「生産性」の重要性について
職場のわたしの部署には十五人の社員がいて、未婚はたったの三人。
私もその一人なのだけれど、ここ2、3年、やけに結婚の波が来ています。おかげで、最高50歳、最低25歳という割と若めの職場にもかかわらず、です。(しかも出産も多い。だったら男でも産休・育休取れやと思うのですが……)
同期の社員も、遠い地で営業しながら結婚が決まったと聞いて、「このコロナ禍に何の営業してんだコラァ?」と思わず脳内で悪態ついたものの……
なんか最近、こういう他人の幸せが妙に嬉しい。
例えば街でカップルがいちゃついているとするじゃないですか。
学生のときとかは「道の真ん中でいちゃつくなよ邪魔だな見たくもないから公衆の面前に晒すな今年中に分かれろ」くらいのことを思っていた覚えがあるのですが、社会人になるともう「幸せそうやな~こっちまでホンワカするわ~」くらいのこと思うようになって。
これって、もう諦めなんだなー、と最近思うようになりました。
繁殖=生物的な最終目標はおろか、結婚=愛し合う異性との共同生活すら一生不可能であることを、身体が思考より先に感じ取ったんだろうな、と。
つまりは老化です。老化、楽しいですよ。
新聞のコラムでゲイの小説家のインタビューが載っていて、「我々(ゲイ同士)は命を次世代に引き継げないから、愛を確かめる有形の物が存在しない」ってなことを言っていて、なるほどなあと思いました。
老化を自覚したとき、私はちょっと誇らしかったんですよ。
繁殖を第一目的としなくていいとわかれば、自分がしたいことを第一目標に設定できる。それってすごく人間的なんじゃないかと思うのです。
一時期、いえ今も問題にされている「生産性」ですが、議論がいびつになってきているのではと感じます。
障碍者や老人、病人はそもそも生産性不足なのでしょうか?彼らがいなければ成立しなかった「生産」はあるのでは?夫婦や家族のみで子育てしていると思ったら大間違いです。二人の勤め先や自治体も協力しているんでしょうし、もっと気付きにくい縁はそこここに転がっているのだと思います。
生きているだけで、それだけで価値がある。そう思える人こそが、「人間」で、そう思えない人はまだ動物としての「ヒト」だと思います。つまり生物的な価値=繁殖力が重要だと考える人ほど「ヒト」なんじゃないでしょうか。
などと偉そうに書いてきましたが、これも全て結婚もできず子宝に恵まれることもない独り者の、ただの哀れな負け惜しみでございます。腹が立ってもどうかお気になさらず、繁殖行動にふけっていてください。
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