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日本一周(東日本編:13日目)第三の故郷を離れ宮城県入り

1 第三の故郷、浜通りを巡る

まずは、常磐線の小高駅。私が災害派遣された時(以下「当時」という。)は、常磐線が津波の被害に遭い、この小高駅も使われていなかった。駅の線路間際まで津波が到達し、線路は草だらけだった記憶がある。
あの小高駅が、常磐線が開通して駅としても使われているので、かなり綺麗になっている。人はいないようで「用事がある場合はインターフォンでお願いします」と案内があった。

6国(国道6号)から見える範囲であるが、小高区周辺の水田は、田植えをしてあるところと、未だに放置されているところがあり、希望と失望と差が大きいなと感じた。
小高の街中は、小高神社で野馬懸けが行われるようで人が多かった。

道の駅 南相馬は、10年前と全く変わっていない。震災前からある道の駅であるので、昨晩過ごした浪江の道の駅のように復興財源が入っておらず、初期の道の駅の形態となっている。
それでも道の駅で朝8時から営業しているのは凄い。ここで朝食を買えば良かったと少し後悔。思いがけず、道の駅スタンプも押すことができた。

当時、周辺には災害仮設住宅がたくさん作られていたが、今では全て撤去されている。ここの仮設住宅では、桜の木から発生する毛虫の駆除を一生懸命やった記憶がある。

東日本大震災からずいぶんと経過したが、大きく変わったところと全く変わっていないとこの差が大きい。海岸から近い方はどうしても遅れているし、原発に近くなればやはり遅れの差は激しい。

南相馬市内の原町を中心に周回してみた。当時の私の生活圏で、もう懐かしいとしか言いようのない。南相馬市内で最大の戸数があった仮設住宅と隣接していたイオンスーパーセンターには、毎日行っていたよ。当時は、昼食の弁当も含め自炊生活だった。開いている店舗が少ない中で、このイオンには本当にお世話になった。

市役所庁舎は以前と変わらないが、今後の建て替えの方針が決定しているとの事。ゆめハットの駐車場の方に移設されるらしい。
庁舎正面の横断幕の数がすごいなと。

市内の全体的な印象は、当時と比較すれば落ち着いた感があるが、基本的にはカラー(印象・イメージ)は変わらない街の姿に安心した。
また、市内各所にコンビニの数は、かなり増えている。
当時、閉店していたモスバーガーやココスなども営業しており、通常の社会経済が復活していると、改めて感じている。

もう来ることはないかもしれない。けれども、心から更なる復興を切に願ところである。

2 二日ぶりの入浴は天然温泉つるしの湯

新地町にあるこの温泉施設は、宿泊施設に併設されていて、JAF割引適用で750円(50円引き)。館内は綺麗で適切に管理されていて、ととも安心してノンビリできる施設であった。一時間ほど、まったりと過ごす。

3 焼き魚定食に満足

昼食は、20メートルを超える津波の襲来を受けた福島県松川浦。当時、松川浦の「たこ八」という海鮮系の料理屋さんは、安くて美味しいと地元の方に言われ何度も通ったものである。
しかしながら、なんか観光地化しちゃっていて(観光バスが寄る、客単価2000円超えの観光地価格)いて、順番待ちでもあったので興醒めし、松川浦港の近くの「食菜ととや」に飛び込みで入ってみた。

店舗の造り飯場の事務所のような素朴な建物で、メニューを見るとものすごく安いじゃん。焼き魚定食を注文する。「魚は何にする?カレイと鯖があるけど」と言われたので鯖は明日に食べられると思う(金華さば)ので、カレイをお願いした。
お客さんは、私一人であったが、おばちゃんが20分も掛けてカレイの塩焼きを焼いてくれた。いやほんと、すごく美味しかった。税込で1100円、安い。
うん、こういうのを求めているのだよ。

4 日本一標高の低い日和山に登山

これもコンテンツとして面白い。日本一低い標高3メートルの日和山。ほとんど山の形態になっていない。
背後にある巨大な防潮堤の方が高いのが笑える。

5 総括

走行距離
151.6km、細かく移動したので距離数は伸びたが、実際はたいして移動していない。県境は超え、宮城県入り。

<経費>
朝食(コンビニパン)138円
入浴(つるしの湯)850円
ガソリン17.40L 2906円
昼食(カレイの塩焼き定食)1100円
夕食(COOP、弁当など)505円

総額 5499円

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