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受け取れなかった優しさ

あの日、気にかけてくれてた優しい人がいたのに、私はいつも下を向いていたから気づけなかったの。弱いのはあなたじゃなくて、私なのにあなたはあなたのなかに弱さを探す。知ってた。

助けてと言えればよかった。

ただただ言葉にならない言葉が水分となって溢れていく。あの日の自分をみていたあなたがいた。だからあなたになったなら私をみつけたとき強くなれるように負けなかった。たくさんの人が私たちをからかった。そして私はあなたとは恋愛関係になり得ないことを態度のみで知らせなきゃならなかった。それはただただ泣いてるあの日よりも辛いことで、自分以外を背負った痛みであり、強さだったよ。

そうだ、あの日私が出したS.O.Sは人気者でシャイな彼にはどうすればいいかわからないものだった。私たちは同じ国にいながら、違う空の下で生きていたから分かり合えなかった。違う空の下で同じ夢目指してた。

好きだよ。

伝えてみたんだ。それが世界の崩壊だと知らずに。幸せという名のパズルのピースが音を立てて崩れ落ちた。私の中のあなたは私を好きじゃいけなかった。

そう遥か昔、父が私を置いていった。永遠に。

父は私を好きじゃいけなかった。夢は叶っちゃいけなかった。

それと同様に、好きな人は私を好きじゃいけなかった。医者になりたいという同じ夢も追い続けて叶わないからよかった。あなたは夢を叶えてお医者さんだね。私は受験してるよ、あなたが勧めた文学部。叶わない恋、叶わない夢だから輝くの。終わらないの。

西野えほんさんや瀬戸口さんや蒔野さんの文章からインスパイアされた自叙伝的散文です。

よく本で読んだこと。それは発展途上国の人は日本人より物質がないのに豊かだということ。三島由紀夫さんではじめに読んで知ったのかな。医者になりたかった私はもちろん国境なき医師団に憧れて、そんな本をたくさん読み、また幸せとは何か考えた。

また"私という人"も減点法だった。成績も良く、容姿も良く、スポーツも芸術もできた私は"欠点"を探された。欠点が見つかるたびそれを改善しようと努力した。愛されてる感が全くなかった。100点でも当たり前だから誰も褒めない。最優秀賞でも当たり前だから誰もすごいと言わない。ある日私は病気になった。精神の病気。

それから私は不出来な子になった。病気から認知機能は低下し、本もろくに読めなくて、数学が全くできない。去年入った予備校では東大・京大クラスの最下位だった。薬の副作用でブスになるしデブになる。これは食事制限と運動を極限までしても50kgを切らないから、努力の範囲外だと思う。でも今の体重は努力の範囲内でどうにかなるだろう。

京大受験できるくらい、頭は復活したのだから。これからは体を鍛えるぞ。でも私は愛されるようになった。加点方式になったからだ。


私は愛を与えっぱなしで、受け取ることが怖かった。貧民は受け取ることができないプライドを持つゆえ貧民なんだと英文で読んだことがある。愛は与えっぱなしでも枯れない泉だ。

ただ、支援をする場合、金銭のほとんどは資本主義下の"賃金"のため、身が擦り切れていく。宝クジで当たったお金なら見返りがなくても、寄付したところで擦り減らない。もともと痛まなかったお金だからだ。ところで、私は生まれてこのかた働いたことがない。親に養われ、夫に養われ、子に養われる幸せな人生をおくるはずだったが、結婚で躓いたため、働くことになるだろう。苦労を知らないので年の割に若いというか、幼い。働きたいのだが、障害を持つためなかなか就労が難しいのだ。

あ、話がズレていく。だからクラファン支援をしても見返りがなくても別によかった。"私が痛んだお金じゃないから"そんな時、母が"私の気持ちも考えて"と言った。なんと現代日本において、私は有産階級で、母は労働者階級だったのだ。そんな母は、私が大金を払う西野さんや西野さん界隈が大嫌いで縁を切れと言ってくる。

着地点がわからなくなったけど、自分でモノを作ってそれが評価されて、母に恩返ししたいな。という美談にしとこう。匿名寄付の欺瞞などなど、論点はたくさんありますが。


p.s.これからえんとつ町Candyで小谷さんたちとお食事会です。もう一人のインターン生べぇくんも来るらしい!


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