25.中伊豆のアイドル

小学校高学年の頃、秘密基地を作ることに夢中になっていた時期がありました。幸い、中伊豆という緑豊かな田舎町で育ったため、秘密基地になりそうな場所はたくさんあり、神社の裏や、原っぱのど真ん中、森の中、山の洞穴など、いたるところに秘密基地を作っては飽きて、壊して別の場所に移動する、といった遊びを繰り返していました。

ある日のこと、僕は新しい秘密基地の候補地を探して、友だちのゆうや君と町を歩き回っていました。すると、山のふもと辺りに、ちょうどよい木々の茂みがありました。分け入ってみると、思った通り、茂みの中はちょっとした空間が開けていて、ゴザでも敷けばちょうど良い基地になりそうです。僕とユウヤ君はさっそく、秘密基地をこしらえることにしました。

家から持ってきたゴザを敷いて、武器庫と呼んでいた段ボール箱に、地元の秋祭りで買ったおもちゃの火薬銃や地雷を詰め込んで、漫画数冊とお菓子とジュースを持ち込んだら、秘密基地の完成です。

僕とユウヤ君はさっそくジュースで乾杯を交わしました。ひと仕事終えた後の炭酸水は格別です。しゅわしゅわと弾ける泡がのどを通り、冷たいジュースが身体に沁みわたると、2人は「ぷはぁーっ!」と声を上げました。

基地の前には田んぼがありました。その脇には細い水路が通っていて、さらさらと澄んだ水が、緑の藻を揺らしながら流れています。しかし1箇所だけ、水が流れていない水路がありました。その水路を辿っていくと、石で水が遮られていることが分かりました。

これは一大事です。手をかけて作った僕たちの秘密基地のすぐ近くで、水不足の水路が発生しているのですから。僕とユウヤ君はすぐさま解決せねばと思い、その石のそばへ駆け寄りました。

ぐっと腰を落として石を持ちあげようとしましたが、見た目以上にその石は重く、しかもしばらくそこにあったためか、小石やらなんやらが挟まっていて、簡単には取れそうにありません。石を引っ張る僕の腰を、ユウヤ君が引っ張りますが、やはりなかなか動きません。

2人してヨイコラやっていると、突然、田んぼに怒鳴り声が響き渡りました。

「オラァ!お前ら何やってるんだ!!!!」

びっくりして顔を上げ、声の先を見ると、帽子を目深にかぶったおじいさんが、ズンズンとこちらに向かってきます。慌てて僕とユウヤ君は石から手を離しましたが、おじいさんのあまりの剣幕に、蛇に睨まれた蛙のようにその場を動くことができません。

「おいガキンチョ。お前らここで何してたんだ。」

「えっと・・・その・・・。石を動かそうと、思って・・・」

「あぁん?ここはお前らの田んぼかァ?この石はな、わざと止めてあるんだよ!それ動かされたらなぁ、たまったもんじゃねェんだよ!!!」

まるで落雷のように怒鳴り声をまくしたてるおじいさんを前に、僕らはすっかりすくみ上ってしまいました。ユウヤ君は恐怖のあまり半ベソをかいており、僕もわなわなと声が震え、次第に視野も潤んできて、涙が頬を伝うのを感じました。

その後もおじいさんの説教は続きました。時間にして10分ほどだったと思いますが、当時の僕らには1時間くらいに長く感じられました。

ふと、おじいさんが言いました。

「オイ、おめぇらどこの家の子だ?」

僕が涙声で「ィヒグッ・・・石川です・・ィグッ」と答えると、おじいさんは知らねぇなあ、と言うので、「あの・・・原田薬局の・・・くすり屋の・・・ィヒグッ・・・家です・・・」と正直に話しました。

すると次の瞬間、おじいさんは目をまん丸にして驚いた顔をして、

「ん?おめぇ原田さんちの子か?ほいだら母ちゃんの名前は『ユキエ』じゃねぇか?」

と言いました。何でお母さんの名前を知っているんだと驚きながら、そうです、と答えると、突然おじさんはにこやかな笑みを浮かべて、

「なんだよぉ!ユキエちゃんの子供なら早く言ってくれよぉ!俺ァ昔から原田さんチにはお世話になってるしよぉ、ユキエちゃんもちっちゃい頃から知ってンだよ。そしたらお前も孫みてぇなもんだよなぁ!」

そう言ってポンポンと僕の肩を叩き、上機嫌におじいさんは話を続けます。

「いやぁ、ユキエちゃんはいい子だよなぁホント。べっぴんさんだしよお。そのユキエちゃんももうお母さんか!まったく、時間が経つのがあっという間でヤになっちまうよ!」

さっきまでとはまるで別人のようなおじいさんの態度に、僕とゆうや君は何が何だかわからずにあっけにとられていました。ひとまず、これ以上怒られそうにないことだけは確かです。

「よぉお前ら、こういうイタズラは今度からやんないようにな!あと、ユキエちゃんにもよろしく言っといてな!」

そういうとおじいさんは去っていきました。僕とユウヤ君は互いに顔を見会わせて、涙でぐしゃぐしゃの顔を見て笑い合った後、先ほどセットした秘密基地をいそいそと片付けました。そして自転車に乗り、それぞれの家へと帰ってゆきました。

家に帰ると母が台所に帰ってきました。僕に「おかえりー」と言った後、今日会ったことを母に話しました。すると母は上機嫌になって「え!なになに?どこの人だった?名前は聞いた?」と僕に尋ねましたが、もちろんそんな余裕なんてなかったので、知らない、と言うと、つまらなそうな表情でまた台所に戻っていきました。

しかしまたすぐに、こんな言葉が聞こえてきました。

「まぁ、この町にはアタシのファンなんていっぱいいるからねー」

いつもなら軽く受け流しているはずのその言葉が、その日だけはずっしりとたしかな重みをもっていました。僕はその日ちょっとだけ、母を誇らしく思いました。

おしまい


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