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「これ、INTJのせいだったのか!」 INTJ女の生い立ちなど

一生1人で遊べる子供時代
兄姉と歳の離れた末っ子として生まれ、大人に囲まれた環境で育って遊び相手がいなかったことが理由かと思っていたのですが、元々INTJで1人が好きだった可能性が出てきました。
いや、1人で過ごしすぎて1人が好きになってINTJになったのかもしれない。
特別新しいおもちゃや子ども向けの本などを与えられることは多くなく、お下がりに囲まれて毎日過ごしていると新しいものを求めて大人向けの小説なんかにも少しずつ手を出すようになっていき、小学校を卒業する頃には分厚いファンタジー小説を図書室で借り、食事をする間も寝る間も惜しんで読み続けるのが定番の楽しみでした。他に熱中したものといえば1000ピース程度のパズル。一気に完成させて母(恐らくISFP)を驚愕させていました。集中力強め。
なのでたぶんこの頃からINTJだったけど友達はいました。小学校ではなぜか気の合う友達が見つかってほぼほぼ一緒に過ごすという快適な日々でした。一緒に図書室行って、一緒に絵を描いて、百人一首覚えるの付き合ってくれたり、理解できない学校のルールに文句言ったり。彼女は今考えると恐らくINFJかな。だから居心地が良かったのかな。今度聞いてみます。
でも団体行動は苦手だった。人がいればいるほど合わせないといけない。意見を聞かないといけない。気を遣わないといけない。仲良しが休みの日(結構多かった)はしんどすぎたし中学から別々だったのは人生のハードモード突入だったと思います。修学旅行の部屋割やらバスの席やら本当に面倒だったけどまあ意外と要領がいいのでなんとか乗り切れて本当に良かった。
ちなみに幼なじみと呼べる人間もいるのですが、彼女は集団行動好きの気分屋であまりに違いすぎるのでお互い理解はしているけど付かず離れずの関係性です。彼女から協調性が必要だという現実を押し付けられ、押しのけてここまで来ました。
協調性というものは必要なのか必要ないのか、また答えが出ない問いです。

知識欲を満たそうとしていた思春期
幼少期から基本的に知らないことがあると大人だらけの家族にバカにされる環境で育ったので、それが悔しくて知識を得たかったのだと思っていたけど、これもINTJ特性だったのかと今は思います。幼い時習い事も勉強もなんでもしてみたいと思っていたのも本来は積極的ではない性格を考えると『知りたい!』という欲が強かったのでしょう。読んだことのない本がたくさんあるからという理由で歯医者も好きだという珍しい子どもでした。辞書読んだりしたのもあるあるな気がする。
中学生では映画、ハリウッドの世界にハマって見漁り、自分の知らない世界を現実、フィクションともに知ることができるのが人生の喜びでした。その後ハマったものについても調べに調べたし、調べ尽くして概ね理解したと感じたら熱意がなくなった趣味も多々あります。今も昔も語学が比較的好きで、勉強してマスターしたいというよりはずっと趣味程度。世界にも興味津々なのでもっと健康だったら世界中を旅していただろうし、海外で暮らしていた可能性が高いですね。協調性の国には合わないタイプなので。
そして今16タイプ診断について調べまくっているという。

合理的、懐疑的、独創的
私が3才ぐらいの頃母が少し体調を崩し、私が押し入れに仕舞われている中で一番下の母の敷布団を引っ張り出して敷いて寝かせてくれたパワーと独創性(と優しさ)に母は感動していたらしい。一番下の布団を出すには上の布団をどけないといけないなんて先入観がなく、下だけ引っ張れば出せるだろうと考えますよね。合理的だから。この調子で時折無謀そうと言われる挑戦に勝利するケースは人生で多いけど、多いのであまり記憶していません。自分にとっては当然の勝利なのかもしれない。
比較的似たタイプの父親(ENTJ?ISTJ?)には「知恵者」などと呼ばれて歓迎されていたけど、外の世界の大人には賛否両論というか、否多数かな。たまーに気に入ってくれる人がいた反面かなり嫌われていたことに当時は気づいていなかったと思います。小学6年の担任教師とか。まあ、ルールに疑問を挟んで輪を乱すしちゃんと授業聞いてないのに100点取れて生意気だし、高得点を量産する小学生なんて教師にはなんのメリットもないし迷惑だったことでしょう。先生に嫌われがちというINTJあるあるを読んでそういうことだったのかと納得しました。
小学校で言うとオール文章問題テスト(算数)というのが1度あって、クラスで唯一満点を取ったことがINTJらしかったと今思います。懐疑的だから皆が引っかかる引っかけ問題に引っかからなかったという。授業関係で言うと理解が遅いオトモダチのせいで授業のペースが遅いのは嫌なので教えてあげたりもしていた。
中高生の頃はこの能力を悪知恵に使っていて、我儘を言わずに家族を動かして目的(旅行先や娯楽の選択など)を果たすことが多かったように思います。社会で気を遣い過ぎて疲れちゃう自分はエネルギーを節約しないといけなくて快適さを必要としているから融通してもらうのは妥当なことだと思っていた。
悪知恵×末っ子=悪魔
ということですね。この頃から「小悪魔」と呼ばれていたな。大人になっても言われるとは思わなかったけど。
あるあるの「外面がいい」にも完全同意。見た目と言えば「変な虫が寄り付かなそう」とか「クールビューティー」とか言われがちだったのも感情表現が苦手で無表情になりがちなのと関係していたのは面白かった。小さい頃の写真でも半分ぐらいは無表情で半分ぐらいは眉間にシワが寄っていて、ずっと考え事をしている論理的なINTJの顔でした。恐らくこのお陰で変な人に絡まれる率が本当に低くてありがたい。
論理的な子どもって?と、感情タイプの方は思うかもしれないのですが、例えば親に叱られる理由がわからなくて、納得いかないから同じことをしてしまってまた叱られるアレ、わかるように言ってくれたら良かったのになと思います。ちゃんと説明されて納得できれば従えたのに。まあ説明できる決まりばかりじゃないし、子どもにわかるように説明するって大変だから仕方なかったなと受け入れてもいるけど。もしNTタイプのお子さんがいらしたら説明をしっかりしてあげておくれと思いますね。罰則や脅しより100倍効果的なので。ちなみに、みんなが大嫌いで有名な注射というのがありますが、生後9ヶ月の際「ちょっとチクッとするけど大丈夫だからね」と説明されて納得できたらしく一度も泣いたことがないらしいですし、いつの間にかワクワクする好きなイベントになっていました。恐れる必要がないことを理解できたので。高いところも絶叫マシンも論理的に安全ならば怖いとは思わないです。
比較的器用でいろんなことができるのになぜこの子は挨拶と返事がこんなにできないのだろうと母は困っていたらしい。必要性を理解できていなかったのだと思います。理解したので今はちゃんと挨拶も返事もできます。グループLINEではする方が迷惑だと信じているので基本しませんが。
幼い時母が私に怒って、「もう、好きにしなさい」と言ったら本当に好きなことを始めたということもあったそうです。本心を言っていない可能性なんて考えなかったんだろうな。INTJっぽい。
今は空気読むの割と得意だと思ってるけど、あまりに色んな人の考えてることを考えすぎると疲れるから考えすぎないようにしてたりあえて無視したりする。

そんなこんなで、振り返ってみると、よく「生きづらい」と言われているINTJにしては楽をさせてもらった幼少期だったかなと思います。
家族や友人に感謝しなければ。
感謝するのも苦手だけども。

ありがたい人達に囲まれていた以外にINTJとして生まれ育って工夫してきたこと、苦労したことなんかもこれから書いていこうと思います。
よろしければ引き続きお付き合いください。

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