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末代までの

「なぁ与作よ、お前は何にするんだべ?」
「それがよぅ、平吉。
まだ悩んでいてよぉ…」

明治8年2月13日。
のどかな山の中にあるこの村で重大な出来事が起こっていた。
それは明治政府が発令した「平民苗字必称義務令」。
それまでは名前しかなかった平民にも苗字を付与する。
そんな試みだ。

明治政府からのお達しにより、各戸好きな苗字を名乗ってもいい事にはなっていたが、それがまたこの作業を難儀にしていた。

「大体よぉ、苗字なんて必要なのかいな」
義務化について最初に文句を言ったのは与作だった。

「今のままでも十分じゃねぇか。
なのにわざわざ上の名前だぁ?
明治政府は結局、俺たち平民から税金を巻き上げたいだけだろう!

「そうだべなぁ。
わいもそう思う」
与作の苦言に平吉も同意する。

しかし、これは「義務」だ。
文句を言っていても仕方ないのである。

「はぁ…」
「はぁ…」
二人はため息をつきながら、渋々紙に候補を書き出した。

しかし、筆は一向に進まない。

「苗字って言われてもよぉ、どんなものか想像もつかねーよなぁ?」
「そうだなぁ…」
「何かヒント、ヒントねーか?」
「ヒントっちゅーても、お前…
そういえば、隣村の田吾作のところは田んぼの真ん中に家があるから「田中」にする言うとったわ」
「おぉ、「田中」か。
ほいじゃ、俺らも「田中」にするか?」
「そげんことしたらみんな「田中」になっちまうだろ」
「確かにな。
他にヒントはないんか?」
「そういえば、田吾作ん家の隣の与次郎は田んぼの村にあるから「田村」にする言うてたな」
「おぉ、そう言うアレンジがあるんやな!
じゃあうちは畑の中やから「畑中」でどうや?」
「まぁええんちゃうか。
でもな、わし、ちょっと小耳に挟んだことがあるんや」
「なんや?」
「えらいオシャレな苗字付けてる奴らもいるそうやで」
「オシャレ?」
「小鳥が遊ぶ書いて「たかなし」だそうじゃ」
「は?なんでそれが「たかなし」やねん!」
「そう思うじゃろ?
なんでも、鷹がいないから小鳥が自由に遊べるからだそうじゃ」
「そんなん読めんやろ!」
「読めんくてもオシャレやらかええんやと。
他にもあるぞ。
お前、「一」で何て読むか、わかるか?」
「「イチ」やないんか?」
「そない簡単なら聞かんわ!
ほらほら、頭捻って考えてみ」
「「ボウ」とかやろうか?」
「ファイナルアンサー?」
「ファ、ファイナルアンサー」
「正解は「にのまえ」じゃ!」
「はぁ?そんなん読めんやろ!」
「読めんくてもオシャレならええんやって!」
「よし、じゃあわしもそないオシャレな苗字を考えるわ。
そうじゃな…
「二」で「三の前」はどうじゃ?」
「完全にパクリやないかい!」
「せやな、もっと捻ったもんを考えんと…」

二人はその後何時間も難読苗字を考え続けたが、提出期限までにはピンとくるアイデアが出ず。
結局苗字は「田中」になった。


* 2月13日 苗字制定記念日 *
1875(明治8)年のこの日、明治政府が「平民苗字必称義務令」という太政官布告を出し、すべての国民に姓を名乗ることを義務附けた。
江戸時代、苗字を使っていたのは貴族と武士だけだったが、1870(明治3)年9月19日に出された「平民苗字許可令」により、平民も苗字を持つことが許された。しかし、当時国民は明治新政府を信用しておらず、苗字を附けたらそれだけ税金を課せられるのではないかと警戒し、なかなか苗字を名乗ろうとしなかった。そこで明治政府は、1874(明治7)年の佐賀の乱を力で鎮圧するなど強権政府であることを誇示した上で、この年苗字の義務化を断行した。
引用:今日は何の日(https://www.nnh.to/02/13.html)

[ あとがき ]
この物語はフィクションです。
実際は村の長とかが一括して決めてたんですかね?
でも急に苗字決めろとか言われても難しいですよね・・・

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