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筑波ナライと砂埃

茨城県南東部から千葉県北部で、冬季に筑波山方面から吹いてくる冷たい北西風を「筑波ナライ(筑波おろし)」と呼びます。実際には吹き下ろしの風ではなく、いわゆる西高東低、冬型の気圧配置が強まった時に吹く風のことです。筑波ナライが吹く時は乾燥した晴天で、対象地域から筑波山が良く見えることから、そのような俗称が付いたのでしょう。ナライ、おろし(颪)と呼ばれる風は山越えの冷たい風のことで、赤城颪(上州空っ風)や六甲颪などがあります。筑波ナライは、日本海側から関東北部の山を越えて入ってくる季節風です。

茨城県内には筑波山と天気を絡めた諺が沢山ありますが、筑波ナライに関するものも多く、内容的にも面白いので、その一部を紹介します。

「風と坊主は十時から」「西風日いっぱい」冬の北西風は日が差してくると吹き出し、夕方になって日差しがおさまると止む。

「筑波山が夕方ごろはっきり見えると、あした風が吹く」冬型の気圧配置が強まると、関東平野は乾いた晴天になることが多い。

「富士、筑波に笹の葉のごとく、先の細き雲立上がる。必ずならひ(ナライ)なり」寒冷前線の通過に伴って現れる笠雲のこと。

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乾燥と強風が重なると発生する現象があります。田畑の土埃や砂埃が舞い上がる「風塵」や、舞い上がった埃が空気中に滞留する「ちり煙霧」、さらに酷くなると「砂塵嵐」と呼ばれ、大規模な視程不良を引き起こします。田畑の多い地域ならではの厄介な現象で、千葉県北部の八街市では、落花生畑で舞い上がる埃が「八埃(やちぼこり)」と呼ばれていて、酷い時にはニュースで取り上げられることもあります。

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八埃と並び、茨城県西部も風塵が多発する地域です。茨城県西部にはさつま芋畑や麦畑が多く、冬から早春にかけて、乾いた晴天が続いた後に強風が吹くと、前が見えないほどの酷い状況になります。これらの原因は気象条件だけではなく、開発による影響が大きいです。農地と宅地の境がなくなったことや、雑木林の伐採などで市街地にまで埃が入りやすくなってしまったことが考えられます。

2013年3月には、都心で大規模なちり煙霧が発生して、ちょっとした騒動になったことがありました。空高く舞い上がると、風にのって遠くまで影響を及ぼします。ちなみに埼玉県加須市の志多見砂丘は、赤城颪が運んだ砂で形成された河畔砂丘だそうです。

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