禍話リライト「トントントンの家」
〝クズな幼馴染み〟とは、とA子さんの評である。
十数年前、A子さんが大学生の夏休みのことだったという。
幼馴染みのB子さんから、バイトをしないかと持ちかけられたそうだ。お盆のあいだ、親戚の家に二、三日泊まるだけで五万円貰えるという話だった。
「本当?」
「ほんとほんと。あんたに五万あげるから来なよ」
B子さんがA子さんに五万円くれるということは、B子さんはもっと貰う約束なのだろう。容易に推察できたが、五万円だって嬉しい。A子さんは引き受けることにした。
当日、待ち合わせ場所からB子さんの家のほうに行くのかと思ったら違う方向だった。着いたのは過疎化したような地域で、周囲に家がない中にぽつんと一軒家が建っていた。ごく普通の二階建ての家だ。二人で泊まるのかと思っていたが、B子さんは彼氏のBくんを連れて来ていた。
お盆のあいだ二、三日過ごすだけで五万円なんて割のいいバイトだ。そう思ったけれど、広い家の中は、誰も掃除をしていないようで埃が積もっている。それをA子さんは一人で掃除したらしい。B子さんとBくんから押しつけられる形だったが、断れない性格が災いした。
A子さん一人では二階まで手が回らなかったのでそちらは置いておいて、三人はコンビニに行き、買ってきた弁当を家で食べた。その夜は、掃除が済んでいる一階の部屋で寝ることにしたのだそうだ。
案の定と言うべきか、すぐにB子さんとBくんがいちゃつき始めた。襖一枚隔てた隣の部屋で寝ているA子さんのことなどお構いなしだ。
A子さんは離れた部屋に避難して、眠りに就いた。
それは、明け方のことだったという。
ふと目を覚ましたA子さんは、足音のようなものを聞いた。
たんたんたん。たんたんたん。
二階からだ。同じリズムで、繰り返し、動き回っている。
ネズミではないだろう。では猫か。わからないが、ただ音が聞こえるだけだったので、A子さんはそのまま寝直した。
次に目を覚ましたとき、時刻は正午を過ぎていたそうだ。いつもはどんなに遅く寝ても七時には起きるのに。
不思議に思いながら鏡を見れば、目の下に濃いクマができていた。じゅうぶん寝たはずなのにおかしなことだ。
首を傾げていたら、B子さんの話し声が聞こえた。彼氏相手という感じではない。行ってみると、B子さんは携帯電話を持っている。このバイトの依頼主である親戚のおじさんと話しているようだ。なんだか怒られているみたいで、「えーそうなの? わかったわかった」と応える表情は面倒くさそうだ。
「わかった、今日はちゃんとするから」
そう言って、B子さんは電話を切った。
「なに、どうしたの?」
「なんかぁ、おじさんが言いつけ守ってないだろって。あたしテキトーにハイハイって聞いてたからさ。ただ泊まればいいんじゃないんだって。ちゃんと言ってくれないとわかんなくない?」
「え……どうしろって?」
「なんだっけ……二階で、血族の女が寝ないとダメなんだってさ。変な言い方するよね」
「じゃあ寝なきゃ駄目じゃん」
血族の女というならB子さんの役割だ。
「えー、別によくない? あ、あんた寝てよ。いいじゃん女なんだから」
「えっ……」
彼氏のBくんまで「お前が寝ろよ」と加勢する。
何なんだ偉そうに、と腹が立ったものの、五万円のバイトである。
「……私が寝ればいいんでしょ、はいはい」
「うん、二階で誰か寝りゃいいと思うよ」
そんなわけで、二日目の夜、A子さんは二階に上がったのだそうだ。
掃除できていなかったので、自分が寝るスペースだけきれいにして就寝した。
A子さんが起きたのは明け方、四時ごろだったそうだ。
だんだんだん。だんだんだん。
一階から大きな音が聞こえている。そのせいで目が覚めてしまったのだ。驚いて、布団から出て、部屋を出て、A子さんは階段から一階の様子をうかがった。しかし真っ暗で何も見えない。電気もついていない。
だんだんだん。だんだんだん。
A子さんがそうしているあいだにも、大きな音は繰り返し響いている。跳ね回る足音みたいだ。
怖い。けれど降りていく勇気もない。音は二階に上がって来ないようだったので、A子さんは布団で耳をふさいで無理やり寝た。
それから目が覚めたときには十四時になっていたそうだ。不思議に思いながら鏡を見れば、目の下のクマがいっそう濃くなっていた。
階段を降りる途中、階下からB子さんの携帯電話の着信音が聞こえてきた。誰も電話に出ないようで、鳴り続けている。
一階の部屋を覗くと、B子さんもBくんも起きていた。それなのに、何もせず、ただ携帯電話を見ているだけだ。
「どうしたの、出ないの?」
「あんたが出てよ」
「そうだよお前が出ろよ」
「え?」
「あんた元気そうだから出てよ。あたしら熱あるから」
B子さんが半笑いで言う。
何なんだ、と思いながら、A子さんは電話に出る。
「もしもし」
『……どなたですか?』
男性の声だ。電話をかけてきたのはB子さんのおじさんだった。
私は幼馴染みで付き合いで来ているんです、とA子さんは事情を説明した。二階で寝たことは言わなかったそうだ。
説明を聞いたおじさんは、深い深いため息をついた。
『なるほどねえ……。そうか、それでかあ……』
おじさんの声に混じってざわざわと人の話し声が聞こえる。おじさんの背後で何かを相談し合っているような雰囲気だ。A子さんは不安になってきた。
『うーん……。で、B子ちゃんはどうしてる?』
「横にいますけど、……電話に出ようとしないんですよ。熱があるって言ってて」
『あー、熱があるって言ってるんだあ……そうかあ……。きみはどうなの?』
「私は特に熱はないですけど……。目の下のクマがひどいくらいで」
『なるほどねえ。……きみは大丈夫みたいだから、きみだけでも帰りなさい』
「はい?」
『わたしはね、ちょっと遠いところにいるんでね。明日行って、その家は閉めるから』
閉める、とは。
A子さんは妙な表現を疑問に思ったが、追及せずに通話を終えた。
「……おじさんが、私だけでも帰れって」
「へー、帰るの?」
B子さんもBくんも、ぼーっとしていて視点が定まらない。座ったままで立ち上がろうともしない。何なんだこいつら。嫌になってきたA子さんは帰ってしまってもいいと思ったが、B子さんの言葉で考えを変えた。
「えーでもあんたさぁ、帰ったらお金貰えないんじゃないの? あたしもめんどくさいよ、あとであんたに会ってお金渡そうなんて思わないよ?」
「…………」
そうだった。五万円の報酬を得られるのだった。
おじさんは明日ここに来るらしいし、そのときに貰えばいいだろう。
A子さんは三日目も泊まることにした。
B子さんとBくんの様子はおかしいままで、何も食べたくないと言う。仕方がないので無理やり栄養補助食品のゼリーなんかを飲ませたが、それも半分残してしまう状態だった。
いま考えたらぜったい逃げてるはずなんだけど、とは、この話を聞かせてくれたときのA子さんの談だ。その場の妙な雰囲気に呑まれて、三日目の夜も二階で寝ることにしたのだそうだ。
あの音は何だったんだろうと思いながら眠りに就いて、……明け方、A子さんはやはり大きな音で目を覚ました。
だんだんだん。だんだんだん。
昨夜と同じ音だ。
昨夜と違ったのは、その音が二階に上がって来るんじゃないかという気がしたことだ。
怖い。でも、確認しよう。何の音か見極めよう。
A子さんは、静かに階段を降りていった。ずっと音は鳴り続けている。
一階は真っ暗だったが、どの部屋にいるのかはわかる。音の発信源は一階の和室だ。仏壇をどかしたような跡があった和室だ。
部屋の前までやって来たA子さんは、そっと、細く、襖を開けて中を覗く。
暗い部屋の中に、三人いた。
縦一列に並んで飛び跳ねている。
だんだんだん。だんだんだん。
こんなに長いあいだ続けていたら疲れて止まったっておかしくないものだが、三人は一定のリズムで飛び跳ねて、少しずつ前進している。
暗さに目が慣れてきたA子さんには、服装や髪型から、後ろの二人がB子さんとBくんであるとわかった。
——では、先頭にいるのは?
先頭にいるものが見えた瞬間、A子さんはその場で嘔吐した。
知らない人物だった。
男か女かわからない黒い影だ。
そいつの足が、片方ない。
三人は、飛び跳ねながら前進し、和室の中をぐるぐる回っている。
こちらを向きそうになったので、A子さんは吐きながら外に出た。
玄関の引き戸を開けた——というところまでしか記憶がないそうだ。
ふ、と気がついたとき、A子さんは知らないワゴン車に乗っていた。
そばに知らない壮年の男性がいて、「大丈夫?」なんて声をかけてくる。ほかにも知らない人たちがワゴン車に乗っているようだ。
「えっ……?」
A子さんの体には粉か何かがまぶされていて、全身がべとべとしていた。
「まだあんまり動かないほうがいいよ」とおじさんが言う。「B子ちゃんが言ってたおじさんがわたしなんだけどねえ……本当にごめんねえ、きみ泊まっちゃったんだねえ」
車外から物音が聞こえたのでそちらを見ると、パワーショベルが敷地に入って家を取り壊している最中だった。
「え、あの、二人は……」
「うーん、あそこまで付き合っちゃうともう助からないよねえ。…………見た?」
「……み、見ました、はい」
何を、と言わないまま会話が成立する。
「そう……。ちょっとねえ、これから一か月くらい高熱が出て、髪とか抜けるかもしれないけど、……どれくらいの距離で見た?」
A子さんが素直に答えると、おじさんは名刺をくれたそうだ。
「あんまりひどいようだったら言ってね。また対応するから」
「あの……あれ、何なんですかね……?」
「うん……。気になるだろうから言える範囲で言うと、ウチの家族に関わりがあるものだよねえ……」
「はあ……。昔なにかがあって、ということですか?」
A子さんが訊くと、おじさんは困ったように笑った。
「それがさあ、何も身に覚えがないんだよね、こっちは」
それ以来、A子さんはB子さんと連絡を取っていない。生きているかどうかもわからない。
五万円と聞いていたバイト代は、十万円ほど包まれていたそうだ。
※「震!禍話 第三夜」より
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「トントントンの家 付記」
後日、A子さんから聞いた内容だ。
最後のおじさんとの会話はもう少し長かったらしい。
「きみはこの家の話を、人に話しちゃうだろうねえ」
「いや、あのー……」
「そりゃ話すよねえ、こんな体験したら。話すと思うんだよ、誰でも」
おじさんのほかにワゴン車に乗っていた人たち——B子さんの親戚の人たち——が自分を囲んでいる、とA子さんは感じたそうだ。
「昔から、全部が円満に行ってたわけじゃないんだよ。ここまでひどいことはそう無いけど、変なことはいろいろあって。……そういうときどうすればいいかって話なんだけど」
「はい……」
A子さんは泣きだしそうな気分だった。口封じか。何をされてしまうのだろう。
「どれか嘘をまじえて話しなさい」
穏やかな調子で、おじさんは言った。
「たとえば、この家にいた期間とか、音が聞こえた部屋が何階だったとか。見たものの性別を変えるとか、若者を年寄りに、年寄りを若者に変えるとか。何かしら変えなさい。全部そのまま話しちゃいけないよ。嘘をつきなさい。嘘をついて話せば、何も起きないから」
そのままを伝えちゃうと良くないことになるよ、とおじさんは付け加えた。
「はい……」
「いくつか嘘を混ぜて、この家が特定できないように話してくれるんだったらね、あちらさんも満足するようだから」
「……満足っていうのは、なんでですか?」
尋ねたA子さんに、おじさんは真顔で考えてから口を開いた。
「わたしの勝手な考えなんだけど。……たとえば、自分が強いものだったとして。いくらか尾鰭がついてもね、誰かがそれを知ってるってのは、気持ちいいことじゃないかなと思うんだよね。でも家が特定されて好奇の目を向けられて、それで遊び半分で来る連中の相手をするのは馬鹿みたいだよね。強いものってそう思うのかもしれないねえ」
A子さんから聞いた話自体も、細部が事実と異なっているのだそうだ。
根本的な部分は変わらないらしいのだが。
※「震!禍話 二十四夜」より
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