26.懐かしさの引力

「夕日は人を振り返らせる。」

映画クレヨンしんちゃん『オトナ帝国』の名セリフですが、いざ自分も大人になってみると、この夕日のようなものが日常のあらゆるところに潜んでいることに気づかされます。

日曜夕方の笑点⇒ちびまるこちゃん⇒サザエさん。Youtubeにアップされているおジャ魔女どれみやデジモン。本屋で目にする、昔読んだ小説やマンガ。これらは強烈な引力を持って、今の忙しい生活から、心地よい過去の懐かしい思い出の中に引き戻そうとしてくるのです。

そんな過去の誘惑に負けた次の日は、決まって仕事のパフォーマンスは下がってしまいます。頭の中でBGMのように延々と懐かしい者たちが流れ、後ろ髪を引かれるような想いと戦いながら、積み上がったタスクをを進めなければなりません。

やっとの思いで金曜日の仕事を終え、くったりとして帰宅すると、「もう絶対、懐かしいものなんて見ない・・・」と決意するのです。過去は今を気持ちよくしてくれるだけで、何もしてくれない。過去ばかり振り返るのはやめにしよう、と。

そんなある時、『ニューシネマパラダイス』という昔の映画を見ました。その中で、映画監督を志す主人公トトに対して、映写技師のアルフレードがこんなセリフがあったのです。

「お前は若いのだから外に出て道を探せ。村にいてはいけない。そして帰ってきてはいけない」「人生はお前が観た映画とは違う、もっと困難なものだ。」

トトはその言葉通り、故郷の田舎町を離れ、ローマへと旅立ちます。そして30年間一度も故郷へ帰らず、ローマで映画監督として大成功を収めるのです。

この映画に感化され、僕は一時期、トトのように過去を振り返らず、成功を求めて過去を振り返らず、がむしゃらに働いこうと決めた時もありました。平日は毎日のように遅くまで仕事をして、土日もTodoリストを作成して、タスク処理をするようにインプットを続ける時期もありました。

Twitterなどでも、成功している経営者や意識の高い同年代の社会人たちをフォローしていると、そんなハードな日々も悪くないような気がして、俺はたしかに成長しているのだと思っていました。

しかし、無理と言うのは続かないもので、ある時プツン、と頑張る気力が途絶えてしましました。しばらくインプットもせず、土日をだらりと過ごすことが増えました。

しかし、そうしていると、毎日を仕事のために消費するように過ごしていた時には見えなかったものが、感じられるようになりました。まず、自分の好き嫌いに敏感になりました。今までは、人から何かをおすすめされると、何でもかんでも素直に受け入れていました。しかし、どうもそれでは心が疲れてしまうようです。

自分の心が動かないものを、成長という名目の元に、無理やり楽しいと思い込もうとしていないか。そうやって一度自分に問いかけることで、いたずらになんでも間でも無理にインプットすることは無くなり、日々を過ごしていてもだいぶ気持ちがラクになりました。

そしてもう一つ、懐かしさを避けるのではなく、肯定して受け入れるようにしました。観たくなったら、おジャ魔女どれみやちびまる子ちゃんだって見ればいいし、僕の好きな80~90年代歌謡曲だって聞けばよいのです。そして気が向いた時に、最近の流行の物を見聞きする。それくらいの塩梅が、今の僕にはちょうど良いことが分かりました。

世の中にはいろんな人の意見があふれていて、タチが悪いのは極端な意見の方が、なんかカッコよくて魅力的に聞こえることです。しかし、あくまでそれはその人の意見なので、そっくりそのまま自分に当てはまるとは限りません。そうとは気づかずに何でもかんでも受け入れてしまうと、自分が何が好きなのか、どういう考えを持っているのかだんだんと分からなくなってしまうです。

大切なのは、いろんな意見がある中で、自分なりのスタンスを持ちながら生きることだと思います。どうやら巷にあふれる成功者たちの、マッチョな考えは今の僕にはあんまりしっくりこないみたいなので、仕事つらいけど、まあ楽しい所もあるし、つらいと楽しいの間でうまくやっていくか、と曖昧なところで折り合いを付けることにしました。

たぶん、極端に、結論を出して断定して生きることは簡単だと思うのです。これが正しい、あれは間違い。そうやってビシバシ切り捨てていくのは、自分が前進している感じがするし、間違っていないと迷わず生きることができます。

逆に、すぐには結論の出ない、曖昧な状況の中でしぶとく生きることは大変です。あれこれ悩むことは多いし、進むのは遅いし。でもやはり、これだけいろいろな情報があふれていると、簡単に結論を出すことはなかなか難しいように僕には思えるのです。

最近読んだ本で『ネガティブ・ケイパビリティ』という本があります。ネガティブ・ケイパビリティとは、「答えの出ない事態に耐える力」のことで、「急がず、焦らず、耐えていく力」とも言われます。シェイクスピアがこの力を多分に有していたと言われています。

本書の中で、「ネガティブ・ケイパビリティ」が求められる代表的なシチュエーションとして、音楽や絵画の鑑賞が挙げられています。いわゆるエリートたちは、「芸術はわからん」と言ってさじを投げるか、芸術の良さを理解しようと必死に解説書や背景などを参照します。

しかし、本書によれば、音楽や絵画の鑑賞など、もともとよく分からないものなのだから、無理に理解しようとしなくても、「なんか良いなぁ」くらいのものでよいのです。分からないものを無理に理屈づけて理解しようとするから、苦しくなるのです。

この本を読んで、荒んでいた僕の心は少しだけラクになりました。別に分からなくても良いのだと、曖昧なスタンスで生きていても良いのだと。そんなわけで、ネガティブケイパビリティ、おすすめです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?