禍話リライト「首がない奴」

 就職活動の内定祝いとか卒業祝いとか、そういう飲み会が重なる時期の話だ。
 祝ってくれた後輩たちとはしご酒をした。
 気分の良さに任せて「俺のオゴリじゃー!!」と大盤振る舞いをしたら、あれよあれよと知らない奴まで加わって人数が増えていった。最終的には、コンビニで買い込んだ酒やツマミを持って後輩の一人のアパートに雪崩れ込んだ。もう何次会か分からないくらい飲みまくっていた。そこそこ広い家だったのだがどの部屋にも人があふれて、立ったり座ったりして銘々に酒を飲んでいる状況だ。
 だいぶ酔いが回った俺は、リビングの床に転がってゴキゲンなコール&レスポンスに興じていた。

「お前ら楽しんでるかー!?」
「はーい!!」
「台所のみんなーー!?」
「イェーーーイ!!!」
「勉強部屋のみんなァーー!!??」
「イェーーーーーイ!!!!」

 酔ってはいるが意識はある。ギリギリ、視界が回るほどではない。「飲み過ぎっすよー」とか声を掛けられたが、いや、まだ大丈夫だ俺は。
 ……と思っていたが、気力体力が削られてきた。

「あ゛ー……はぁぁ……」
「先輩大丈夫っすか?」
「もうすぐお酒なくなるから、そしたらお茶とか買ってきますよ」
「ああ、お茶がいい……スポーツドリンクは危ないから……酒が回っちゃうから……」
「なんでそんな詳しいんすか」
「経験あるんすかー?」
「あるぅ…………」

 俺はもう、みんなの様子を眺めるだけになっている。
 付き合わせちゃって悪かったかな、いやでもオゴリだからって高い酒飲んでるもんなぁこいつら。いいけどさ。盛り上がってよかった。
 俺は順繰りに、リビングで酒盛りしている奴らの顔を見る。
 後輩、後輩、また後輩、一人飛ばして知らない奴。え、誰だよお前。まあいいか。
 台所に目を向けると、椅子なんかないから立ち飲み屋みたいになっている。……あ、あいつツマミ作ってくれてんのかな。いい奴だなあ。いい奴だ。手先なんか器用だもんな、いい奴だマジで。
 べろんべろんのいい気分で一人一人の顔を眺めていくと、また知らない奴がいた。
 知らないっていうか、いや、首がない。
 首がない。

 えっ?

 ……服装はみんなと似たような感じだ。イマドキの、ちょっとチャラついた若者って感じ。
 でも首がない。
 そいつはみんなの間を移動している。台所とか勉強部屋をウロウロしている。会話はないようだ。後輩たちはそいつの首がないことに気づいていないみたいだった。いや、すれ違う時に肩なんかが当たっている。そいつに構うようなリアクションはある。
 姿が見えてるのか?
 なんで俺には首がないように見えてるんだろう。
 なんだこれ。
 別にあいつがすげえ速さで首を振ってるわけじゃあるまいし。
 そういうことするとブレちゃって首ナシの写真が撮れたりするもんだよな。いや俺カメラじゃねえし。
 何なんだこれ? おかしいよな?
 あ、あいつだけ半袖だ。半袖なんて寒いだろ。変だろそんなの……やだなあ……。
 首がない奴は基本的に台所にいるようだが、ウロウロ歩き回っている。リビングにも入って来たりしている。意味わかんねえ。こわい。やだ。……と思っているとまた台所に戻って行く。
 他の奴に言うべきか、俺は迷った。
 本当は首があって、俺の目がおかしくなってるんなら、もうそれでいい。変人扱いされるくらいならマジ全然どーでもいい。
 問題はガチで首がなかった場合だ。
 いま、この家で一番酔っ払っているのは俺だ。
 首がない奴だヤベーっつってみんな逃げちゃったら、そうしたら俺が取り残される。
 酔っ払ってるしこの辺の地理も知らないんだから、外に飛び出したところで俺が追いつかれるだろう。
 ヤバい。こわい。やだ。
 何回見ても首がないまんまで、そうしているうちに時間が経って、一人また一人と帰り始めてしまった。
 首がない奴はまだいる。なんでだよオイ。
 他の奴にくっついて一緒に帰って行ってくれるのがベストだ。そうすりゃ安心できる。
 なのに、まだいる。
 台所には、首なし含めて二、三人しか残っていない。
 こわい。やだ。と思う気持ちと無関係に、酔いのせいで眠たくなってきた。
 いやダメだ、いま寝たらダメだ……。後輩の家に泊まるにしたって、首なしと一夜を共に過ごすのは御免だ。
 首なしが声を発している様子はなくて、これはもう俺にしか見えてないやつっぽい。ガチのヤバいやつだ。
 怯えながら周りの後輩を見てみると、やっぱり落ち着いている。

「先輩大丈夫ですか? ウコンのやつ買って来ましょうか?」
「や、あの……」
「なぁみんな、買いに行こうぜー」
「あぁ、う……」
「いいっすよ、ここはオレらが出しますって!」

 カネの話じゃねえんだよ。
 ヤベーやつがいるんだよ。
 舌がもつれて何も伝えられない。「イイの買って来ますから!」とか何とか言い残して、俺以外の全員が買い出しに行ってしまった。
 どうしよう。
 どうしようどうしよう。
 台所を見れば、首がない奴は俺に背を向けてウロウロしている。
 こわい。やだ。
 俺は知らん振りで転がっていることしかできない。
 コンビニがどこにあるのかも分からないのだ。
 たぶんここに来る前に寄ったコンビニなんだろうな……覚えてねえや。記憶がない。どれくらいで戻って来るのか見当もつかない。
 首がない奴はずっと台所をウロウロしている。
 何なんだよあいつ——と思った、その時。
 なぜか、頭の中にある考えが浮かんだ。

 あいつ、醤油を探してるのかな。

 そう思った。
 そう思ったか否かのうちに、首がない奴がこっちを向いた。
 意思の疎通ができてしまった。
 そこで俺の意識はなくなった。



 気がつくと俺は風呂場にいて、コンビニに行ったはずの後輩たちが俺を洗っていた。服は着たまんまでビチャビチャだ。

「……え? は、何……?」
「あ、先輩大丈夫ですか? 帰ったらヤバかったですよー!」

 聞くと、俺は部屋を飛び出して、吐瀉物にまみれてアパートの外廊下に倒れていたのだと言う。

「階段に向かって這ってたんすよ」
「良くないですよー、酔っ払ってたんでしょう」
「徴兵を逃れようとする人じゃないんですからー」
「は……?」

 一瞬分かりにくいジョークだったがピンときた。
 先の大戦の折、徴兵を逃れようとして醤油を飲んだ者があったというアレだ。塩分を過剰摂取することにより血圧を上げ、心臓病や脚気を疑わせて免れようとしたっていうやつだ。
 後輩たちは、俺が酔っ払って醤油を探したんだと思っているようだ。台所には醤油が出ていたらしい。流しの下の物入れにしまってあった醤油が。
 しかし台所は吐瀉物に汚れてはいなかった。
 俺じゃない。
 誰かが、俺じゃない誰かが醤油を出したのだ。
 あの、首がない奴だ。違いない。


 あれ以来、俺は酔っ払う手前で飲むのをやめるようになった。
 だってこわいだろ、あの首がない奴とは意思の疎通ができてしまっているんだ。
 次に見てしまったらどうなるか、分かったもんじゃないだろう。

※「真・禍話/激闘編 第10夜」より

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?