禍話リライト「待っていた女」

 お見舞いに行ったときに聞いた話だ。
 A君という大学生が、B君から頼まれたのだそうだ。サークルの先輩のお見舞いにいっしょに行ってくれないか、と。一人では気まずいらしい。

「Aは会ったことがない人で申し訳ないんだけど、来てくれないか。会って様子を見てくるだけだからさ」
「え、やだよ。サークルの話ならサークルの連中で行きゃいいじゃん」
「みんな気味悪がって行かないんだ。それで近所だからって押し付けられちゃったんだよ」
「気味悪がって?」
「殺人事件があった廃屋に一人で半日くらいいておかしくなったっていう先輩なんだよな」
「行きたくない!」

 断ったが、B君に食い下がられた。
 B君は滅多に無理な頼みごとをしない。これまで世話になったこともある。オレはしゃべらないからなと条件を付けて、A君は承諾したそうだ。
 いてくれるだけでいいよお前ガタイでかいし、なんて話がまとまって、二人はその先輩が住むアパートに向かった。


 先輩がおかしくなったとはどういうことなのか。道すがらA君は聞いてみた。
 B君が所属するサークルの面々で肝試しに行くことになったのだが、あまりにも怖いからと昼間に行ったらしい。だったら行かなければいいものを、なぜそんなガチの現場を選んでしまうのか。
 噂によると、エリート夫婦が大学受験に失敗した息子を追い詰めてしまい息子が夫婦を殺したという廃屋だ。しかし、そんな事故物件ではあるものの家自体は荒れているわけでもなく、管理されているようだった。
 一階の奥の部屋だけ床が新しくきれいだったのでここが現場かと思っていたら、その先輩が部屋に入って行ってしまったのだとB君は言った。とんでもない剛の者だ。
 みんなはほかの部屋を見て回った。それからもう帰りましょうと声をかけたけれど、先輩は「もうちょっといるわ」なんて言って、奥の部屋で胡座をかいて悠然としている。

「いいから先帰れよ」

 不思議に思いつつもみんな先に帰って、先輩だけが廃屋に残った。先輩は半日くらいそこにいたらしい。
 それからというもの、先輩は言動が支離滅裂になり、大学に来なくなり。こうしてB君が様子を見に行くことになったのだ。



 あそこだよとB君が示した先には、アパートがあった。
 安アパートの二階の一室だ。
 暑くないのに玄関のドアが開いている。
 インターホンを押す必要もないので、B君がそのまま室内を覗いた。

「せんぱーいウワァ」

 玄関から入ってすぐのところに先輩が座っていた。玄関を向いて胡座をかいている。
 みんなが心配していると言ったB君に「ごめんなあ」と返した先輩は、A君のこともB君のことも見ていなかったそうだ。視線は二人の背後に向けられていたらしい。

「立ち話もなんだから、中に来いよ」

 そう誘われたので、二人はおそるおそる靴を脱いだ。
 和室に入り、玄関を背にして座る。
 先輩はというと、二人の背後、つまり玄関をずっと見ていた。
 麦茶なんかを出してくれたのだが、そのあいだも玄関をずうっと見ていた。

「先輩」と、B君が切り出す。「何かあったんすか?」
「俺ね、あの話ウソだと思うんだよね。息子が両親を殺したって噂。死んだのはね、若い女だよ。俺調べたんだけど、ジェイソンが出るとか馬鹿馬鹿しい噂があるところって、調べてみると過去に別の悲惨な事件が起きていることがあるんだよね。ぜんぜん別のね。なんらかの事件があったのは事実だけど、人に伝わっていくうちにね、それを隠したいみたいなことで違う話が入ってくるんだよ。ジェイソン村とかそんな感じらしいんだ」

 滔々と語るあいだも、先輩は二人と目を合わせなかった。

「そうなのかもしれませんね……。でもなんで若い女だってわかるんですか?」
「……俺さ、奥まで入っただろ」
「入りましたね」
「でさ、出ようと思ったら、廊下を俺たち以外のやつが行ったり来たりしてるんだよな。それが若い女なんだよ。あのとき野郎ばっかりだったろ? 誰かついて来たのかなって思ったけど違うよな? しかもお前、あんな、顔とか体とかあんな状態でさ、普通に歩けないと思うんだ。でも行ったり来たりしてるんだよ。俺出られなくなっちゃってさ」
「え、いや、なに言ってんすか、」
「でな、ヤバいと思ったけど俺にしか見えてないみたいだったんだよ。お前らは怖くないとか言ってるし。でも俺は見えるからさ、だめだろ? ……俺だけ奥まで行ったときにさ、あるラインを過ぎたときに、なにか踏んだって気がしたんだよ。別に床の材質が変わったわけじゃなくて、でも踏んだ感触があって、見たけどなにも踏んでないってことがあったんだ。そのときにたぶん俺はね、一線を超えちゃったと思うんだよ」
「先輩なに言ってんすか」
「だからまあそういうことなんだよ。俺にしか見えてない女が、廊下を行ったり来たりしてるわけ」
「…………」

 B君はその現場に行っていたものだから、黙ってしまった。そりゃ怖いだろう。仕方がないのでA君が質問する。

「つまり、みんなには見えてない女が見えて、行ったり来たりしてて、それで部屋から出られなくなったんで、先に帰れって言ったんですか?」
「そうだよ、迷惑かけられないからね。踏んじゃったのは俺が悪いもん」

 そう答えた先輩は、やはり視線が合わない。

「半日経ってやっとわかったけどな、動き方に規則性があったんだ。はっきり見えちゃうとさあ、目の前でね、ああいうグチャグチャの状態のやつに動かれたら、規則性を見出すとか思わないよ、ヤバいよ」
「はあ……、はい……」

 もうだいぶげっそりした気分だった。その女がどんな状態だったかなんて、聞きたくない。

「先輩、なんか……たとえば、左に行ったらしばらく何秒か来ないみたいなことがわかって、それで出られたってことですかね……?」
「うん、だんだんわかってきてな。そういうのがあるなって。……そのとき思ったんだよ。この女、なんで俺がいる部屋に入ってこないんだろうって。……俺に対して気がついてないのかもしれない、この女は。じゃあ行けるのかなってね、思うけど。でもそんなわけないよね。たぶんこの部屋が現場なんだし、現場でぜんぜん知らない奴が来て座ってるわけだし、たぶん何度か目が合ってるはずなんだし。気づいてるに決まってるよなあって、そう思ったときに、……俺、髪長いだろ。後ろ髪をなあ、スッて撫でられたんだよ」
「ええっ……?」
「あいつなあ、俺がそう考えるまで待ってたんだよ。この女は俺に気がついてるけどわざと廊下を行ったり来たりしてるんだ、って俺が気づくまでな、待ってたんだよなあ、うん、そっから記憶ないんだわ」
「え、だいじょうぶだったんですか!?」

 二人で思わず声を揃えてしまった。

「いやあ、ほら」

 見てよ、と出された先輩の足は包帯がぐるぐる巻きだった。爪は割れたみたいになっている。

「気がついたら家の近くにいてな。足こんなんだから病院行ったりして。あと髪も切っただろ、自分で切ったんだけど。さわられた部分が腐ったみたいなニオイがしてさ、ドブ川みたいな。そんで切ったんだよ。だからぐちゃぐちゃなんだけど」
「……そ、そうだったんですね……」
「そうなんだよ、だから、な? いまも、そういうふうに思ってるってことかな」

 え、とA君は体を強張らせる。
 そういうふうに、とは。

「だからそう思っちゃいけないから、思っただけで来るから、ね、俺はそんな可能性を考えてないよって、アピールをしないと、来るから」
「えっ……!」

 二人は素早く玄関を振り返った。が、誰もいない。

「……いないじゃないですかぁ、やめてくださいよ」

 笑おうとした、その瞬間。

「いいなあ!!!」

 先輩が大声を出した。喉が張り裂けんばかりの大声だ。

「いいなあ!!!!」

 A君ともB君とも目を合わせないまま。手をぶるぶる震わせて。

「うらやましいなあ!!!!!!」

 限界だった。
 怖い、もう帰ろ、帰ろ、と二人は囁き合う。
 あの、じゃあそういうことでしたら……なんて話をまとめて、B君が「コップ洗いますよ」と立ち上がった。いいよいいよって言う先輩は玄関から目を離さないままで、いっしょに台所に行ってしまった。
 そうなると、A君は一人である。
 気持ちわりいなぁ、とA君は思う。でもぜったい玄関には誰もいないしなぁ。外の廊下にだって誰もいない。
 B君と先輩がいなくなったので、玄関に近い和室は静かだ。

 ——カチカチカチカチカチカチカチカチ。

 静かな和室で、ちいさな音が聞こえた。
 ……なんだろう?
 A君は室内のインターホンを見た。
 電源が抜かれている。
 先輩が抜いたんだな、と思う。この部屋に来たとき、インターホンは鳴らさなかった。玄関のドアが開いていたから。
 誰かが、電源が抜かれて音の出ないインターホンを、カチカチ押してるんだ。
 そう気づいた瞬間、A君にはそれまで見えなかったものが見えたそうだ。
 玄関に、足元。女の。
 なぜか女だとわかった。
 そこに、洗い物終わったし帰ろ、とB君が戻ってきた。

「おう……帰ろう」

 すごく怖かったけど、A君は思い切って玄関を見た。誰も立っていない、よかった。
 少し安心して、外に出て、階段を降りる。先輩は、おつかれーなんて言って、ドアは開けっぱなしのまま、中に戻って行った。
 足が見えてしまったものだから、A君は怖くてたまらない。だけど、と自分を奮い立たせた。
 そもそもオレは廃屋に行ってないんだし。
 あの先輩に取り憑いてるんだし。
 オレには関係ないから、あの人に憑いてるんだから、そんなわけない、ぜったいにない。ぜったいにない。
 オレにはぜったいに関係ないんだ。
 そう、思ったら。


「ほんとにぃ?」


 右の耳元で、声が聞こえた。

 ——あっ、

 A君は左右の二の腕をぎゅっと握られたのだそうだ。異様に細長い指だった。
 これはB君だぜったいにB君だ、B君はオレの前を歩いてるけどぜったいにB君だ、B君が冗談でやってるんだ、B君だ。
 A君は目を瞑る。
 ぜったい、ぜったいにB君だ、B君だ、だってあの女のオバケは先輩に取り憑いてんだもん。
 そう思ったら——次は、左だった。


「ほんとにぃ?」



 という話をしてくれたA君は、ガリガリに痩せていた。
 お見舞いに行ったとき、彼が途切れ途切れに言ったことをまとめたのが、この話である。

※「THE禍話 第8夜」より

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