乃木坂46『車道側』が描く、普遍の恋と不変の愛~『伊勢物語』から「あやレイ」まで~

乃木坂46の楽曲『車道側』が話題だ。
35thシングル『チャンスは平等』のアンダー楽曲として制作され、2024年4月4日にMVが公開されると、徐々に人気を集め、1ヶ月後には表題曲の再生回数を抜いた。そして、記事公開時点(6月14日)で300万回以上と、MVがフルで公開されているアンダー楽曲としては最多の再生回数を誇っている。

爽やかで明るいのにどこか切ない曲調、青春の一ページを文字どおり切り取った美しいMVなど、人気を集める要因は複数あるのだが、筆者が今回着目したいのは歌詞である。
なぜ秋元康は、今回のアンダーにこの曲を書いたのだろうか?

「君よりも背が低かった少年」の正体

『車道側』は、ある少年が幼馴染の少女に抱く淡い恋心を歌った楽曲だ。
昔はお互い、無邪気に好きな人の話だってできたのに、今では相手を意識してしまって距離感を上手く掴めない。そんな難しい関係が描かれている。

僕たちはもう何年 友達でいるんだろう?
出会った幼稚園から 随分 経った
君よりも背が低かった少年はいつの間にか
アスファルトに大人の影が もう伸びている
車道側を歩こう そう 僕が…

乃木坂46『車道側』

なんとも美しいサビだが、私はここで引っ掛かりを覚えた。「君よりも背が低かった少年」。出会った頃は少女よりも背が低かった。しかし時が経ち、身体は大きくなった、けれども心はそれに追いつかず、どうすればいいかわからない。そんな長い時の流れを暗示させる一節だ。

…本当にそれだけだろうか?

この描写こそが、『車道側』の秘密に辿り着く鍵なのである。

「筒井あやめ」に導かれた、幼馴染の恋の歌

幼馴染の関係を描いた作品というのは無数にあるが、日本の文学史の中で特に有名なのは、『伊勢物語』の二十三段「筒井筒」であろう。
筒井筒とは筒のように円く掘った井戸を囲う枠のことだ。「筒井筒」の物語は、幼い頃は井戸の枠に印をつけて背比べをしていたような幼馴染の男女が、成長するに伴い気恥ずかしくなってお互い会わなくなる、という場面から始まる。

背比べ…これだ。

そもそもタイトルの「筒井筒」が「筒井あやめ」すぎる。秋元康が『車道側』の歌詞を書くにあたって「筒井筒」に着想を求めたのはほとんど確実だろう。

ここで読んでいただいている方にはぜひ「筒井筒」の全文か現代語訳に目を通していただきたい(NHK高校講座のテキストが公開されているので個人的にはこちらをお勧めする)。『車道側』の歌詞とリンクする部分がいくつか見つかるだろう。

もちろん、「筒井筒」の冒頭と『車道側』とでは、「会っているか否か」という大きな違いがある。しかし、恥ずかしくなってお互いに会えなくなった「筒井筒」の二人と、「お互いの距離感が難しくな」り、「感情を逸らしてしまう」という『車道側』の少年、そこに介在する心の動きはぴたりと重なる。

いつだって幼馴染は近くて遠い

乃木坂46『車道側』

近くて遠いのは、『車道側』のふたりだけではない。千年前も現代も、幼馴染というのは近くて遠い存在なのだ。「君よりも背が低かった少年」という一節は、聴く者に「筒井筒」を連想させるトリガーなのであり、そうすることで普遍的な恋の形を描くことに成功したのだ。

「普遍の恋」からの脱却

しかし、『車道側』の歌詞は「筒井筒」をなぞるだけではない。むしろ、「筒井筒」的な普遍的幼馴染の関係からの脱却を目指している。それを暗示させるのが次の一節だ。

歩道も車道も気にしないで並ぶ

乃木坂46『車道側』

「筒井筒」の関係の中でポイントになるのは「比較」だ。あの頃より身長が伸びた。あの頃より髪が伸びた。それだけ長いときが経ったけれど、今でもあなたが好きだ。そうしてふたりは結ばれるのである。

だからこそ、秋元康はここで「並ぶ」という言葉を選んだのだ。筒井筒的恋愛観の中では、背丈や髪を媒介として常に比べられていた男女が、秋元康によって並べられたのである。ここに伝統的な幼馴染の関係は解体される。

では、秋元康はなぜ、ここでふたりを並べたのか?
答えるまでもない。それはもちろん、「あやレイ」を描くためである。

「あやレイ」という名の愛の形

2024年5月25日、よく晴れた日の12時3分。筒井あやめの親友である清宮レイが、乃木坂46からの卒業を発表した。まさに青天の霹靂であった。

そしてこの発表により、『車道側』は単なる筒井筒の歌ではない、新たな一面を覗かせるようになる。筒井あやめと清宮レイ、すなわち「あやレイ」の歌としての表情だ。

ひまわりの季節 あの頃の公園で
いつも どうでもいい近況を報告してる

乃木坂46『車道側』

いきなり「ひまわりの季節」である。8月1日生まれ、名前からして太陽の如き存在。清宮レイを思い浮かべずして誰を連想しろというのか。
加えてあやレイの会話はたいへんくだらないことで有名だ。最近公開された「乃木坂あそぶだけ」#56でも、好きなおにぎりの具の話で延々と盛り上がっている(のぎ動画入っている人は観てね)。

最近はあやめとお仕事があんまり一緒じゃないから会えてないですね~
この前エレベーターの扉が開いたらあやめがいたのであら不思議!でした。
そんな距離感。
あやめに気を許せるお友達がたくさんできてたら、とても安心です。
こうして私たちも大人になっていくのね~

清宮レイ 公式ブログ「制服ディズニー(〃ω〃) ?!

近頃は絶妙な距離感にいたというあやレイ。清宮レイは柴田柚菜をはじめ友人が多いが、筒井あやめはオンラインミート&グリートの定点カメラで自虐するほどに友達がいない。清宮レイはそんな彼女に友人ができることを望んでいるようだ。

そんな夢ばかりの瞳の向こうは 自分の道
大人になるって そういうことなんだ
それぞれの未来

乃木坂46『車道側』

あやレイすぎる。

単純な筒井筒の歌を解体し、普遍的な幼馴染の恋だけでなく、より広い愛の形を受け入れることとなった『車道側』の歌詞。そこに秋元康は、ふたりを知るものにはあやレイのこととしか思えないようなフレーズを織り交ぜた。あやレイという名の愛だ。その技の、なんと巧みな事であろうか。

普遍の恋は不変の愛へ

『車道側』の歌詞は最後、このように締められる。

どこにいたって 君のことが好きだ

乃木坂46『車道側』

「筒井筒」では、女が竜田山を越える男を心配する歌を詠む。まさしく「どこにいたって君のことが好きだ」である。ここに、筒井筒の如き普遍的な恋が描かれる。

他方で、あやレイである。清宮レイは友達が多いので、柴田柚菜でも、遠藤さくらで、田村真佑でも、まあ誰とでもどこへでも行ってしまうだろう。事実、2023年の夏休みには、先に柴田柚菜とオーストラリアを旅する計画を立てていると知って、筒井あやめは随分と落ち込んでいたようだ。
それでも筒井あやめは清宮レイを待ち続ける。それは、一途に清宮レイのことを想い続けているからに他ならない。「どこにいたって君のことが好きだ」である。

そしてこれは同時に、旅立つ清宮レイへのはなむけであり、これからも親友でいることの宣言でもあるのだ。「35thSGアンダーライブ」で披露された『車道側』では、最後このフレーズを歌う際に、清宮レイから筒井あやめへとカットが切り替わるように演出されていた。これもそのことを示唆している。
いくら清宮レイが「大人になる」ことを望んでも、筒井あやめの中で時は止まる。それはとこしえの想いを誓う、愛の言葉なのだ。

おわりに

「革命児のウォーミングアップ」。齋藤飛鳥が筒井あやめに授けた二つ名だ。彼女自身もこの名を大切に思っているようで、6月9日に開催された「35thSGアンダーライブ」千秋楽では、この名を引き合いに出したうえで、「乃木坂に革命を起こせる人になりたいです。」と語った。
ここまで当て書きした楽曲をプレゼントしているからには、きっと秋元康からの期待も大きいに違いない。
筒井あやめの今後に、そして清宮レイの未来に、期待は高まるばかりである。

参考文献

とりあえずアンダーライブのリピート配信に間に合うよう急いで執筆しています。後で参考文献はまとめますので、少々お待ちを。

最後に。愛するあやレイに、この記事を捧げます。

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