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短編小説『地獄ラジオ』

捨てられていたラジオ

現在無職の私の楽しみは、深夜に近所を徘徊すること。唯一の楽しみになっている。

いい年をした男が、一日中アパートの部屋にくすぶっているのは世間体が悪い。だから昼間は物音を立てないようにしているが、息がつまる。

ある春の初めの夜、私はぶらりとアパートを出た。いつものように、猫一匹見かけない住宅街を散策する。たまたま通りかかったゴミ置き場で、私は捨てられていたラジオに足が止まった。

ずいぶん古い型の卓上ラジオだった。まだこんなものを持っていた人がいるのかと思った。相当な骨董品だった。私の子供の頃に家にあったラジオを思い出して、懐かしくなった。

近くで良く見ると、埃をかぶってなくて、最近まで使われていたように見えた。

「もしかしたら、まだ使えるかも知れない。だめだったらまた捨てればいいだけだ」

ゴミを拾うという恥ずかしさはなかった。それよりも、懐かしさの方を優先した。私はラジオを拾い上げた。誰も見ている人はいなかった。

「ゴミ屋敷の住人の心理ってこういうものか?」

私は両手にラジオを抱えて、急ぎ足でアパートに戻った。

不気味な声

アパートの部屋に帰った私は、さっそくラジオの電源をコンセントにつないでスイッチを入れた。

最初は何の音もしなかった。

「やっぱりだめか」

がっかりしながら周波数のダイヤルを回していると、あるところで音が聞こえた。ゆっくりとダイヤルを調節しながら耳を近づけた。

確かに何か聞こえる。聞こえるのは、ひとつの周波数のところだけだった。私はボリュームのつまみを回して音量を上げた。

「ゴー、ゴー」という低い音の中に、人の囁くような声が聞こえてきた。私は低音のつまみを絞って、高音のつまみを最高まで上げた。人の声がはっきり聞こえてきた。

「助けてください・・・。助けてください・・・。私を助けてください・・・」

私はラジオから身を離した。気持ちの悪い男の声だった。しばらく私はラジオに近づけなかった。直ぐにスイッチを切ることもできなかった。

しばらくしてから、勇気を出してラジオのスイッチを切った。男の気味の悪い声が頭の中に残った。「助けてください」が、何度も繰り返されていた。

しかし、私はそのラジオを捨てることができなかった。

地獄からの声

その次にラジオのスイッチを入れたのは、次の日の夜だった。気味の悪さが少し薄れてきて、好奇心が勝ってきた。

スイッチを入れると、あの男の声が聞こえてきた。

「どうして聞いてくれない・・・。どうして聞いてくれない・・・」

私は再びはっとして、思わずラジオから身体を離した。

「どうして聞いてくれない・・・。どうして聞いてくれない・・・」

私は男の声を黙って聞くしかなかった。気持ちの悪さよりも、男が何を言いたいのか知りたかった。

「苦しい・・。苦しい・・・。」

ラジオからどうしてこんな声が聞こえてくるのかという疑問よりも、私はこの男の言いたいことの方に興味が移っていた。

「何が苦しいんだろう?」

私がそう思った時、それに答えるように男の言葉が変わった。

「地獄は苦しい・・・地獄は苦しい・・・」

私は男の言葉から、私と男はラジオを通して感応しているような気がした。

「地獄にいるのか?」

私は自分でも予想しなかった反応をした。男の声に反応している自分が信じられなかった。

「地獄から出たい・・・。地獄から出たい・・・」

どうやら男は地獄にいて、そこから助けを求めているようだ。私は馬鹿馬鹿しいと思いながらも、目の前の現実に戸惑っていた。

男への疑問

その夜、私は疲れを感じてラジオを消したが、男のことが頭の中を駆け巡って眠れなかった。

「男はどうして地獄へ落ちたんだろう?」

そんなどうでもいいことが気になった。

「誰だって地獄へ落ちるだろう」

そんな答えもありふれていたが、男のことを考え続けていた。

「そもそも、どうして地獄から声が聞こえてくるんだ?」

私は考えても仕方がないこと、どうでもいいように思えること、信じるのも馬鹿らしいことに思いを巡らして、朝まで眠ることができなかった。

翌日は寝不足で身体が重かったが、頭は依然としてあの男のことを意識し続けていた。

私は自分の頭がおかしいのか、それとも現実に起きていることなのか確認したくなった。誰かに確かめて欲しいと思った。

私には個人的なことを話せるような知り合いはいなかった。

リサイクル店

私はラジオを持って外へ出た。考えがあるわけではなかったが、ラジオを外に持ち出せば、何か確かめる方法があるだろうと思った。

住宅街を歩いても仕方がなかったので、賑やかな駅前の方まで行けばなんとかなるかも知れないと思った。商店街の中にリサイクル品を扱う店があった。

「あっ、ここでラジオを売るように持ちかければ、きっと品物を確かめるに違いない」

私は、店頭に中古の生活用品を雑然と並べた小さな店に入った。繁盛しているようには見えない店内に、客はいなかった。奥の方で何か整理していた店主らしき老人に声をかけた。

「あの、これ売れますかね?」

禿げた頭の店主は、鼻先までずらした眼鏡の奥から、無愛想な視線をこちらに向けた。

店主は黙って私の手渡したラジオを受け取り、電源をコンセントに差し込むとスイッチを入れた。

すると、ラジオからは賑やかな音楽が流れ出した。店主は選局のダイヤルを回した。放送局の周波数に合う度に、アナウンサーの声や、コマーシャル、ニュースなどが聞こえた。

「千円」

店主はこちらに顔を向けることもなく唐突に言った。

「えっ?」

私は店主の小さな声が聞き取れなかった。

「千円だよ。千円」

私は少し戸惑った。ラジオが正常に聞こえたことと、思いのほか買値が高かったからだ。

「千円ですか・・・」

私は考える振りをした。売る気はなかったから誤魔化す演技をした。

「千円か・・・」

私は売り渋るように見せながら、ラジオのダイヤルをあの男の気味の悪い声がした周波数に合わせてみた。

「ゴー、ゴー」という雑音がするだけで、男の声は聞こえなかった。それだけでなく、私がダイヤルをいくら回しても、店主が回した時のような放送局の音は何も聞こえてはこなかった。

「ちょっと考えて、また来ます」

店主は機嫌を悪くしたように黙っている。私はラジオを持ち上げ、店主に軽く頭を下げると足早に店を出た。

歩きながら私は思った。

「ラジオを確かめに来たのに、余計わからなくなってしまった。このラジオは壊れているのか、いないのか?」

自分にだけ聞こえる声

急いでアパートの部屋に戻った私は、すぐにラジオのスイッチ入れ、もう一度確かめてみた。

リサイクル店で聞こえたような、いろいろな放送局の音は全く聞こえなかった。いくらゆっくり周波数を合わせても見つからなかった。

最後に、あの男の声が聞こえた周波数に合わせてみた。

「どこへ行っていた?・・・。どこへ行っていた?・・・」

待ち構えていたように男の声が聞こえてきた。

「どうして自分にだけ聞こえるんだ?」

私は、ラジオに選ばれたのか、男に選ばれたのかわからないが、自分が特別に選ばれたのではないかという気がしてきた。

「早く助けてくれ・・・。地獄から助けてくれ!・・・」

私にはラジオと自分、男と自分の距離、関係が近づいたように思えた。

この現実世界で誰からも特定されることのない自分が、今、このラジオから、この男から特定されている。気味の悪さとともに、何か不思議な嬉しさもあった。

「助けてくれ!・・・。早く助けてくれ!・・・」

男の声はいつまでもラジオから聞こえてくる。

「助けることはできない」

私は男の声に答えるように言った。すると、男の声はピタリと止まった。ダイヤルをいくら回しても男の声は聞こえなかった。

救うことは善?

私はラジオのスイッチを切って、しばらくラジオを見つめていた。

「果たして誰かを地獄から救うことなどできるのか?」

現実世界でさえ、自分には誰も救うことなどできない。他人どころか自分さえ救えていない。無職の私には考えてみたこともない疑問だった。

「果たして誰かを地獄から救うことは善なのか?」

こんなだらしのない自分にも宗教観はある。地獄には地獄の役割がある。悪いことをしたら地獄で自分を反省する。他人に与えた苦痛を味わう修行が必要だろうと思っている。

自分を救うのは自分しかないだろうとも思っている。だらしない現実も自分の撒いた種なのだから、自分で刈り取る他はない。

「私だって救われたい」

そう思いながら、私は今まで誰かに助けを求めたことなどないことに気がついた。

自分が強いわけではない。ただ諦めているわけだが、それすらも意識したことはない。救われないことが当たり前だと思って生きてきただけだ。

人を救うことなど誰にもできないだろう。救えるとしたら神様だけだろう。私の宗教観は単純だ。

地獄でのたうちまわることは、その人にとって必要なことなのだ。

「そうだ、あの男も地獄で苦しむ必要があるのだ」

私は、何か気持ちの整理がついたような気がして、久しぶりに眠りにつくことができた。

地獄へ落ちる?

それからラジオからあの男の声は聞こえてこなかった。

ラジオは捨てることができず、まだ私の部屋の棚の上にある。

私は地獄というものを考えるようになった。

「自分は地獄へ落ちるのだろうか?」

自分は天国よりも地獄に近い人間だ。それでも、自分は地獄へ落ちるだろうかと、漠然とした未来に不安を抱えている。

そうだ。誰でも遠い不安として、自分が地獄へ落ちるのかどうかという疑問を抱えている。

自分は天国へ行けると本当に思っている人間はいるのだろうか?

私は人生を真剣に生きてこなかった。人を殺すことはなかったが、殺したに等しい精神的な過失は覚えがある。

私は人生を怠けてばかりいた。努力というものを惜しんでばかりいた。自分の人生を輝かせることがなかった。そういうことが罪だとしたら、どのくらいの罪を重ねたのだろう。

声の主は?

ラジオのことはすっかり忘れてしまった頃、縁遠くなっていた弟が十年振りに尋ねて来た。

実家を相続した弟からみて、若い頃から故郷を捨てたような私などどうでもよい存在だった。親の死に目にも会うことを拒んだ私にとっても、肉親というものは遠くに避けたまま関わりたくない存在だった。

「まだこのアパートに居たんだ」

狭い部屋の真ん中に腰を下ろした弟は、気まずそうに部屋を見回した。

私は訪問の意図が気になりながら、冷蔵庫からペットボトルのお茶を出すと、弟から離れた窓際の椅子に座った。私は窓から外を眺めながら黙っていた。

「お金、もうないよな?」

弟はお茶には手をつけずに突然こう言った。弟によれば、実家の商店を継いでから借金を重ねて、どうしょうもなくなって私のところに来たという。

「相続した時のあの金、もう持ってないよな?」

弟は、相続の時に私が受け取った数百万円のお金のことを訊いてきた。私はまだこのお金には手を付けずにいた。無職になった今でも、このお金だけはそっとしておいた。不仲の父親から相続したお金を使うことに抵抗があった。手を付けたら父親に負けるように思っていた。

「もう、とっくにないよ、そんなお金」

私は外を見たまま答えた。

「そうだよな。この部屋を見ればわかるよ。無駄足になったな」

弟は嫌味のように言うと、さっと立ちあがった。その時、棚の上に置いてあるラジオが目に止まった。

「あれ、これ昔家にあったラジオと同じだな」

そう言うと、私に断ることもなくラジオのスイッチを入れた。すると、懐かしい音楽とともに、男の声が聞こえてきた。

「あれっ?、ラジオだよね、これ?」

弟はラジオに耳を近づけて聞いていた。

「これ、兄貴の声だよな?ラジオでなくてレコーダーなのか?何か、ぶつぶつ言ってるけど、何て言ってるんだ?」

弟はラジオのボリュームを上げた。

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