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禍話リライト「予告の家」

 妻子ある男性が不倫相手とともに姿を消した、ということがあった。残された家族は捜索願を出して行方を探したが、ひと月経っても居所がわからない。レンタカーを乗り捨てたようだという情報が入った程度だ。クレジットカードは止めている。現金もいずれ尽きるだろう。どっかで死んでるかもしれないわーなんて妻が笑い飛ばした、その翌日。男性と不倫相手は、男性宅の庭の木で首を吊った。
 遺族はすぐに引っ越したそうだ。葬式は出さなかったそうだ。妻と子を捨て不倫相手と心中した男性は、無縁仏として葬られた。
 相手の女性のほうもまた、家の恥だと遺族から見捨てられた。
 無人になった家はどんどん荒れていき、こういう経緯で心中した男女が現れるのだと噂が立った。庭のベンチに座っているだとか、首を吊ったときの姿で宙に浮いているだとか。


 そこに肝試しに行こうとした四、五人の若者たちがいた。
 これは、メンバーの一人、Aさんの体験だ。
 家の近くの公園にトイレがあったので寄ることにしたそうだ。
 車を降りたのはAさんと後輩の二人だ。

「先輩、今から行くトイレ、二人が首吊る直前に行ったらしいですよ」
「えっ、何それ。そんなん分かるの?」
「遺書に書いてあったらしいです。……首吊りの死体ってアレじゃないですか。全部出ちゃうっていうか、汚れちゃうっていうか。だからってことで、トイレ行ったらしいですよ」
「……俺さあ、腹痛いんだけど」
「あ、すみません、小だと思った」

 公園のトイレは薄暗かった。小さな明かりのまわりを蛾が飛んでいて、じめじめした嫌な雰囲気だ。
 個室に入ったAさんを置いて、用を足した後輩はさっさと車に戻ってしまった。
 足音が遠ざかっていく。
 車内で流している音楽の重低音がかすかに聞こえる。
 それから蛾の羽ばたく音。
 自分の息遣い。

「楽しみっすねえ」

 突然声をかけられて、Aさんは飛び上がった。男の声。車内で待っているはずの後輩Bくんの声にそっくりだった。トイレには行かないと返事を寄越したときの、スマホをいじっていた姿を思い出す。

「おう……まあ、心霊写真とか撮れたらいいよな」

 いつの間に来たのだろうと思いながら返事をして、Aさんはガラガラと派手な音を立ててトイレットペーパーを引き出した。

「ほんと楽しみっすよね」

 そう言ったBくんの、声が近い。
 Aさんを囲む壁のひとつから、人間の頭、眉から上の部分が見えている。横向きだ。
 個室の隣には小便器が並んでいるが、Bくんはそこに立っているのだろうか。個室の壁から覗くくらい背が高かっただろうか。そんなはずはない。なのにまるで、浮いているみたいに。
 おかしいな、と思ったAさんは――思い出してしまった。

 今から行く家、首吊りがあった家だよな。

 あいつが俺を驚かせようとしているのかもしれない、そういう可能性もある、と思いかけたAさんの視線の先で、Bくんの頭がゆっくりとこちらを向いた。

「楽しみっすよねえ」

 堪らなくなったAさんは、個室の中からBくんに電話をかけてみたそうだ。
 スマホの表示が「通話中」になって、

「どうしたんすか、紙が無いんすか?」

と、応答があった。壁の向こうの頭はずっと呟き続けている。

「楽しみっすよね、ほんと。鬼が出るか蛇が出るか、楽しみっすよねえ」

 そんなことをずっと、呟き続けている。
 Aさんは紙が無いと訴えてBくんを呼び出した。Bくんたちがトイレに入ってきたあたりで、ぶつぶつ言っていた奴はいなくなったという。
 実は紙はあったんだ、と個室から出たAさんは先ほど見たものを説明した。
 眉毛から上しか見えなかったけどお前にそっくりだったと話していると、Bくんと一緒に来てくれた後輩が

「先輩今日はやめましょう」

と口を挟んだ。霊が見えるとまではいかないが何となく感じることができる後輩だ。
 そうだな怖いもんなとAさんが同意すると、後輩は神妙な面持ちでこう続けた。

「いや、多分なんですけど、今日行ったら、……おれらは何ともなかったとしても、Bは首吊りますよ」

 ああ、なんかそんな気がする、とBくんも頷く。
 彼らは肝試しには行かず、家に帰ったそうだ。

※「真・禍話 旋風篇 13日の金曜日スペシャル」より

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