禍話リライト「針金の部屋」
大学のサークルで、夏の大会に出場するために遠征したときの話だ。
ホテル側の不手際により引率の先生の部屋しか取れておらず、部員たちはあわてて探した安宿に泊まることになった。
それでも宿は確保できたし今年こそはと乗り込んだはずが、初戦敗退という結果に終わってしまった。
本来なら、明日の試合に備えてミーティングをして士気を高めて……と過ごすはずが、完全に暇になった。とにかくやることがない。
そのビジネスホテルは辺鄙なところに建っていて、外に出たって遊べるような施設もない。テレビ番組もつまらない。コンビニも遠い上に品揃えが悪い。
暇で暇で暇だったものだから、俺は相部屋の友人と二人でホテル内を探検することにした。
401号室を飛び出して、避難経路はどうなってるんだ、消火器はどこだ、などと騒ぎながら4階のフロアを見て回る。けれどすぐにネタが尽きてしまった。部屋に閉じこめられたぞーなんてふざけてドアスコープを覗いてみても、平和なホテルの廊下が見えるばかりである。むなしい。
むなしいついでに、宿泊していた部屋の上下の階、5階と3階にも行ってみようということになった。
二手に別れて出発したものの、ビジネスホテルなんぞどの階も同じ作りだ。
5階を探検した俺は何の成果も得られなかった。では3階のほうはどうだったかというと、友人が「開かずの部屋みたいなのがあった」と素晴らしい報告を聞かせてくれたのだ。
おもしろそうなネタを手に入れた俺たちはすぐさま3階に向かった。
開かずの部屋は、ちょうど俺たちが泊まっている部屋の真下に位置していた。301号室だ。
ドアノブには針金がグルグルと巻きつけられている。友人が見つけたときには、ドアノブにタオルが掛かっていたのだそうだ。ホテルの名前入りのよくあるやつだ。タオルを退けてみたらこうなっていたとのことで、期待が高まる。尋常じゃない。
ちょっとドアを押してみたら、——開いた。
だが、ドアチェーンが掛けられていて少ししか開かない。
部屋の様子は暗くてよく分からなかった。隙間から携帯電話の明かりで照らしていると、なんだかサビっぽい匂いが漂ってきた。
まるで血の匂いみたいだ。
急におそろしくなり、あわててドアを閉める。探検はもうじゅうぶんだ。
滞在する部屋の真下なのだと思うと怖くて、俺たちは401号室に戻り速やかに就寝した。
その夜、俺は奇妙な夢を見た。
夢のなかの俺は401号室で眠っていて、目を覚ます。すると、トゥルルル、と聞き覚えのない音が聞こえてきた。
電話か?
なんだろう。
周囲を確認すると、それは枕元にある内線電話の音だった。ビジネスホテルにありがちな、目覚まし時計と電話が一体化しているようなアレだ。
「フロントです」
取り上げた受話器から、男性の声が聞こえた。
「針金は枕元にご用意しておきましたので」
それだけ言われて通話が切れた。
枕元にはグルグルに巻いた針金が置かれている。
なんだこれと驚いて、……目が覚めた。
びっしょりと汗をかいている。クーラーが効いているはずなのに。
厭な夢だった。
怖い。意味がわからない。
俺は友人を起こし、いま電話が鳴らなかったか訊いてみた。そいつは若干不機嫌になりつつも、鳴ってないよと答えてくれた。
そっか、夢か。
俺はついさっき見たばかりの夢の内容を説明する。やめろよ寝ぼけてんのか、なんて怒られたその瞬間。
ガチャガチャガチャ! とドアノブが鳴った。
この部屋のドアノブを回す音だ。
ビジネスホテルだから部屋ごとのインターホンなんかない。ノックすりゃいいのに、ドアの向こうにいる奴はドアノブを回している。
「誰だ!」
勇気を振り絞り声を張ってみても音は止まない。
「……真っ暗だわ」
ドアに近づいた友人が、ドアスコープを覗いて言う。
促されて俺も覗いてみたが、友人の言うとおり真っ暗だ。何も見えない。昼間は廊下が見えていたのに。
そのあいだもドアノブはガチャガチャ鳴り続けている。
フロントに電話しようということになり、内線をかける。
「フロントです」
受話器から、男性の声が聞こえた。夢のなかと同じだ。
「あの、ドアノブをガチャガチャやられてて」
説明するあいだもドアノブは鳴り続けている。もう壊れるんじゃないか。
「すぐ参ります」
それだけ言われて通話が切れた。
もっとこう、状況とか確認するもんじゃないだろうか。
やがて、ポーン、というエレベーターが開くときの音が廊下から聞こえてきた。
ドアノブはまだ鳴り続けている。
これは、ドアの前にいる奴とフロントの人が鉢合わせるんじゃないだろうか。だいじょうぶか。
ずっとガチャガチャ鳴り続けていた音が、ふっと静かになった。
直後にドアをノックする音。
続いて「フロントでございます」と男性の声が聞こえた。
開けたドアの向こうには、すらっとした体型の、洗練された印象のボーイさんが立っていた。確かチェックインのときにこんな格好の人がいたな。
誰かいなかったか尋ねてみたが、ボーイさんは落ち着いている。
「私が来たときには誰もいませんでしたよ」
「なんかガチャガチャやられてたんですよ……」
「たいへん申し訳ございませんでした」
それでも興奮がおさまらなくて、俺はホテルを探検したときのことを話した。
下の階に行ったときに真下の部屋を開けてしまったんです、そのせいでこうなったんじゃないですかね、と言う俺の言葉を、ボーイさんはただ聞いていた。
それから、「たまにそういうお客様がいらっしゃるんですよね」と口を開いた。うっすら笑みを浮かべている。
「非常階段から行かれましたか?」
「はい」
「3階は封鎖しているんですよ」
えっ、
「非常階段も開かないようになっているんです」
えっ、うわ、えっ? 怖っ! と混乱する俺の横で、友人が「もういいだろ」と割って入ってきた。
でも、まだ気になることがある。
「ガチャガチャされてるときにドアスコープ覗いたんですよ、真っ暗で何も見えなかったんですよ!」
「な、もういいだろ、なあ」
いまはいかがですか、と言われて覗いてみたら、今度はちゃんと廊下が見えた。
俺たちは廊下に出てドアを確認する。ドアスコープのところに、黒く指の痕が付いていた。
「誰かが指で押さえてたんじゃないですかね」
ボーイさんが冷静に言う。
黒い汚れは何かの染料なのか血なのかわからない。そもそもこのボーイさんの声は夢で聞いたのとそっくりだし、また怖くなってきた。
「なあ、もういいじゃねえか」
何度目だろう、友人が割って入ってくる。
こいつさっきからずっとそんなこと言ってるな。
廊下にいた奴の正体が何だったのかわからないが、その場はひと段落ついた雰囲気になっていたので、俺も「それじゃあ……」とボーイさんに軽く会釈した。
「はい、また何かございましたらすぐに参りますので」
そう言ってボーイさんは帰って行った。
俺たちも401号室に入る。
友人がやけに念入りに鍵をチェックしながらドアを閉めているので「どうしたんだお前」と声をかけたら、めちゃくちゃに怒られた。
「気づかなかったのかお前」
「えっ何」
「お前なあ、そういう観察力がないところが試合にも影響してるんだよ!!」
「何なんだよ!!」
「あのボーイさんの親指と人差し指、真っ黒だったろうが!!!」
その晩。俺たちは寝ずに過ごし、夜が明けたころロビーに下りてみた。
フロントには、ぜんぜん見たことのない男性がいた。小太りで気さくな印象の男性だ。
何時から何時まで誰々がいます、と担当スタッフの名前が掲示されているのだが、昨日の夜の担当は、小太りのボーイさんの名前になっていた。
「よくわかんないけど、間一髪だったのかな……」
「間一髪だな……」
やっと人心地ついた俺たちは、ロビーで新聞を読んだりサービスのコーヒーを飲んだりして過ごした。
コーヒーは不味かった。
部屋に戻る前に一応聞いておこうと思って、俺たちは小太りのボーイさんに話しかけた。
3階に行ったら変な部屋があったんですけど……と、すらっとしたボーイさんのことは伏せて。
「そうですかねえ、3階は普通に使ってますよ? 何人も泊まってらっしゃいますし」
ほら、とフロントの内側を覗かせてくれた。確かに、3階の部屋にも宿泊客がいるようだ。わけがわからない。
「アッ……どうも〜!」「寝ぼけてたんじゃないですか〜?」「そうかもしれない〜!」なんて小芝居をしてその場を離れる。いやいやいやもう一度確かめないと気が済まない。
俺たちは3階に向かった。
エレベーターから出てみると、フロントで言われたとおり、普通に使われている雰囲気だった。
301号室にも行ってみたが、針金もタオルも無い。
これはヤバいやつだったんじゃないか。
401号室に戻ったあと、やっぱり間一髪だったんじゃないの!? などと改めて言い合った。
そのホテルに泊まったのは一度きりだ。
行きのルートも複雑だったし覚えていないから俺はもう二度と行けないだろうけど、K本県のホテルには気をつけて欲しい。
※「真・禍話/激闘編 第5夜」より
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