戦前の学校制度(1) 小中学校

戦前の学校の話を書いてみる。

なぜかと言うと、今の教育の諸問題が戦前の学校制度や教育事情とつながっているように思うからである。
そして戦前の学校情報が今は忘れられようとしているが、SNSで議論されている話も昔の学校制度を知っていたらそんなに不思議な話ではないのに、と思うことがあるのでここに書き残そうと思ったわけだ。

戦前の学校のことをなぜ知っているのかと言うと、私や友人の両親や学生時代の先生たちは戦前の学校を卒業しており、その時の話をいろいろも聞いていて馴染みがあるのと、医学部を出て地方の病院に勤めて各地の教育事情を聞いたことや、某地方単科医大に所属していた時地元の国立大学との併合を経験し双方の事情を聞いた、など昔の学校の事情に触れることが多かったため妙に詳しくなってしまったのである。

別に学術論文ではなく思いつくままなので誤解や単純な間違いがあるかもしれないが興味のある方は詳しくは各自調べてもらうと言うことで。


戦前と言っても明治維新から終戦直後まで80年くらいある


明治維新後、学校制度も手探りで試行錯誤しながら発展していったので増改築を繰り返した建物のような入り組んだ制度になっている。
初めの頃と終戦直後では随分違う。
なのであまり詳しく説明すると複雑で訳がわからないのでとりあえずざっくり書いてみる。
旧制**とあるのは戦前の学校で、新制**は戦後の学校のことを指している。

小学校

まず。小学校が6年。これは新制も旧制も同じ。
戦前は義務教育が小学校までなので、何もしなければここで終わり。と言うか明治の頃はこれさえまともに行けない人がいた。

でその後大学その他、上の学校に行きたいなら中学校に行く必要がある。ここからは今と違う。まず、旧制中学校は5年制である。男子のみ。
女子は高等女学校でこちらは修業年数に時代によって幅があり4-6年くらいであったが、卒業後さらに上の学校に行くことはあまり想定されていない。行こうと思えば行けないこともなかったが困難であった。

高等小学校という学校もあったがややこしくなるので今は触れない。

戦前の中学校・高等女学校とは今で言う中学高校である。


ここが一番紛らわしいところで、戦前の中学校(女子は高等女学校)とは今で言う中学高校である。
現在私立中高一貫教育校と言われているところは戦前は私立の中学校・高等女学校だったのである。
今も男子校、女子校が多いのは戦前のままだからである。
戦前からある私立中高一貫校は進学実績を上げるために中学高校をくっつけたわけではない。

じゃ、公立はどうかと言うと、こちらも同じく戦前は中学校などで5年制だったのが、戦後に新制中学3年までが義務教育になったので就業年数が3年に短縮されて新制の高等学校になったのである。
新制になって男女共学になったところもある。

麻布も開成も戦前は単に中学校だったのだ。戦後の学校制度の変更に伴い中高二つに分けただけである。
都立日比谷高校は東京府立第一中学校だったが制度変更で高校だけになったのだ。
また、これら3校はいずれも東大入学を目標とした学校であったが、当然ながら、全ての中学校が東大進学のための学校だったわけではない。今と同じである。

で、戦前は大学に行きたいなら公立私立問わず中学受験するのが普通の方法であった。

私自身も東京の私立中高一貫校の出身で中学受験をしたのだが、母は受験勉強する小学生の私を特に可哀想だと思わなかったと言っていた。なぜなら戦前ならそんなの当然だから、だそうだ。

中学受験組で大成したやつはいない、とかなんとか言う人がいるがそれは何も知らないだけである。
戦前なら上の学校に行くには中学受験はほとんど必須であるし、公立高校も戦前は中学校だったのだから。
そして昔は身分制度も残っていてエリートと一般人はもっとはっきり分けられていた。

なお、戦前にも高等学校という学校があったが全然違うものなので注意が必要である。


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