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史上最悪のタイミングで紙のMTGを始めた初心者の対象不適正なお気持ち表明

つい先日ティムールアドベンチャーを組んだ。

そして一度も使う事なく幸運のクローバーが禁止された。

今回の話は上の二行以上の意味はありません。

幸運のクローバーが禁止される経緯に関しては語るまでもない。
でも幸運のクローバーを使いたい理由だったらいくらでも語れる。
……まぁ実際には「アドベンチャーデッキ」を使う理由だが。

その理由は前回の記事で大雑把に語ってしまったのだが、(下記参照)

要は初めて紙で組んだデッキであるターボゲートがスタン落ちして、それに代わるデッキを探していたらティムールアドベンチャーに出会った。ターボゲートで感じていた「楽しさ」をこのデッキも持っていて、しかも強かった。ターボゲートは特殊なデッキだと思っていたので、まさかその穴を埋めてくれるデッキがあると思わず小躍りしながらまずアリーナで組んだ。やはりその「楽しさ」の予感は間違っていないと体感したので、リアルでもそのデッキを使いたいと「厚かましい借り手」の値段にひーこらいいながらパーツを買い集め、なんとか形にした。

そして幸運のクローバーは禁止されました。おしまい。

そう。これでおしまいだ。俺にとってはだが。

MTGというゲームシーンにおいて、今回の禁止はイベントの一つでしかない。もちろん、このゲームの歴史が山あり谷ありの物語だとしたら近年の禁止改定の頻発及びオムナスの禁止最速記録更新は間違いなく「谷」だろうが、この谷間も「出来事」としてタイムラインの一区間に刻まれるだけだ。

例えば、今年の夏の高校野球甲子園大会はコロナウイルスの影響で中止となった。大会自体が開催できないという未曾有の出来事だが、これが高校野球の終焉を意味する事は決してなく、「甲子園の歴史」として記憶と記録に刻まれるだけで、この大会は続いていく。

だが、三年生の球児にとってはこれで「おしまい」だ。
3年間、場合によってはそれ以上の期間努力を費やしてきたある日、目標としていた晴れの舞台が突然スッと消え去った。それでおしまい。
誰が悪いとかではない。本人にも落ち度はないし主催者側の判断も理不尽ではない。でも終わりは終わりなのだ。

俺は競技志向もないカジュアルプレイヤーだ。紙でプレイする機会は月に1度ある程度。(というか紙でのプレイは初心者大会が2回にプレリリース1回で全てだが)
完全に想像だが、社会人プレイヤーならアリーナは別として紙のプレイ頻度がこの程度、というのはままあるだろう。

この位のプレイヤーが環境に合わせて複数の紙のデッキを使い分けるだろうか。経験値的にもカード資産的にもそれはないと思う。
主語を大きくするのは好まないが、カジュアルなカードゲーマーの一定の割合は、俺がかつてMTGAでターボゲートをそうしていたように、一つのデッキを握りしめ、ぬか床を育てるように少しづつチューンナップしていく遊び方をしているのではないだろうか。
プレイ頻度が少ない分じっくりと手に馴染ませ、いわば『相棒』と呼べる程に自分のデッキへの理解を深めていく。メインパーツがローテーション落ちするか、心躍る新たな新カードが産まれるその時まで戦い続けてきたデッキには他に代えがたい愛着も産まれる。
読者諸君のようなベテランプレイヤーやプロとして戦う競技プレイヤーにも、得意なアーキタイプや手に馴染む色があるだろう。その源流には共に戦った『相棒』の原体験があったりしないだろうか。
10年選手のベテランやプロプレイヤーの初めての『相棒』の話、ちょっと聞いてみたい。探せばいくらでもあるんだろうけど。

ともかく、最初の『相棒』であるターボゲートをローテで失った俺は、必死に次の『相棒』を探した結果ティムールアドベンチャーへ行き着いた。

そしてクローバーと脱出が禁止されました。おしまい。

俺だって環境の様子やネット上の評判を知らなかった訳ではない。
そりゃ環境はオムナスが支配的だが、それを支えているのがアドベンチャーや脱出である事、仮にオムナスが禁止されても次はクローバーが槍玉に挙がる事位は予測していたし、上記のnoteにも書いていた。

だから新たな『相棒』からいつか禁止カードが出る事は覚悟していた。
その「いつか」が前回の禁止改定からたった二週間で来る事とは思いもしなかっただけで。

勿論昨今の禁止改定が記録的な頻度とはいえ、MTGというゲームは終わらない。(いよいよ終焉を迎える可能性も0ではないかもしれないが)新たにデッキを組めば、あるいは壊滅的に弱体化した事に目を瞑れば俺もまだ遊び続ける事が出来る。

だがそれは今年3年生の高校球児に「野球が終わる訳じゃない!プロ野球や大学生や社会人だって野球は出来る!」「その気になれば草野球でも野球はエンジョイ出来るよ」と声をかけたってなんの慰めにもならないのと一緒だ。
高校球児が「甲子園」の為に費やした3年間のように、マルチカラーのランプデッキという他に替えのないデッキに費やした金額も期間も返ってこない。

まぁこのデッキはどう見積もっても2万円「程度」であり、この金額は球児が費やした金額と比較してもちっぽけな物だし、MTGのデッキとしてもそれほど高額な訳ではない。
でも一般的な趣味として、この金額はある日突然パーになって「はいそうですか」と流せる金額でもない。
こんな目に合うリスクを加味する必要のある物を「カジュアルに」楽しむ事は難しい。

まぁどれだけ自分の不幸を訴えた所で「俺のせい」という結論になる理由は2つある。(ダブルマスターズ)「アドベンチャーで遊ぶ猶予はそれなりにあった」のと「カードが強すぎる」という何の言い訳も効かない要素だ。

そもそもティムールアドベンチャーは一年前のカードセットで組めるデッキであり、マイナーでもなかった為それに気づき、遊ぶだけの猶予は十分にあった。俺がこのデッキを作ろうとしたのが遅すぎただけで、最新セットからバカスカ禁止を出す位ならクローバーを禁止にして調整を行うべきという風潮は正当だった。

そしてクローバーは強すぎた。いくらそれが当事者ギミックの核であろうと、2T目という止めようのない速さで着地して馬鹿みたいな量のアドを恒久的に産み出す存在だ。上が強すぎた以前の環境ならともかく、出る杭がぶっこ抜かれまくった現環境ではクローバー自体が「出る杭」と化していた。

いくら当事者カードに惚れ込んだからと言って強すぎるカードの是非は別問題だ。
例え「オーコの顔面強過ぎて無理……しんどい……オーコがあの笑顔を浮かべながら隣にいてくれるだけで最高なのでMTG始めます」という夢女子がいたとしてもオーコの禁止に異を唱えるのは未プレイの囲い位だろう。
この例えパートいります?

だからこの件の着地点は見通しが甘かった「俺が悪い」という事になる。

環境の研究をあっという間に進めた競技プレイヤーも、クローバーが禁止に値すると論じたプレイヤーも何も落ち度はなく、真っ当にMTGに関わっていただけだ。
俺にカードを売った晴れる屋やメルカリの出品者はむしろ俺以上の被害を被っているだろうし、俺と対面して対戦してくれた心優しきプレイヤーや、そのレポに称賛や応援の感想をくれたnoteの読者に「俺がMTGにのめり込んで大損したのはお前らのせいだ!」と言い出す程狂ってもいない。

唯一矛先を向けるべきはWotCかもしれないが、これだけの歴史あるゲームの親玉がなろう小説の脇役レベルで愚鈍な筈がない(と思いたい)ので、昨今の禁止改定の阿鼻叫喚は把握しているだろうし、
インターネット木っ端の俺がこんな文章を書いた所でマローが
はああああっ……!私達はなんて愚かな事を……!貴方の言葉で目が覚めました!これからは心を入れ替えて新しいセットを作ります!!!!
となるワケがない。そもそもこの記事日本語だしな。

結局、俺がどんなに嘆いた所でそれをぶつける先はどこにもない。
対象不適正のお気持ち表明は投稿した瞬間に立ち消え、議論のスタックから取り除かれた後インターネット墓地へと放り込まれる。

ただ、感情を纏めて捨てる事自体は無駄ではないようだ。
正直禁止改定の夜は「どうしてくれるんだ」という怒りとも悲しみとも区別出来ない感情に任せツイッター上で喚き散らしていたし、嘘みたいな話だが翌朝机の上に放置されていたデッキケースを見て著しく体調を崩したりした。(別にオムナスデッキ持ってたわけでもないのに)
「見るのも辛い」所まで内心猛り狂っていたが、こうして絞り出せる限りの理性を用いて事の顛末と思いの丈の文章を整理していると、時間の経過と共に少しずつ冷静になってきているのを実感する。

お気持ち表明と揶揄される行為は俺自身も好ましい行いだとは思っていなかった。が、自家中毒を起こしそうな程の負の感情をかろうじて公開出来る程度に整えて投稿する事は、内なる心情から不要な部分を切除する行為として有効なようだ。断捨離するにも分別しないとゴミステーションに出せないようなものかもしれない。

では少し冷静になった今、自分がどうしたいのかを考える。

禁止改定当日、俺はTwitterで「こんなんじゃ紙のMTG遊びたくねぇよ」と噴き上がっていた。
この言葉に嘘偽りはなかったし、「いやクローバーの禁止なんか目に見えてただろ」と正論のショックを撃ち込まれようが「うるせぇ!!やんのか!!!???」と逆切れしていただろう(クローバーが取り除かれているので紛争達成)
いや今でも多分する。俺だって禁止されると思ってたけどこんな速いと思ってなかったんだよ。

実の所、紙……どころかアリーナを含めて、今はちょっとMTGを触りたくないという気持ちは薄れていない。
最早デッキとしての体を成していないティムールアドベンチャーを崩して整理しようと思ってはいるもののデッキケースに手が伸びない。

無理にでもパーツを活かすために他のアドベンチャーを組む手もあるが、クローバーを活用しないアドベンチャーデッキの「グルール(赤緑)アドベンチャー」の中身はアグロ系で似て非なるものである上に「エンバレスの宝剣」を始めとした高額カードを山程投入する必要がある。
今の俺にその出費を強いるのは人の心がない悪魔か、対戦相手を手に入れる為なら金を惜しまない大富豪位の物だろう。5億円くれたらグルールアドベンチャー組みます。あと靴とかも舐めます。

結局今からまた紙のMTGを遊ぶ為には完全に新たなデッキを組むしかなく、新しいデッキを組むには新しいカードを買わなくてはいけない。
もう禁止されるような強いカードは買いたくない。
かといって気に入った訳でもない弱いデッキにお金をつぎ込みたくもない。

現状「組みたい」と心から思えるデッキがない以上、紙のMTGからは少し心が離れてしまう。

……あ、いや、そういえば一つだけあった。

イゼットドラゴン。
「スプライトのドラゴン」を主軸に添え、各種軽量呪文と果敢クリーチャーで殴り勝つビートダウン。

イゼットドラゴンの概要を書くのは二度目だ。
初めて紙のデッキで対戦をした日のレポート記事、その一戦目……つまり人生初めての対戦相手と、非常に印象に残った最終戦のプレイヤーが使っていたデッキ。

ターボゲートがスタン落ちする将来、最初に組もうと思っていたのはイゼットドラゴンだった。

ふと振り返れば、イゼットドラゴンに必要なパーツは大体揃いつつある。
元々このデッキに入る軽量呪文は低レア度のカードが多く、BOXを開ける過程で自然と集まっている。
ティムールアドベンチャーに入れる予定だった赤青の小道や占術土地、「砕骨の巨人」も流用が効く。大枚叩いた「厚かましい借り手」だって入る。「願いのフェイ」で引き込む予定だった汎用性が高いカードも搭載出来る。
ゼンディカーの夜明けで実装されたスペルランド(表が呪文で裏が土地の両面カード)の中にも、探せば相性のいいカードがありそうだ。

……今はまだ、MTGと距離を置いていたいという気持ちが残っている。

それがいつになるかはわからないけど、
もしカードショップでイゼットドラゴンを手にした俺と対面したとしたら。

その時は、対戦宜しくお願いします。

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