31.呪いのマクラ…?

あぁ、やってしまった。

飲酒運転だ。

少なくとも2台は車をぶつけてしまった気がする。人を撥ねてはいないだろうか。パニック状態になった僕は、T字路の突き当りをそのまま直進し、ガードレールを突き破って、茂みの中へ入っていった。数秒走った後、車を急停止させ、今に至る。

頭が痛い。視界が歪み、指先の感覚は鈍い。空調も入れていない、じっとりと蒸し暑い車内で、僕はイヤな汗でシャツをべったりと濡らしながら、どうしてこうなってしまったのか、おぼろげな記憶をたどっていった。

夜中1時頃だった。急に友人に呼び出されて、何を思ったかカーシェアで向かってしまったのがそもそもの間違いだった。しばらくBarで飲んだ後、おそらくクラブに行ったのだろうか。あまり覚えていない。気づけば路肩に停めていた車の中で、僕はぐったりと眠っていた。

空がほんのりと明けがかった頃、ふと目を覚ます。アルコ―ルの残った脳内で、唯一、帰巣本能だけが働いたのだろうか。

「帰らなければ。」

エンジンを入れ、震える手でサイドブレーキを解除し、ハンドルを握って、アクセルを踏んだ。それからは、先述した通りである。

とりあえず、逃げよう。そう考えた僕は、ボコボコになった車から出ると、とにかく走った。すっかり夜は明けて、木々の隙間から朝日がチラチラと、みずみずしく輝いている。

10分ほど走ったところで、グラウンドが見えた。たくさんの子どもたちが遊んでいる。小学校のようだ。ふらふらと校門の前に近づくと、門の前で、棒のように直立していた警備員のような男が、こちらをじっと見つめている。

「おい、何をしている!」

男はズンズンとこちらへ近づいてきて、僕の腕をぐいと掴んだ。

「そういえば、この辺りでひき逃げ犯が逃走してるって連絡があったなぁ・・・」

男はニヤリと不敵な笑みを浮かべながら、僕の腕をぎゅっと握ったまま離さない。手先が徐々にしびれるのを感じながら、僕の目の前は、しだいに真っ暗になっていったー。

と、ここで目が覚めた。なんて悪い夢だろう。枕元に置いてあった飲みかけのボルヴィックのキャップを外して、ごくりと喉を潤す。

そういえば、昨日から枕を新調していたのであった。以前から枕が気に入らなかったので、ニトリで新しく買い直したのだ。ネットでおすすめされていた「高さ10段階調整マクラ」という商品を購入し、しっくり馴染む高さになるよう何度も何度も微調整を繰り返した。

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(▲ニトリの高さ10段階調整マクラ)

「今夜はぐっすり眠れそうだ!」そんな期待に胸を踊らせながら、高さ10段階調整マクラと迎えた初めての夜。それが、思いもよらぬ、それも妙にリアリティのある悪夢である。ゾンビに襲われるとか、夢の中でも「あ、こりゃ夢だな」と思えるような内容なら良いものを……。こうなってしまうと、僕の中ではまくらに対する不安が、どんどん膨らんでくる。

「もしや、この先ずっと悪夢を見させ続けられるのではないか・・・」イヤな予感がふつふつと湧いてくる。困ったことに、このマクラ、寝心地は抜群に良いのだ。中央がちょっと凹んでいる構造になっており、頭を載せると包みこまれるような感覚がある。低反発マクラのような硬さもないし、ホテルタイプのマクラのように柔らか過ぎず、じつに丁度良い硬さなのだ。

寝心地はまったく申し分ないものだから、毎晩のように悪い夢を見させられるけれど、このマクラから離れることができない。次第に僕はやつれていき、顔色は悪くなり、目の下のクマは日に日に濃くなってゆく。会社の先輩から「だいじょうぶか?最近、寝れてるか?」なんて聞かれても、「いやぁ、すごく気持ちよく寝れてはいるんですけどねぇ・・・」なんて力の無い笑いを浮かべながら返事をする。

こんな行く末を想像したら、ちょっとした怪談話のようにも思えてきて、幾分か怖くなってきた。僕はマクラをじっと見つめ、警戒心をぐっと高める。

その日の夜、ベッドに入った僕は「今夜も悪夢を見たとしたら、このマクラは呪われているぞ」と神妙な心持ちのまま、眠りについた。

悪夢はなかった。まったくもって快眠である。夢の内容もまったく覚えておらず、心地よい朝を迎えた。

「よかった。呪われたマクラじゃなかった・・・。」僕はほっと胸をなでおろした。それ以来、高さ10段階調整マクラは毎晩僕に快眠をもたらしてくれている。

ニトリでお値段たったの4,990円。非常におすすめしたい一品である。

P.S. この一件で気づかされたのは、自覚していなかった自身の迷信深さだった。「夜中に爪を切ると寿命が縮む」とか「靴下を履いたまま寝ると縁起が悪い」といったものはあんまり信じないのだけれど、自分にまつわる迷信めいたものは割と信じるタチである。

例えば、僕はベルトの通し方が普通の人と逆向きである。生まれた時からこうなのだが、少年野球の時に一度「ベルト逆じゃない?」と指摘され、正しいとされる向きにベルトを巻いた。その日、僕は信じられないくらいに絶不調で、監督からもしこたま怒られたため、それ以来ベルトの通し方は、逆向きを貫き通している。

また、中学校時代の野球部では自分のバットというものを持っていなかった。友人のバットを借りて、ヒットが出なかったらまた別の友人のバットを借りて、ヒットが出たらそのバットを使い続けた。そして、ヒットが出なくなったら、また別のバットに乗り換えるのだ。

そして最終的に落ち着いたのは、部室の奥に眠っていた木製のバットであった。大会の1週間前から使い始め、それまで一度も木製バットを使ったことがないにもかかわらず、大会本番ではめちゃくちゃにヒットを量産してくれた。部活を引退したら、そのバットは部室に戻しておいたので、今も部室にあるのか、それとも捨てられてしまったのかは定かではない。

どちらかと言えば慎重な性格の僕にとって、迷信とか運とかツキとかは「くだらないなぁ」と思いつつも、理屈抜きに不安を取り除いてくれるので、ないがしろにできないでいる。迷信をもっと、上手に使いこなせたら、ちょっとは人生が豊かになるんじゃないかと、ふと思った今日この頃である。

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