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居場所


ここが僕の居場所だった。
この生活が僕の普通だった。

お母さんは優しくて、1週間に1回お家に帰ってきてパンとかカップラーメンを置いていってくれるんだ。
それを少しづつ、1週間かけて食べるんだけど、でもちょっと足りなくて、いつも最後の方はお腹が空いてるんだ。
でも、食べ物を食べられる僕は恵まれているよね。

それからお母さんはお家に帰ってきた時に僕をお風呂に入れてくれるんだ。
まだ一人でお風呂に入れない僕は1週間に1回しかお風呂に入れないから臭いみたいで、いっつもお母さんに「汚い!」って言われちゃう。
でも、怒りながらでも僕の体をゴシゴシ洗ってくれるお母さん。
こんな優しいお母さんがいて、僕は幸せ者だよね。

ご飯を置いて、僕の体を洗うとお母さんはすぐにまた出ていっちゃうんだ。
お仕事なんだって。
本当はもっとお母さんと一緒にいたいけど、僕を育てるために働いてくれているんだからわがまま言っちゃいけないよね。
お母さんがいるってだけで、ありがたいと思わないとね。

でもお母さん、もう2週間も帰ってきてないんだ。
ご飯はとっくになくなっちゃって、水も電気もいつの間にか止まってた。

お母さん、どうしちゃったのかなぁ?
お仕事、忙しいのかなぁ?
お腹すいたよぉ。
・・・・

目が覚めると僕はベッドの上に寝ていた。

「あぁ、よかった。
目が覚めたのね」
スーツのお姉さんが僕の顔を見てそう言った。

「あの、ここは?」
「ここは病院よ。
隣のお家の人から家から物音がしなくなったって通報があって、駆けつけてみたらあなたが倒れていたの。
栄養失調だって。長いこと何も食べてなかったのね」
「あの…お母さんは?」
「今探してるわ」
「そっか、良かった…
またお母さんに会えるんだ」
「そのことなんだけど、
あなた、ご飯をもらってなかったの?」
「え?お母さんはいつもご飯持ってきてくれたよ?」
「でもしばらく何も食べてなかったんでしょ?」
「それは…多分、お母さんお仕事が忙しかったから」
「それに、お風呂だって、洗濯だって、お掃除だってしてくれなかったんでしょ?」
「それもお仕事が忙しいからって…」

「…」
お姉さんは僕の目をまっすぐ見た後。

「そうね」
とだけ言って、どこかへ行ってしまった。

それから10年。
僕は一度も母とは会っていない。
体調が回復してすぐ施設に引き取られ、そこで名前と家を与えられた。
どうやら母は僕の出生届も出していなかったみたいで、僕は無戸籍児だったらしい。

そして施設で生活するうちに自分の母親がどれだけ酷いことをしていたのかを知った。
母は口癖のように
「あんたは恵まれている」
「あんたは幸せ者だ」
と言っていたけれども、きっとそれは自分に言い聞かせていたんだろうなぁ。と今では思う。

だって、雨風を凌げる家があって、温かいご飯があって、ふかふかの布団があって、頼れる大人がいて、気の許せる友人がいて。
今、心から「自分は幸せ者だ」と思えるから。

あの時通報してくれた隣人と、僕を育ててくれた施設の先生たち。
そして僕を生かしてくれた全ての人に感謝の表して。


* 1月29日 人口調査記念日 *
1872(明治5)年のこの日、日本初の全国戸籍調査が行われた。
当時の人口は男1679万6158人、女1631万4667人で合計3311万825人だった。
引用:今日は何の日(https://www.nnh.to/01/29.html)

[ あとがき ]
いたいいいたいいいたいい!
自分で書いといてなんだけど心が痛すぎる…
でも実際、無戸籍児って日本に1万人以上いるらしいです。
この日本にですよ?
全ての人がここ豊かに過ごせますように。
祈りを込めて。


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