慈善団体のCMはなぜ嫌われるのか

慈善団体のCMは「きわめて圧が強め」のものが多いです。これはナゼなのでしょうか?

この手の広告がどうしても圧が強くなる理由としては、見る人がもともと「仲間」と思ってない可能性が高い相手に対して、具体的な救いの手を差し伸べてもらいたいという、無茶な要求をする広告だからです。

これが「親戚が困ってるのでお金を出そう」「生まれ育った町の人が困ってるのでボランティアを」「同じ神を信じる仲間に食料援助を」みたいなものだったら、まだいいです。

血縁や地縁や宗教的な縁があれば、相手は「なんとなくゆるくつながりのある相手」になるからです。「困ってる人を助けよう」という昔からある道徳的なメッセージだけである程度響きます。

ただ、「同じ人類という種に属している」というだけの相手は、多くの人にとってはつながりを体感できる「仲間」ではありません。実際の接点がないからです。

「全人類=兄弟」みたいな視点は、多くの人にとっては後天的な環境によってしか獲得されないものです。実際に全世界に友達がいてリアルタイムに関わりがあれば「人類=兄弟」的な発想はリアルリティ―を持つかもしれませんが、そうでなければ「人類みな仲間」的な発想は体感を伴いにくいものです。

もともと存在していないリアリティーに土台をおかざるをえないので、遠くの国の子どもを助けたいみたいな広告は極めて圧が強いものになりがちなわけです。



以後はもう少し突っ込んだ解読。(読みたい人だけ読むように)



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