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なりたい私

母と一緒に歩いた高級百貨店のショーウィンドウに並ぶマネキンたち。
その堂々とした出立ちと細かい縫製の衣服、そして煌びやかな装飾に私は心を奪われていた。
そして思ったんだ。

「いつかマネキンになりたい!」

あの服を着たい!でもなく、モデルになりたい!でもなく、ただひたすらにマネキンになりたかった私はどうやったらマネキンになれるか必死に検索した。

しかし…

「ダメだ、どこにもマネキンになる方法なんて書いてない」

当然、マネキンになれるための情報なんて何一つ見つからなかった。
しかし私はこの夢をどうしても諦めたくなかった。

「過去に誰もマネキンになったことがないのなら、私が世界初のマネキン人間になってやる!」

そうして私の模索が始まったのだ。
まずはマネキン工場にアルバイトとして潜入し、その素材、可動域、作り方まで必死に研究した。

そして私が導き出したのは
肌の色はカラーコードXXXX
身長はXXXcm
バストXXcm
ウエストXXcm
ヒップXXcm
股下XXcm
靴のサイズXX.Xcm

完璧なマネキンの仕様だった。
それから私は過酷なダイエット、バストアップ、美白をこなし、ついに理想の体型、肌色になったのだ。

しかし、私とマネキンの間には超えられない大きな壁があった。
そう、マネキンは無機物。
生きていないのだ。

いくらマネキンに近づきたいとは言え、死んでしまっては元も子もない。
私はそこで完全に手詰まりしてしまった。

「ねぇ、私はこれ以上あなたたちに近づけないの?」
大好きな百貨店のショーウィンドウの前で一人、マネキンに話しかける私。
すると突然

「oh!You!」
声をかけられた。
驚いて振り向くとそこにはスーツに身を包んだ外国人女性と日本人の女性が…

興奮気味に私に英語で話しかける外国人女性。
しかし英語のわからない私は頭にはてなを浮かべていた。
すると日本人女性が彼女の言葉を通訳してくれた。

「あなたはまるでマネキンみたいね!
今度私のブランドで人間をショーウィンドウに入れて飾るイベントをするの!
よかったら。
ううん、ぜひあなたに出てほしいわ!」
なんと外国人女性はとあるブランドのオーナー兼デザイナーだったのだ。

「私、マネキンになれるんですか?」
「あら、あなたマネキンになりたいの?」
「はい、小さい頃からの夢なんです」
「それは最高ね!ぜひうちのマネキンになって!」
「はい!」
こうして私はマネキンとしてデビューを果たし、夢を叶えたのだった。


* 3月24日 マネキン記念日 *
1928(昭和3)年のこの日、上野公園で開かれた大礼記念国産振興東京博覧会で高島屋呉服店が日本初のマネキンガールを登場させた。
マネキンガールとは、マネキン人形ではなく現在でいう「ハウスマヌカン」のことである。「招金」に通じるということで、フランス語のマヌカンではなく英語のマネキンという言葉を使った。
引用:今日は何の日(https://www.nnh.to/03/24.html)

[ あとがき ]
それより「ハウスマヌカン」って何?!と思って調べると「今で言う「その店で販売している洋服を着用して接客する、ブティックの女性店員のこと」」だそうです。へぇ〜

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