僕が"普通"と違った50のこと〜貧困とはゲームに参加する前に勝手に失格させられること〜
「こんな状況で勉強がしたいとか頭がおかしいんか?働けよ!」、「若いんやけん仕事やいくらでもあるんぞ!」
2012年の春、浪人したい意思を示した僕は家族から糾弾され、死にたいと思っていた。
何が僕をそこまで追い詰めたのか?理由はただ一つ、僕が貧困家庭の人間だったからだ。
僕は6人家族で世帯収入が200万円台、父親が女子高生を暴行して仕事をクビになり、毎日包丁を持ち叫び続けている重度の精神障害者、母親がカルト宗教の信者、祖母が認知症という貧困家庭で育った。貧困家庭であることは小中高通して有名になり、自分から何も話さなくても不可触民のように扱われて生きてきた。
僕は生まれた時から"貧乏"だったと思うけれど中学2年生くらいのときからは明らかに福祉の支援が必要な"貧困"の状態になったと思う。
そして27歳になった今も僕は社会の底辺で貧困に苦しめられている。
このコロナ禍で貧困に関するニュースを見る機会は増えたが、以前から貧困に関するニュースへの反応に疑問を持つことがあった。
僕が普通と違った50のこと
そこで僕が小学生の頃から現在まで、貧困家庭で育った中で、普通と違うと感じたことを書いていきたいと思う。
〜小学時代〜
・七五三をやったことがない
・親がよく口論をしている
・私服登校だが服を2パターンしか持ってなく、そのことをネタにされる
・服を買いに行ったことがない
・親戚の結婚式に出る為に愛媛に行った以外で旅行したことがない
・中学受験をするのは別の世界に住んでいる人間だと思い込む
・「不良になるんにもバイクを買ったりして金が掛かるんやぞ!お前は貧乏やけん不良にもなれんでええやろ!」と父親から叫ばれる
・父親が明らかに異常者で会話が成立しない
・父親が近所トラブルを起こし警察沙汰になる
・小学6年のときのクリスマスプレゼントが茶封筒に入った1000円
〈仕事は農家〉
僕が小学生のとき、両親は農家をしていた。小松菜やエンドウマメを作っては農協に持って行っていたが「利益なんて出てない」とよく両親は言っていた。父親は元々高校教師だったが女子高生を暴行して仕事をクビになっていた。
〈服を買ってもらった覚えがない〉
普通の人がどれくらいの頻度で親に服を買ってもらっているのかは分からないが、僕は服を買ってもらった覚えがなかった。いつも親戚のお下がりの服を着ていた。
〈中学受験するのは別世界の人間〉
僕の住んでいる地域から通える場所に、中高一貫校ができることになり、小学校の一学年約60人の内、3人ほどが中学受験をした。当時の僕は中学受験なんて別世界の人間がするものだと思っており、東大合格者の多くが私立の中高一貫校出身であることなどは全く知らなかった。
〜中学時代〜
・私立の学校に行くなんて考えたことすらなく、地元の公立中に進学
・農家を廃業し、両親が働きに出るようになる
・制服のカッターシャツが買えず、親戚から貰った女物のカッターシャツを着る
・顧問が「殺すぞ!」と怒鳴ったり、蹴りを入れてくる部活に入り、部長になるが退部する
・中学3年の夏くらいから祖母に認知症の症状が出始める
・食事に困ることが増えてくる
・中学3年のときだけ家庭教師に来てもらう
〈地元の公立中に進学〉
東京や大阪に住んでいて、親が教育熱心なら私立の学校に行くのが当たり前なのかも知れないが、私立に行くなんて考えたこともなく、地元の公立中に進学。宿題はまともにやった覚えがなく、テスト勉強もしなかったが、一学年約60人で学年5位くらいの成績は取れていた。数学の成績があまり良くなく70点くらいしか取れず、他の科目が90点以上という感じだった。将来は研究職に就きたいと思うようになり、東大に進学したいと考え始める。
〈農家を廃業し、両親が働きに出るようになる〉
農業では食っていけないとのことで、両親が働きに出るようになる。母親は管理栄養士の資格を持っていたので管理栄養士として働き始める。父親は非正規の仕事を転々としていた。
〈中学3年のときだけ家庭教師に来てもらう〉
塾には通わなかったが、中学3年のときだけ、地元の医学科の人に家庭教師をやってもらっていた。時給2,000円で、週2回来てもらっていた。
〜高校時代〜
・奨学金を使って高校に進学
・父親に「金が無いんやけん部活したいとか思うなよ!」と言われる
・塾に通ったのは2ヶ月だけ
・認知症の祖母に対し、父親が毎日包丁を持ちながら叫ぶようになる
・"カウントダウン"が始まる
・食事の7割が袋麺とご飯
・電話がしょっちゅう止められる
・電気が止められそうになる
・家が差し押さえされそうになる
・学校での支払いが遅れるようになる
・自殺未遂をする
・祖母が変死
・カルト宗教の儀式を受けさせられる
・鬱状態になり学校に通えなくなる
・親の介護をする為に学校を休まされる
・宅間守信者になる
・家庭が崩壊している為、成績が底辺に
〈奨学金を使って高校に進学〉
大学に進学する為に奨学金を借りる人は多いと思うが、僕は公立の高校に行く為に奨学金を借りた。
〈父親が毎日叫ぶ〉
認知症になった祖母に対して、父親は毎日包丁を持って近づき「死にたいんなら自分で死ね!」などと叫んでいた。こんな状態では勉強どころではなく、父親の叫び声を消す為に、ひたすら部屋でYouTubeで音楽を聴いて過ごしていた。
〈カウントダウン〉
給料日になるまでまともに食事が取れない期間を母親は"カウントダウン"と呼んでいた。一週間お米とふりかけだけ食べて過ごしたり、父親から「メシ食うな!」と言われて何も食べられないときもあった。お腹が空いて、深夜に黄色くなったご飯にカレー粉をお湯で溶かした物をかけて食べようとしたこともある。結局不味くて食べれなかった。
〈電話がしょっちゅう止まる〉
家の電話がしょっちゅう止められていた。学校の教師からも「◯◯の家は電話が繋がらんときがあって困るなあ」などと言われていた。
〈カルト宗教の儀式〉
母親が信奉していたカルト宗教の関係者が家に来て、妹2人と一緒に無理矢理儀式を受けさせられた。宇宙に存在する未知の物質を教団は知っており、教えを信じることで救われるなどと言っており、明らかにカルトだった。
〈自殺未遂をする〉
高校2年のとき、生きていることがあまりに苦しかった為、首吊り自殺を計画する。学校からの帰り道にダイソーに寄ってロープを購入し、家の倉庫で首を吊ろうとした。遺書を同級生にメールで送って首を吊ろうとしたが、ロープが細かったこともあったり、あと一歩が踏み出せないこともあり、未遂に終わった。
〈祖母が変死〉
高校2年の冬頃には、認知症になった祖母は足も悪くなり、お風呂もロクに入れなくなり、勝手に昔住んでた家に行ったり、近所を徘徊するようになっていた。そんな状態でも父親は毎日包丁を突き付けて叫び続けていた。2月頃だったが、祖母が床に倒れて「痛い…痛い…」と繰り返しうめいていたが無視していたら、翌日死んでいた。朝、母親から「ばあちゃんが死んでるかもしれん!」と言われ見に行って、死んでいることを確認したが、やっと解放されると思ったら、悲しさよりも喜びの方が大きかった。
〈鬱状態になり学校に通えなくなる〉
段々と鬱っぽい状態になっていき、高校3年のときにはかなり欠席が増えるようになった。5つくらいの科目で単位を落とし、プリントなどを提出することで単位を取れるようにしてもらい、なんとか高校は卒業できた。あと数日欠席していたら留年になっていたようだった。
〈親の介護をする為に学校を休まされる〉
高校3年のとき、父親が手術を受けることになり、入院し、介護が必要になった。母親に「家族だったら助け合うのが当たり前だ!」と言われ、学校を休まされて病院に泊まり、父親の介護をさせられていた。朝の4時頃に起こされ買い物に行かされたり、食事の介助をしたり、トイレの介助をしていた。
〈宅間守信者になる〉
"社会への復讐"として大阪教育大学附属池田小学校で児童を殺傷し、死刑になった宅間守の思想に強烈な共感を覚えるようになり、宅間守を崇拝する様になっていった。この先生きていても地獄みたいな人生しかないから、最後の最後に中学受験して私立の学校に通ってるような人間に地獄を見せたいと思うようになる。
〈成績が底辺に〉
高校時代は食事すら満足に取れず、父親が常に叫んでいた為、勉強は全くできなかった。センター試験は900点満点中で約520点だった。地元の大学を受験し、不合格となる。
〜宅浪時代〜
・家族から「こんな状況で勉強がしたいとか頭がおかしいんか?働けよ!」と言われる
・母親に無理矢理車に乗せられ、バイトの面接を受けさせられそうになる
・ドラッグストアでバイトをするが勉強との両立が厳しく3ヶ月ほどで辞める
・バイト代を親に貸す
・成人式には行かない
・虫歯の治療をする為にスーパーのレジで働き始める
・死ぬ気で働いて年収150万
・借金をする
・炭水化物ばかり食べて太る
・父親を2回殺そうとする
〈こんな状況で勉強がしたいとか頭がおかしいんか?働けよ!〉
地元の大学へ落ち、浪人したいという意思を示したところ「こんな状況で勉強がしたいとか頭がおかしいんか?働けよ!」と家族から言われた。中学受験をさせてもらって、私立の学校に通うような人間なら駿台や河合塾に行くお金を出して貰え、家族から応援されるところだろうが、僕は罵声を浴びせられるだけだった。
〈無理矢理バイトで働かされそうになる〉
母親に「若いんやけん、いくらでも働くとこあるんぞ!」と言われ、無理矢理近所のスーパーまで連れて行かれ、バイトの面接を受けさせられそうになった。結局そのスーパーではバイトを募集していなかったようで、バイトはしなくて済んだ。
〈ドラッグストアでバイト〉
食べる物にも困っていたこともあり、バイトをしながら宅浪をしようとした。1日4時間で週4日ほど働いていたが、勉強との両立ができないと感じ、3ヶ月ほどで辞めてしまった。
〈バイト代を親に貸す〉
妹の修学旅行費に必要だからと言った理由でお金を貸すように言われ、結局何回かお金を貸した。一応、ちゃんと貸したお金は戻ってきた。
〈虫歯の治療をする為にスーパーのレジで働き始める〉
虫歯になって歯がかなり欠けたが、治療するお金が無かった。歯医者に行く為にスーパーのレジでバイトをすることにした。思ったより長く続いて2年フルタイムで働くことになった。週3、4日店に来て、来る度に因縁をつけてくるおっさんが2人いたり、レジで叫ぶおばさんや、「土下座しろ!」と叫んでくるおっさんもおり、精神的に疲弊する。月の手取りは11〜12万くらい。年収だと約150万だった。
〈借金をする〉
バイトをして年収が150万くらいあったので、地銀のカードローンでお金を借りれるということを知った。正直言ってまともな判断力が無かった部分はあるが、そこで100万借金をしてしまった。
〈父親を2回殺そうとする〉
リビングにいると父親に「おいこのボケが!」などと暴言を吐かれるのが当たり前になっていた。ある日も暴言を浴びせられていたので「いきなりボケだのアホだの怒鳴ってくるのは辞めて欲しい。家族なんだから改善して欲しいことがあるなら普通に話して欲しい」と言った。そうすると僕が話し始めている途中から父親が「このボケ!誰に口聞いとるんな!」などと怒鳴ってきたので、もうここでこいつを殺すしか無いと決意し「お前みたいな人間のせいで俺の人生がめちゃくちゃになるんだろ!もう死ねよ!」と叫び父親に近づき首を絞めたり、突き飛ばしたりした。また違う日にも暴言を浴びせられたので後ろから近づき、頭を思いっきり殴って殺そうとした。結果、自分の利き手の小指の骨が折れることになった。
〜精神科・施設時代〜
・母親に通報されて2回措置入院
・施設に入れられる
〈措置入院〉
この頃にはスーパーのレジのバイトは辞めていた。親のせいで人生がめちゃくちゃになり、社会へ報復することしか考えられなくなっていた為、Twitterで「宅間守の後継者になる」、「死刑になることに対して全くビビってない」などと投稿し、永久凍結を喰らうことなる(今は電話番号を変えてまたTwitterをできるようになった)。家にいて「ゴミが!死ね!」、「金の無いゴミがガキつくんなよ!」と叫んでいて壁を殴ったりしていた。そうしていたところ、母親に通報され、警察が来て、精神科に無理矢理措置入院させられることになった。「統合失調症だから入院します」みたいな署名を書かされ、約3ヶ月間入院することになった。3ヶ月が過ぎて退院しても「死ねクズ!」、「ゴミ親が!首吊って死ねよ!」などと叫んでいた為、再び通報され、措置入院をさせられることになった。結局、2回合わせて半年くらいは措置入院をさせられていた。
〈施設入れられる〉
病院に併設された自立支援施設のような物があると聞かされ、肥満だった僕は単純に「病院食ばっかり食ってたらダイエットになるだろ」と思い、施設に行くことを決めた。施設に入ってみると、刑務所みたいに内職をさせられたりするので、すぐに施設を辞めたいと伝えた。しかし、色々な理由をつけられて施設は辞めれないと言われた。脱走して勝手に家に帰ったこともあるが、診察で病院に行ったときに、医師から「施設に戻るか、もう1回措置入院するかを選んでください」と言われ、嫌々施設に戻った。だが、施設に入って1年半くらいが経ったときに脱走して、結局施設は辞めることができた。施設には年上の人間にも常にタメ口で、喧嘩腰でしか話すことのできない男や、揉め事を起こす女の人がいたりして、精神的にほんとうにしんどかった。
〜現在〜
・障害年金を貰っているが実際手元に来るのは1,000円
・バイトをしてもまた親にお金を貸さなければいけない
・リビングに父親がいる為、まともに食事も取れない
・歯がかなり欠けてるのに治療ができず放置
〈飲食店でバイトをするも続かない〉
施設から出てもバイトになかなか受かることができず、なんとか飲食店で働けることになった。だが、そこはかなり忙しく、すぐに辞めてしまった。
〈障害年金を受給しているが実際手元に来るのは1,000円〉
僕は障害年金を月に6万5,000円くらい貰っているが、母親が全て管理している。借金の返済で月3万、家に入れる分で3万円。残りの5,000円は貰えるはずだが、実際は5,000円なんて貰っていない。1円も貰えない月もある。今月は1,000円しか貰えなかった。母親は食費などに必要だと言っているが、食事もご飯とたくあんだけという日も当たり前にあり、まともな食事は取れていない。
〈リビングに父親がいる為、まともに食事も取れない〉
父親は僕がご飯を食べようとすると、小さい声で暴言を吐いたり、机を叩いたりする為、まともに食事を取ることもできない。その為、食事は1日1食しか取れないことが多い。
貧困男子が思う貧困とは
貧困家庭で育った僕が思う貧困とは「ゲームに参加する前に勝手に失格させられること」。
正直、人生を振り返ってみてもマトモにゲームに参加できたという覚えがほとんどない。
受験でも就職でも体型でも貧困であることは悪影響を与える。親が常に叫んでいる様ではまともに勉強なんてできない、車も持っていない様では働き口もかなり限られる、炭水化物しか食べられないようでは肥満になる。
自分で言うのもおかしいけど、普通の家庭に生まれていたらそれなりの人間にはなれていたと思う。
年収600万あって、親がマトモだったら東大理一には進学できていた自信はある。
貧困問題は現場にいることが全て
貧困について話題になる度に、口出しして評論家みたいなことを言っている人がいるけど、無意味だなと感じる。マトモな家庭で育って、食事にも困ったことのない人間が貧困についてコメントしても何の意味もないと思う。貧困は現場にいることが全てだと思う。
よく「貧乏人ほど太ってる」、「貧乏人ほど無駄遣いが多い」などと言われたりするけど、実際に現場にいたらそれにも理由があることが分かるはずだ。
家に帰ったら頭のおかしい親がいてストレスまみれで、財布の中に1,500円あるってなったら、スーパーでスナック菓子だったり半額になった惣菜を買って食べるという選択肢を取ってしまう人がほとんどだろう。
「長期的なことを考えて節約を…」なんて言われるかもしれないけど、現実的なことを考えて節約なんて未来に希望を持てる人しかできない。
貧乏でタバコを吸っている人がテレビに出ていて(僕は吸わないが)、よくそれをネットで批判されてたりするけど、現場のことが分かってないなとしか思えない。
貧困状態で追い詰められてる人にタバコを吸う習慣を辞めるようにする気力なんて残ってないと思うし、逆にタバコを吸うのを辞めたところで貧困から抜け出したりできないだろう。
貧困の自己責任論を終わらせたい
僕がこの記事を書いたことで、少しでも貧困の自己責任論に抗いたいと思う。
貧困が自己責任であると言われる社会のままでは、再び宅間守のような人間が現れてもおかしくない。
僕自身、宅間守の思想に乗っ取られそうになっていた。
そんな世界にしない為にも、貧困の自己責任論を終わらせたい。
よかったらサポートをお願いします。無敵の人になりたくないです。僕もまともに生きていきたいです。