縦断と革命の熱風〜ブラジル ボリビア〜


マナウスを後にし、再びアマゾン川を船で下ってボリビアに入ることにした。例のごとくハンモックを括りつけて約一週間の旅だ。今度ハンモックの席の隣になったのは、幼い子どもと生まれたばかりの乳幼児を抱えた美しい女性だった。たくさんの荷物と共にハンモックに座っていた。マナウスの病院で出産し、家に帰るところとのことだった。どうやら帝王切開でお腹を切って出産し、まだ間もないらしい。必然的に周りの細々としたことを手伝う感じになった。旅を続けるうちに乳幼児でない幼い子どもの方が熱を出してしまい、泣きながらうなだれたままになった。大丈夫かなと思いつつ、気にしていると私がずっと抱き上げていることになった。その間に昔日本画を習っていた時に先生から教わった野口式の整体で気を送り続けていた。そうすると船を降りる前日にはその子も熱が下がりすっかり元気になった。船着き場には父親と他のたくさんの子どもたちがわらわらと迎えに来ていた。膨大な量の荷物を父親と他の子どもたちで持ち運びながら、その家族は去って行った。私は軽く手を振って別れを告げた。終点の船着き場に着くと、歯が痛み、熱が出始めた。どうやら前回のベレンからマナウスまでの船旅で、硬い石のようなふりかけファリーニャで奥歯が欠けたところが虫歯になり、そこからバイ菌が入りこんだようだ。船から降りると兎に角真っ先に歯医者を探してふらつきながら駆け込んだ。するとそこにはまるで絵に描いたような拷問にでも使うような道具が整然と並べてあった。歯が痛いというと、すかさず「じゃー抜こう」という話になり、他に方法はないのかと聞くと、ここにもここら辺にも、もはやアマゾンのジャングル中くまなく探しても抜くしか方法がないとのこと。そして、いきなり椅子に体を縛りつけられ拷問のような道具で奥歯を無理矢理抜かれることになった。粗治療が終わり、何日か安宿で寝たままの生活を送って回復して熱が下がるのを待ち、起き上がれるようになると再びアマゾンを抜ける旅に出た。アマゾンを抜けかかった時、船から降ろされ二人の警官にパスポートをチェックされた。他の人たちはすんなり通ったのだが、私だけ裏に連れて行かれた。どうやら私のパスポートに不備があるらしく、何やらいちゃもんをつけて来ていた。札をめくるような仕草を親指と人差し指でしたので、なるほど賄賂かと思い、100ドル要求されたところを強盗にあったばかりで今はこれしかないと20ドル渡してその場を切り抜けた。警察署に駆け込んで事情を説明すると、それは警官の制服を来た強盗だと教えられた。ずっと後になって知るのだが、日本の早稲田大学の探検部の学生がアマゾン川をイカダで下っている途中、ボリビアとの国境付近で強盗に遭い、逃げようとしたら後から撃たれて死んだとのことだった。

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