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非戦をテーマにした物語の功と罪

昭和のクリエイターは「非戦の正義」と「戦う正義」の2つの物語の対立に葛藤をすることで何かを生み出すというパターンがわりとあったのではないかと思うことがあります。

「火垂るの墓」みたいに直球で「悲惨さ」を訴えるものは分かりやすく非戦ですが、ガンダムシードとか、るろ剣とか、にも非戦的な思想は入っているように感じられます。

これって例えば作る側の心の中で

・飛行機大好き、サムライ大好き、戦いのかっこよさを描きたい
・非戦こそ正義、戦いの残酷さを描くべき

という2つの思いが常に葛藤しているとしたら、その葛藤から何かすごいものが生まれてくることはあったのではないかという推測です。

これは、時代背景の問題があって、1945年の第二次大戦の敗戦によって「戦わないことが正義」という理念のパワーが日本列島では強くなったという背景があります。その前の時代は国家総力戦の時代だったので「戦うことこそ正義(非戦は悪)」だったものが敗戦によって180度反転したわけです。

「嫌なものは嫌」と言えるようになったという意味では喜ばしいことだと思います。ただ、常にどの時代どの地域でも「戦わないことが正義」かというとそうでもありません。

米の英からの独立戦争

例えばアメリカがイギリスからの独立戦争を戦った時代を考えてみましょう。

当時のアメリカ大陸はもともと住んでいた人たちはいたのですが、コロンブスの新大陸到達をキッカケにイギリスなどからの移民が増加し、ヨーロッパからの移民による植民地という状態でした。

「植民地=絶対の悪」ではないかもしれませんが、独立戦争が起こったということは「イギリス本国の統治下にいるのは嫌だ」という声が当時のアメリカ大陸の住人の間で臨界点を超えたということでしょう。

「独立したい=戦うしか選択肢はない」という状況の場合に「非戦」という正義にどこまでの説得力がでるかは疑問です。「"Give me liberty, or give me death!" (自由か、しからずんば、死を!)」というような演説に多くの支持が集まるような状況の場合、「戦う=悪」という正義に支持が集まることはないでしょう。

非戦によって戦争を招いた例

また、「とにかく戦わないことを基本方針にすればよい」という発想の欠点として、かえって大きな戦争の火種をつけてしまうことがあります。これは第二次大戦直前のヒトラー政権のドイツと英仏の関係の例があります。

当時のドイツは周辺国に対して「領土をよこせ」という要求などをどんどんしていました。(第一次大戦の敗戦時にとられたところを返せというものを含む)

そこで国際会議が開かれるのですが、

ヒトラーのドイツ:ここで妥協してくれれば、もう何もしないよ

英仏:今は戦争は避けたい。ここはドイツに妥協しておこう 

という対応で当時の超大国だった英仏はヒトラーのドイツに妥協をします。(融和政策)

結果、ヒトラー政権はどんどんとやりたい放題になっていき、英仏が我慢できる限界を超えてしまって世界的な大戦に発展します。

これは「戦いを避ける」という正しく見える方針が、逆に大戦を引きおこしたと解読できる例の1つです。

歴史を見ると、「とにかく戦わない」という基本方針だと、相手が戦う選択肢も持っている場合は「戦争を避けたい」という弱みに付け込まれてしまうので、「非戦」は平和維持装置としては逆効果になることがあります。

非戦の物語の功罪

といったことをふまえて考えると、大きな視点で見た場合には

「非戦の物語の功」
戦争の残酷さや悲惨さを訴えることで、怒りの世論からインスタントに戦争に発展するリスクを下げている可能性があること。

「非戦の物語の罪」
自分たちが「戦わない」と思っていれば戦争を避けられるという幻想の拡大を助長している可能性があること。


ということになるのではないかと思います。

個人の性格への影響という小さな視点で推測した場合は

非戦の物語のプラス面
「本気で嫌な時は逃げてよい」という解釈で受け取れれば、柔軟な対応ができるようになる可能性。

非戦の物語のマイナス面
「怒りや争いはとにかくダメ」という解釈で受け取ってしまうと、自己否定感がどんどん上がる可能性。

になりそうです。


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