禍話リライト「来る家」
大学の学食でサークルの連中と怖い話をして盛り上がったのが、事の発端だった。
その中にいたエイコちゃんという後輩がぜんぜん話に乗って来なくて、後日ほかの女子が聞き出した理由が「家にオバケが出るから」だったのだ。彼女の話を聞いてみたくなって部室に集まったときに促したが、あまり反応が芳しくない。
「でもそういう目で見られるのも嫌だし……」
「別にお前がヘンってわけじゃねえじゃん」
「いいよ、話してみてよ。信じるよ」
「嘘だとか言わないから」
「……それなら…………あの、妹の友達が、溺れ死んだんですよ」
出だしからなかなかヘビーだった。家の裏がお墓で〜みたいなもうちょっと軽いノリの話かと思っていたのだが。
「え……最近?」
「妹が幼稚園のときです」
遊びに来る途中に溜池か何かがあって、池のふちに引っかかっていた風船に気を取られて落ちてしまったようだった。藻が絡んで水を飲んでしまったその子は心肺停止状態となり、通行人が救急車を呼んだが助からなかった。
「溺れ死んだというか水に落ちたショックでというか……。眠っているような顔で死んでて」
「……へぇ……」
「だから本人も死んだ自覚が無いんじゃないですかね。その日になると遊びに来るんですよ、約束してたから」
鳥肌が立った。正直言って聞かなきゃよかったと思った。
さらにエイコちゃんは続けた。
「亡くなった翌年の夜に、妹の部屋から人形遊びしてるみたいな声が聞こえたんです。うるさいなーって思いながら寝て、朝になって聞いてみたんですけど、そんなことしてないって言うんですよ。妹が寝ぼけてたのかなーって思ってたら、お母さんとおばあちゃんが『変なにおいがする』って言いだして。私と妹は分からなかったんですけどね。家中が沼みたいなヘドロみたいなにおいだって言ってて」
まさかとは思うけどね、などと言いながら、おばあさんは線香を焚いたらしい。それを持って家中を回ったらにおいが消えた。
これはまずいのではないかと、エイコちゃんの家族は霊能者に相談することにしたそうだ。電話をかけると呼び出し音が鳴るや否や受話器が取られ、
「本人たちが楽しいならそれでいいじゃないですかやめてください!」
と怒鳴られ、切られた。ほかにも何人かに電話をかけたら、ガチャ切りこそされなかったもののやんわりと断られてしまった。
それで、霊能者が駄目ならとお寺に頼ることにしたそうだ。
お寺に行くと住職が掃除していたので声をかけたところ、
「あーそれはねえ」
と何も言わないうちから話し始めた。
「あのねえ、亡くなった娘さんのご家族がね、亡くなったことを受け入れられてないんですよ」
「はあ……」
「向こうで楽しくやってると思わなきゃいけないのに、まだ居るんだって部屋なんかを飾り立ててる。だから本人も自分が生きてると思っちゃってる。どうしようもないねえ」
遊びに来てるだけで連れて行こうとかそういうんじゃないからいいじゃないか、ということだった。
「でも除霊とか浄霊とか……」
「そんな用語は無いから。出来るわけないでしょう、向こうの問題なんですよ。むかし試したことがありますけどねえ、無理でしたね」
お経を聞いて気分が良くなるようなことはあっても、それで上に上がっていくなんて嘘だとまで言われてしまった。
「それでもういいやってなっちゃって。妨害しなければいいってことなんですよー」
エイコちゃんは明るく締めくくったが、聞いているほうは怖い。
「え、それってずっと来てるの?」
「はい。寝てると、二階の妹の部屋から二人で遊んでる声がするんですよ。片方は小さい女の子で、もう片方は妹で。でも妹は覚えてなくて。次の日おばあちゃんが臭いってお線香焚いて」
二歳下の妹さんが一人暮らしを始めたあともその子は実家のほうに現れて、人形やオモチャが残っている妹さんの部屋で一人で遊ぶ。回数を重ねるうちに、エイコちゃんは前兆を感じるようになったそうだ。夜中に目が覚めて悪寒を感じるらしい。
「マジかよ……」
「じゃあ来年も来るんだ……」
「来るでしょうね」
「へぇ……霊能者でもお寺でも無理なんだねえ……」
「ねえ……」
みんなでしみじみと恐怖を噛み締めている中、一人だけ異を唱えた男子がいた。一年生のカマタ君だ。
「嘘ですよ、話が出来すぎてる」
「でも線香のくだりとか創作じゃ無理だと思うよ」
「お寺の話とか風船とかさ」
「おれ聞いてみたいっすよその声」
「聞いてみたいったってもう命日過ぎてるよねえ?」
「明後日です」
「えっ」
「じゃあいいじゃないですか、ぜったい嘘でしょ。泊めてくださいよ」
実家とはいえ男が一人で泊まりに行くのもいかがなものか。というわけで、男女合わせて四、五人くらいでエイコちゃんの家に泊まることになった。
駅前に集合して行ってみたら、ご家族は誰もいないようだった。
「あれ、一人なの?」
「そうなんですよね、逆に助かりました。この日に一人でいたことって無かったから」
「お父さんは?」
「急な仕事で」
「お母さんは?」
「夜勤で」
「おばあちゃんは?」
「転んじゃって、そんなひどい怪我じゃないんですけど入院してます。さっき妹から『悪いけどよろしくね』ってメールが来ました」
妹さんもその日その時刻になると何かを感じるらしい。部屋の中でパチパチという音が聞こえるんだとか。
現れるのは夜中の一時頃だと言うので俺たちは二階で待機していた。
そろそろかなーなんて言っていたら、それは急に始まった。テレビのチャンネルを変えたみたいに、突然、
「◯◯ちゃんがねー」
って、会話の途中から。
「◯◯ちゃんは◯◯だからー」
女の子は、人形遊びの設定を説明しているようだった。
俺たちは息を飲み、エイコちゃんが怪訝そうな顔をする。
いつもより女の子の声が大きい、とエイコちゃんが言った。いつもと違う人が来てると思われているのかもしれない、と。
妹さんの部屋からは楽しそうな声が聞こえている。人形たちはピクニックに行くらしい。その部屋をさっき覗かせてもらったけど、もちろん誰もいなかった。隠れてもいない。エイコちゃんも冗談を言っている顔つきじゃない。
開いていたはずの部屋のドアは、今は閉まっていた。
「うわぁ……」
「こわ……」
みんな顔を見合わせて小声で怯えている。カマタ君もだった。
「やっぱりお前も怖いか」
そりゃそうだよなあって悪意なく声をかけたのだが、カマタ君はそれを煽りか挑発と解釈したらしかった。
「おれビビってませんよ」
「え、何言ってんの」
「仕込みなんでしょ?」
普通に会話するときの声量で言うものだから、俺たちは慌てた。
「そういうこと言っちゃ駄目だよ」
「声落とそ?」
「いや仕込みでしょ」
カマタ君に対抗するかのように女の子の声が大きくなった。
「おにぎりたべるー!」
エイコちゃんも、これは良くないんじゃ……なんて言う。聞こえている声は、大人が声色を変えてるとかじゃなくて本当に幼い女の子の声で、ぜったいおかしい。おかしいことが起きている。それなのに。
「おれ怖くないっすよ。誰かいるんでしょ?」
「お前やめろよ、ほんとにやめろって」
「おれに見えないようにうまく仕込んだんでしょ?」
あろうことか、カマタ君は部屋のドアを開けてしまった。
「やめろやめろ!」
「何してんの!」
エイコちゃんの話では、〝そのとき〟にはいつもドアが閉まっていたそうだ。もともと閉まっていたり、今夜みたいにいつの間にか閉まっていたり。そして、最中にドアを開けたことは一度も無かったそうだ。
ドアが開くと、部屋の中からブワッと湿気があふれ出してきた。臭い。めちゃくちゃ臭い。みんな湿気を避けるように顔を伏せて、えずいている。
「ちょっとカマタ、やめろって!」
俺はドアを閉めようと近づいて、中を見てしまった。
真っ暗な室内に廊下から光が差して、そこが湿気で曇って見える。
窓が結露している。
パチパチという音が聞こえた。入浴剤が湯船の中で溶けるときみたいな音が、部屋のあちこちから。
こりゃ目が慣れてきたらヤバいものを見ちゃうんじゃないか。
俺は力任せにドアを閉めた。掴んだドアノブはキンキンに冷えていた。
「冗談じゃねえよ……」
エイコちゃんはどうしようって泣いてるし、ほかの女子はえずいている。一階に行こうと促したとき、
「でねー」
と女の子の声が聞こえた。ドアを開けていたあいだは聞こえなかった声が、妹さんの部屋の中から。
ありえねえ。なんだこれ。
とにかく早く一階に、……と周囲を見ると、カマタ君がいない。
部屋の中に入り込んだ感じはなかったのに。
「この子は◯◯っていうのー」
女の子は人形遊びを再開している。
「こいつはカマタっていうのー」
情けない話だが、その声が聞こえたとき腰が抜けてしまった。
「ひねくれたイヤなやつなの」
「ふーん」
「こいつにはおにぎりあげなーい」
女の子は一人二役で遊んでいる。
カマタ、どうしよう。放っといたら良くないことになるだろう。
女子は階段を這って下り始めていたので、俺はへたり込んでいた後輩の男子に声をかけた。
「悪いけどさ、ドア開けてさ、たぶん中にカマタいるから引きずり出そうよ」
「……いやです」
「俺も嫌だけど! やらないとぜったい後悔するよ、やろう!」
「いや、です!」
必死の形相のそいつを説得しているあいだに、女子は踊り場まで逃げていた。
「俺らしかいないし俺一人じゃ無理だから!」
渋々腰を上げた彼とドアを開けようとして——開かない。
中で押さえてる奴がいる。
二人がかりで押し開けたら、隙間からカマタ君の真っ青な顔が見えた。ドアが開かないように抵抗している。
「お前なにやってんだよ!」
「いやちょっと、いやちょっと……」
「ヤバいぞ! どけよ!」
もう俺たちも声を張り上げていた。
女の子の声は聞こえない。さっきの入浴剤みたいな音は聞こえる。においもある。
「今のうちに!」
「いや……」
「お前さあもういいから!」
「いやちょっと、ちょっと……」
「ちょっとじゃないよ! ヤバいから! 危ないから!」
そう叫びながら、俺はカマタ君の足元に視線を落としていた。
後ろから手が出ている。
カマタ君の足を握っている。小さい子供の背丈ならこの高さを握るだろうなって位置を。
「あそぶだけだもん、なんにもあぶないことないもん」
女の子の声がしたのと同時に、ドアが閉まった。
「……これはねー、カマタっていってねー」
人形遊びが再開された。
あーあ……。
なんだかもう力が抜けてしまった。幼い女の子の声に混じってカマタ君の叫び声が聞こえるけど、もうなんか、あーあ……。
「カマタはねー、ひねくれものだからねー、みんなにいっつもわるいことしてるからねー、ひどいめにあうの」
「ァァアァーー」
近所迷惑にならない程度の、震えて裏返ったような叫び声。
女の子とカマタ君を残し、俺たちは一階に集まった。
諦めなのかヤケクソなのか変なテンションで、ほかにやることも無いからただジュースを飲む。
「ァァアァーー、……ァァアァーー」
たまに、上からカマタ君の声だけが聞こえていた。
しばらくそうやって過ごしたあと、俺はジュース片手に二階の様子を見に行った。
「おーい、カマタよう、そろそろいいかー? もう反省したやろうが」
変なテンションのまま声をかけて、ドアを開ける。
あのにおいが残る部屋の中、カマタ君がへたり込んでいた。
「よし、もういいよな!」
うなずくような動きをしたカマタ君を連れて一階の台所に下りる。あの子はきっともう帰ったんだろう。そうだろう。それでいい。
カマタ君も加わり、みんなでひたすらジュースを飲んで過ごした。
だんだん眠くなってきて、テーブルに突っ伏し寝落ちて朝を迎えた。カマタ君もいつの間にか椅子に座ったまま寝ていたのだが、彼は失禁していて昨夜のことを覚えていなかった。現在どうしているかというと、何というか、ちょっとおかしくなってしまって通院している。
あの夜見たものの中で、俺はカマタ君の足を握っていた手が忘れられない。小さい女の子が握っているような位置だったが、手自体は成人女性の手にしか見えなかった。亡くなった女の子が成長しているのか分からないけれど、きっと今年も遊びに来るんだろう。
※「禍話R 年末バラエティスペシャル」より
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