禍話リライト「四面のある部屋」
こんな空き家があるらしい。
団地群のなかにある家。
不動産会社が雑草を刈り手入れしている家。
外観はごく普通だが、表札が無いので住人がいないとわかる家。
その一室にお面がある家。
お面がある部屋がヤバい、と噂されている家。
かつて住んでいたのは自称人形師の男性だったそうだ。サラリーマンだった男性は、ある芸術家の夫婦にそそのかされて人形師への転身を決意したらしい。夫婦の名前も家にまつわる噂話として囁かれているが、そんな名前の人物は実在しない。男性は騙されたのかもしれない。
人形師となった男性は家にこもり製作に没頭した。
どれもこれも失敗だ、魂がこもっていない、などと大声で叫びながら作品を壊したり庭で焼いたりするので周辺住民は怯えていたが、人形師はやがてお面を作るようになった。会心の出来だと喜んで、お面は焼かなかった。四つ作って完成だ、これで四すくみだ、というようなことを言っていたそうだ。お面はそれぞれ喜怒哀楽を表したものらしい。
そのうち、人形師が近所の家々に挨拶に訪れた。「ありがとうございます、おかげで完成しました」と言われても、周辺住民は遠巻きに眺めていただけである。それでも人形師が嬉しそうに酒を配って回るので、不思議に思っていた。
その日の夜、人形師は家の玄関で首を括って死んだ。
そんないわれのある家だが、家族がお金を出しているのか今も残っている。そこに行こうと盛り上がったヤンキーのグループがあった。
男女混合のメンバーで車に乗り込み噂の家に向かったそうだ。近くまで来たときに、それまで平気そうにしていたAちゃんが泣き出した。言い出しっぺの男と付き合っている子だ。ぜったい行きたくないと泣いて泣いて、泣きすぎて吐きそうになるくらいだった。そんなに嫌ならやめておこうと、Aちゃんは車内灯とエンジンをつけたままの車に残ることになった。
残りのメンバーは車を降りて、窓から家に侵入した。噂では、お面があるのは奥の部屋らしい。
襖を開けた途端、彼らは「ヤバい部屋だ」と察知した。霊感の有無の問題ではない。漆の色なのか、部屋中が真っ赤に染まっている。中央には四つのお面。喜怒哀楽のお面だ。お互い向かい合うように台座に載せられている。
「うわぁこえー」
「なんでこんなもんずっと残ってんの」
「わかんねえ、こえー」
真っ赤な部屋の床の間には、文字が書かれた和紙があった。達筆すぎるというか、下手な字だ。
〝感情の四つがお互いを向く事によって完結する〟
〝全ての感情がひとつになったらそれを超えたものになれる〟
他にもよくわからない抽象的なことが書き連ねられている。
「うっわ、こえー」
「こえーよ、帰ろ」
ひとしきり怖い怖いと言い合って、彼らは帰ることにした。庭に出たあたりで、女性の話し声が聞こえたのだそうだ。楽しそうにはしゃぐような声。Aちゃんの声だ。
「けっこう楽しそうだな」
「携帯で誰かと話してるんすかね」
「なんだ、元気じゃねえか」
「単純に家のなかが怖かっただけなんだな」
車内に戻ると、Aちゃんが「おかえりー、どうだった?」と迎えてくれた。
「怖かったよ」
「ふーん」
ろくに話を聞いていない。
あの泣きじゃくったやり取りは何だったんだ。そう思いながらも彼氏である男は自分の家で飲もうと提案し、みんなで彼のマンションに向かったそうだ。
飲み始めて少し経ったころ、Aちゃんが立ち上がり「あ、ちょっと待って」と居間を出て行った。彼氏もついて行く。
「何か忘れたのかな」
「玄関にポーンってハンドバッグ置いて入っちゃったから、取りに行ってんじゃないの」
ほかのメンバーは酒を飲み続ける。怖い思いをしたこともあってか、ハイペースで酒が消えていく。
「……戻って来ねえな」
「うん」
玄関のほうから押し問答をしているような男女の声が聞こえる。部屋の主の男とAちゃんの声だ。まあいいやと飲み続けていたら、バーンと玄関のドアを閉める音が聞こえた。それからガチャガチャと鍵を掛ける音。
見に行ってみると、彼氏のほうが慌てた様子でドアにチェーンを掛けている。
「警察、警察……!」
ドアの外からは、ガリガリガリ、ガリガリガリ、と音がする。硬いものでドアを削っているような。
「え、なになに痴話喧嘩?」
「痴話喧嘩で刃物を持ち出したとか?」
「違うんだよやべえんだよ、警察、……警察? 病院? ん、お祓い?」
「どうしたんすか?」
彼の話によれば、Aちゃんが「いっけなーい」と言って玄関に置きっぱなしだったハンドバッグを取ったらしい。なんとなくついて行った彼が「どうしたんだよ」と見ている先で、Aちゃんが取り出したものは——喜んでいる顔のお面だった。間違いなく、あの赤い部屋で見たお面だ。誰ひとり持ち出していないはずだし、Aちゃんは車に残っていた。ハンドバッグもAちゃんが持っていた。だが、いま目の前で、Aちゃんのハンドバッグからあのお面が出てきた。
「これこれ」
Aちゃんはお面を着けて紐を結んだ。普通の結び方ではなかったらしい。Aちゃんが知らないだろうやり方で後頭部に華やかな結び目が出来上がった瞬間、彼氏は「Aちゃんじゃない」と感じたそうだ。ふーっ、と何かが抜けたようにうつむいたあと、パッと顔を上げたAちゃんは辺りをキョロキョロと見回した。手探りで壁に触れて、何かを探しているようだった。玄関先にはドアノブの修理で出しっぱなしにしていたマイナスドライバーがあった。
「これこれ〜!」
Aちゃんの声で言って、掴み取る。
そのまま自分に襲いかかってきそうな雰囲気だったので、彼はAちゃんを玄関の外に締め出したのだと言う。
「え、じゃあこれAちゃんがやってるの?」
ガリガリガリガリ。ガリガリガリガリ。ずっと音は続いている。
「どうするんすか」
「お前ら、お面持って来たか?」
「持って来るわけないじゃないすかあんなの、触ることも出来ませんでしたよ」
ガリガリガリガリ。ガリガリガリガリ。ずっと音は続いている。それに加えて「キャハハ、キャハハ」と笑う声も聞こえてきた。そんな笑い方をする子じゃない。
「あれもうAちゃんじゃないよ……」
覗き穴から見てみると、喜びのお面を被ったAちゃんがマイナスドライバーでガリガリやっている。
どうしようどうしようと迷っているうちに、ピンポーン、という音が鳴った。エレベーターが着いた音だ。同じ階のほかの住人が帰ってきたのだ。エレベーターのドアが開く音。そちらに向かって移動する「キャハハ」という笑い声。男性の悲鳴。ザクザクという音。
さっきまでとは別の問題になってしまった。バットなど武器になる物を持ち、みんなで飛び出したそうだ。
襲われていたのは隣の部屋のサラリーマンだった。Aちゃんはサラリーマンに馬乗りになって腕を振り下ろしている。これはAちゃんだけどAちゃんじゃなくて、でもAちゃんではあるけれど、致し方ない。小さな背中をバットで殴りつけ、横に転がした。
Aちゃんが女性で力が弱かったからか、傷が浅く致命傷にはなっていないようだった。「痛い、なんで、なんで……」とサラリーマンは呻いている。
「もうしょうがない、警察呼べ警察!」
あれよあれよという間に大騒動になってしまった。
Aちゃんはパトカーに乗せられて、当然と言うべきか、駆けつけた警官から薬物使用の疑いをかけられたそうだ。仲間のヤンキーたちは、信じてもらえないだろうけど、とお面の家の話をした。二人組の警官の若いほうは「なに言ってんだこいつら、ぜったいクスリだろ」とでも言いたげな顔をしていた。しかし年配のほうの警官は「バカなことをしたもんだ」という顔をしていたらしい。
「……開くんだよな、あそこの窓が。下からグッてやったら開くだろ」
年配のほうの警官がそう言った。
「あ、はい……?」
「行く奴いるんだよなあ。で、こういうことになるんだよ。こういうことになってみんな行くのやめようってなって、ほとぼりが冷めたころにまた誰か行くんだよ。……開くんだよあそこ。何回換えても駄目なんだよ」
「え、換えてるんですか」
「業者が換えたけどあそこだけぜったい開くんだよ。建て付けとかじゃないんだよ。あそこだけ開くようになってるんだよ」
開くように、なっている。
言葉を失った若者たちに、警官は問いかけた。
「で、今回はどんな顔だったの?」
「…………喜び、みたいな顔で……」
「そっかあ」
若いほうの警官が「何なんですかそれ」と割って入った。お面など見つからなかったと言う。
「見つからないよ、見つからない。一応薬物検査させてもらうけどね、クスリも見つからないしお面も見つからないよ」
「でもAちゃんまだ被ってるんじゃ……」
「ほらよく見てみなよ、被ってないよ」
パトカーに乗っている女の子はAちゃんの顔で、お面を被っていなかった。Aちゃんが喜びの表情を浮かべているだけだった。
「一晩くらい経ったら元に戻るけどね」
警官の言葉通り、一晩警察のお世話になったAちゃんはいつものAちゃんに戻っていた。昨夜サラリーマンを襲ったことは記憶に無いらしい。薬物検査の結果も異常なし。
彼氏は年配のほうの警官に尋ねたのだそうだ。
「お面があの家に戻るって、物理的にありえなくないですか?」
「そこだけわからないんだよねえ。お面そのものじゃなくて、喜怒哀楽のどれかの表情が張り付いてるってことかもしれないしね」
では、あの紐の結び目は幻覚だったのだろうか。今となってはそれもわからない。彼はAちゃんと別れたのだそうだ。
※「震!禍話 二十一夜」より
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