釈迦牟尼は「一切皆苦」という言葉で知られるようにこの世の正体は「苦」どうしようもなさ、どうにもならなさ、であるという諦(真理)を正覚していました。

久那土凛、という名前の「凛」とは、凛としたとか凛烈であるとかいうところのきりっとした引き締めておさめる意味ではありますが、その漢字の成り立ちからすると

「凛」は「凜」の字の「禾(いね)」が「示(神に生贄をささげる台)」に変形してできた字です。

つまり、主人公である久那土凛その人自身が、完璧に神への供物としてのヒーローでしかないのです。このあたりは年末に出る予定だった大型同人誌『ハニまる』の中の考察でも触れられていますが、ハニワットにおいて埴輪徒を含め、すべての登場人物は大いなる供物性の中で生きているにすぎないというさすがに「しんどい」物語構造が基底にはあります。そしてそれは単に人が神にささげられるだけでなく、神自身も神と人と世界の関係に捧げられる供物性を供与されているにすぎないという、さらにしんどい大世界構造の中の話であることが第二部のラストにかけて徐々に語られています。

第二部ラストで納められた蚩尤達の感情や情緒、人を超えた圧倒的に偉大な精神体だった彼らの荒狂う怒りや愛情、あんなものを見せつけられたら猶更「やっつけろドグーン!」なんて言えなくなりますよね。

これ大丈夫ですか?wぼくら読者最期までついていけますか?w

いいえ、きっと大丈夫です(笑)

きっと最期までこのしんどい物語を、しんどい人生を送りながら、ぼくらは目撃することができるでしょう。時に泣き崩れ、おしっこ漏らし、逃げて頓狂し、流浪したって。

きっと最期まで、このしんどい人生の中でしんどい物語を面白おかしく読ませてくれるはずです。武富先生と・・・双葉社さんが・・・!(笑)

文章は以上です。重ねてハニワット、第十巻発売おめでとうございます。

葦原の瑞穂の国のハニワット第三部譚は神乍ら

言挙げせぬ考察

然れども

言あげぞ我が考察がする

言幸く

ま幸くませと

つつみなく

幸くいまさば

荒磯波ザパーン

ありても読むと

百重ボコッ

千重キキイッにしき

言挙げす我は

言挙げす我は

凜と、流浪衆のこれからの第三部でのより一層の活躍、武富先生とすべてのハニワットファンの御健勝とご武運を切に祈って。


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