旧制商大と旧帝大文系学部

私は理系で経済学、商学部には行ったことがないし、企業に就職したこともないのでよく知らないのだが、以前旧制工業学校について書き、バランスの問題もあるので旧制商業についても知っている範囲で書いておこう。

商学、農学については学問というより実務が重要なこともあり、帝国大学に組み込まれるのは後になった。

工学部にしてもまず東京帝国大学に設置されたものの実務家の養成を主体とする学校が別に必要であった。
そのため各地の産業構造に合わせて工業が盛んな地域には高等工業学校、同様に商業が盛んなら高等商業学校、農業が中心なら高等農林学校が作られた。
これらは今の工業高校、商業高校などとは異なり、基本的には今の大学に相当するのだ。
これが戦後、地方国立大学工学部、経済学部、農学部になるのである。今でも地場産業と結びついているのが特徴である。


全国に高等商業学校(高商)が多数設立されたが、東京高等商業学校、神戸高等商業学校、大阪高等商業学校(公立)の三校が有力であった。(三高商)


旧制高等商業学校→旧制商科大学


旧制東京高等商業学校(今の一橋大学)は当時、帝国大学に商業科がなかったので徐々に拡大し、大学に匹敵する規模と内容を誇るようになった。
神戸にも神戸高等商業学校があり評価を上げていた。

また私学もどんどん伸びてきていた。
当時実業界で最も評判が良かったのは慶應義塾の理財科(経済学部)であったらしい。

東京高等商業も慶應義塾も(早稲田なども)実質的に帝国大学同等の修業年数、教育内容であり、大学への昇格を求めてきたが、なかなか実現しないでいた。

当時の政府は帝国大学が実業界で遅れを取っているのに焦ったのか、高等商業学校の大学昇格を後回しにして、東京帝大、京都帝大に経済学部、商業科などを先に設立した。
これはのちに批判を受けることになる。


その後三高商のうち東京高等商業学校、神戸高等商業学校の二校はそれぞれ旧制東京商科大学(今の一橋大)、旧制神戸商業大学(今の神戸大)になり、早稲田、慶応も大学に昇格していく。
大阪高等商業学校は大阪市立であったため大学昇格には更に法改正が必要であり、遅れて大学に昇格した。(今の大阪公立大)

戦前の(国立)大学というのは今の大学院のような位置づけである。
なので旧制東京商科大学は他の旧制高等商業学校(今の大学経済学部)の卒業生も入学する学校になる。

今もビジネスでは一橋、慶応が強く、東大は後からまあ追いついたと言えるが、京大は追いつけていないようだ。(神戸大には追いついたか)

まあ、それも仕方がないように思う。

今は忘れられているが、私が学生のころ(40年前)京大経済学部はまだマルクス経済学(!)で有名だったのである。
京大が研究重視の学校で、こんな経緯であることも考えればビジネスにもう一つ弱いのも納得がいくのではないか。

更に言うなら京大はすべての学部が東大より後に設立され、上記のように経済学部は慶応、一橋、神戸大のほうが先行したし、それだけでなく法学部は早慶、明治法政中央などの法律学校系より後の設立、医学部は旧六医大、京都府立医大より後、工学部も東京高等工業(東工大の前身)、大阪高等工業(阪大工学部の前身)よりも後の設立である。
つまり京大は、日本のほとんどの有名大学より後に設立されているのである。
京都という遷都後寂れてしまった土地にあるのもマイナスである。

一方で京大以前に設立した大学は実務系の学校が多い。文明開化して間もなく、日清戦争も控えておりのんびり研究をやっている場合ではなかったこともあるのだろう。

その他の旧帝大は更に後の設立で、経済学部ができるのは戦後である。
前にも書いたが旧帝大は理系中心なのだ。
戦前の東北大、九大、北大では文系については法文学部と言って、法学部と文学部その他文系をいろいろ一緒にしたような学部があるだけで独立した経済学部はなく、阪大、名大は理・工・医だけで法文学部さえもなかった。


旧帝大の文系は早慶と比べて、それどころか関関同立、MARCHと比べてもあまりパッとしないように見えるのはもともと地方旧帝大は研究志向でビジネス系の学校ではないからなのだ。


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