創作小説② マイ・ストーリー~Awakening

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(前回からの続きとなります)
 インス☆のアカウントに私に成りすました投稿を見つけてからというもの、スマホを触ることすら恐くなりました。朝、一度だけインス☆を開いて私(というか成りすまし屋)による投稿がないことを確認したあとは、スマホを最早座ることがなくなった仕事机の隅の方に置いて存在を消すようにしていました。そのせいで、着信を取り損ねることもあって……バカみたいですよね。
 日を追うごとに、あれは私の勘違いだったのではないか、大体私に成りすますだなんてあり得ないし、と思えてきて、ああよかった、ああ恥ずかしい、と胸を撫で下ろすやら、自嘲するやら。
 そんな気持ちのアップダウンも落ち着いて、そろそろまた何か投稿しようかな、と思い始めた頃のことです。パリ駐在時代からのママ友、Mさんからこんなダイレクトメッセージがきました。

「週末にパリ日本人学校の同窓会があったんだってね。Tから、Y君の元気そうな写真も見せて貰ったわ。それで、ふと、naomamaさんどうしているかな、と思ってさ」

T君というのはMさんの息子、Yというのが私の息子です。T君とYはパリ日本人学校中等部の同級生でした。

「インス☆見る限り元気そうね。ついでにざーっとnaomamaさんのインス☆見ていたらこの写真が出てきてね。ノートルダム寺院、ほんと、なおみさんのコメントにある通り、こんな風にすーっとした立ち姿だったなぁって。あの後火事があって大変なことになったみたいだけど。――でさ、コメント読んでたら、空港での、まだ幼さ残るY君の緊張した面持ちを思い出しちゃって、涙腺じわっとしちゃったわよ。懐かしいね、そのうち、ママ友同窓会もやろうね」

 前回も触れたように、私達家族はパリに住んでいた時期があります。渡仏したのは40歳のとき。あれからもう8年も経ったとは光陰矢のごとし。
  会社の事情から急遽決まった転勤だったので、子ども達の学校のことも考える余裕なく、取り敢えずパリ郊外にある日本人学校に入れました。
 はじめの一年はホントに無我夢中。夫も私も初めての外国暮らしですし、フランス語の知識なんてゼロですからね。気づくと四月が来て、娘は小六、息子は中三になっていました。娘はよしとしても、息子は中三、受験です。将来の進路を考えると、やはり息子は高校から日本に帰すしかありません。海外でやっていくには語学力が追いつきませんし、中途半端に海外にいては、日本の大学にも入れなくなります。

 このとき、冒頭のMさんに帰国子女枠で受けられる高校を教えて頂いたのです。結果、息子は、H大付属高等部に入れることになり、翌年春には息子一人で日本に戻り、寮生活をすることになったわけです。
 でも、ですね。私は手放しで喜べませんでした。息子をこんなに早く巣立たせるだなんて、心の準備ができていません。パリに来るまでは、大学卒業、いや勤務先によってはさらに二、三年は東京近郊のわが家で親子4人の暮らしが続くと思っていたのです。それがいきなり16歳でお別れだなんて! と慌てました。
 
 こうして書いていると、あの頃の心情が思い出されます。
 息子が旅立つ寂しさに加えて、急に母親家業から解雇されたように感じてしまって(まだ娘がいるのに何故かそう思ってしまったんですよ)、気持ちが沈んでしまったんですよね。そんなときに、Mさんに優しくしていただいて、息子のことだけでなく、私の胸の内を吐露し涙を見せてしまったこともありました。Mさんは、私のインス☆を見てそのことを思い出してメッセージを下さったのです。

 ――説明が長くなりましたね。私の悪い癖です。本題に入ります。Mさんが送って下さった、2016年3月18日付のインス☆の写真は、ご覧のように、夜のノートルダム寺院の写真です。ライトアップされた寺院の塔は、鋼のように力強く、すーっと宇宙に向かって伸びています。その下の、一文で、私はこんなことを書いています。

息子が進学のため、一人で日本に帰国しました。入学式には行くので一か月弱のお別れですが、うーっ、ママは淋しい!
そんな昨夜、コンサートで訪れたこのノートルダム寺院の立ち姿にノックアウトを喰らった感あり。力強く立ち続けなくちゃ。母親なんだもの、女性なんだもの。 

 Mさんを泣かせたという一文です。拙い文章ですが、まあ、気持ちは出ているかな。

 でも自画自賛したくて載せているのではありません。

 あのですね、これも私が載せたものではないのです。少なくとも覚えがありません。確かにパリ時代、ノートルダム寺院には何度も訪れました。夜に写真を撮ったことあります。でも、iCloudにあるノートルダム寺院の写真を確認したところ、どこかが微妙に違っています。やはりこのインス☆の写真は私が撮ったものではない、と思うのです。
 文章の方も、このような一文を書いた記憶はあるのですが、インス☆ではなく誰か友達へのメールの中で書いたような気がするのです。私が混乱しているだけなのでしょうか?

 あゝ、分からない! 考えれば考えるほど私もグラグラしてきました。何しろ、このノートルダム寺院の投稿は月日も内容もドンピシャリなのですから。写真もじーっと見ていると、何だか見覚えがあるような気もしてきます。コメントでもあればとっかかりになるのでしょうが、当時はインス☆もほんとにたまにしか投稿していませんでしたし、フォロワーも二桁に乗るか乗らないか程度。何を投稿しても「♡」もなく、コメントを残す人も殆どいませんでした。従ってこの投稿もコメントはなく、♡もMさんが最近押してくれた一つだけです。
 混乱する頭を抱えながら、過去のインス☆の投稿を見てみると、10個以上、記憶にない投稿がありました。でも、それらも何回か見ていると、やっぱり私が載せたものかしら、と自信がなくなってきます。
 私の写真は景色か食べものが殆どです。結局、そういう投稿が反響大きいんです。きれいな景色や美味しそうなものの画像を見ると少しだけ気分が上がる、それは私自身そうなのでわかります。だからというわけではありませんが、やはり喜んで貰える写真を投稿したいな、と思うこともあって、そんな写真ばかり。
 反響云々ですが、別にそんなのを求める歳ではないので、意識していないつもりでしたが、これはSNS心理なのでしょう。やはり♡の数が多いと嬉しくって、狙っていないかといえばそれはウソかも。
 とはいえ、私の写真は普通にiPhoneで撮ったものですから、特別な技術もなく、誰が撮っても違いが分かりません。文章も、インス☆は短文ですし、場所や料理についての情報が多いので、誰かが書いたとしても私の文章と違いが分かりません。そうやって考えると、インス☆って何なのでしょうね。

 でもそんなことを考えている場合ではありません。私は記憶障害か、若年性認知症なのか。だって、過去に遡って成りすまし詐欺なんて聞いたことないですし、おかしいのは私でしょう? まずは心療内科に行くべきなのか、それとも脳外科? そう考えるだけで涙がポタポタこぼれ落ちます。夫に相談できれば良かったのですが、夫は当時大きなプロジェクトの山場にいて、そのストレスで夜もよく眠れずに疲れ切っていました。そんな彼に私の悩みまで背負わせるのは申し訳なくて、せめて仕事の方が落ち着くまで、このことは私の胸に秘めておくことにしたのです。
 ネットで記憶障害について調べ、病院のリストも作りました。あとは電話を掛けて予約を入れれば良いのです。でもスマホに手が伸びません。「明日こそは」と思いながら数日が過ぎました。その間、インス☆はチェックすらしませんでした。
 よし、今日こそ予約を入れよう、と決めた朝、念のためにもう一度インス☆を見てみました。もしかしたら、記憶が蘇って「そうよ、あの時にこういう投稿したじゃないの」と思い出すかもしれないし、と期待したのです。
 すると、こんな写真が投稿されていました。

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 そうなのです、なんと、私の写真なのですよ。つばのある黒いフェルト帽を目深に被っているので顔の下半分しか見えませんが、そして少し前の写真なのでしょう、今よりも少し細いのですが、これはやはり私です。
写真の下の一文も見えますか?

「お目汚し失礼!新しい帽子を買ったので嬉しくって」

 とあります。
 でも私、こんな帽子持っていません。顔は確かに私なのですが。どうやって私の写真にアクセスできたのか。どうして、どうして? と考えるうちに脳内に何かがぶわーっと湧き上がってくるのを感じました。何? 何が起きているの? そのうちに目もちかちかしてきます。でも、そのちかちかと光が邪魔する中で、私の目は、「♡」の数を確認します。323! いつもは二桁なのに。コメントも20以上あるようです。投稿日を見ると5日前とあります。どういうことなのでしょう。
 でももう限界です。目がちかちかして吐き気もあります。気が動転したせいか、片頭痛に襲われてしまったようです。片頭痛なんて、二十代が最後だったのに、一体私はどうしてしまったのでしょう。

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 ーーすみません、これは少し前の話ですので、どうぞご安心ください。あの時を思い出していたらついつい感情的になり、まるで今起きているかのように書いてしまいました。片頭痛はあの時以来起きていませんし、至って健康体ですので。
 でも長くなりましたし、今日はこのくらいにしておきます。また近日中に続きを投稿しますね。

冬将軍が近づいてきました。風邪など召しませぬようご自愛くださいませ。
Naomama☆

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※この小説に登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

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