人間である事の証明とは他人の苦しみや悲しみを分かち合える事ではないのか

攻撃、支配、独占といった行動はトカゲの論理である
アルバート・バーンスタイン 1989年

 では、人間が人間である事を証明するには、どのような論理のもとで行動すべきなのだろうか?
 それは表題のように、他人の苦しみや悲しみを理解し、お互いに協力しあい、助け合う事でしょう。
 それは決してトカゲには出来ない事ですから。

 ある大人は私に言いました。
「誰かが困っていたら助けなさい」
 また、ある大人は私に言いました。
「他人の力を頼りにするのは良くない事です。助けてはいけません」

 どちらがより人間的なのでしょうか?
 この命題について考えた事のある方も少なくはないと思います。
 そしてこの大きな命題について結論を出すに辺り、大きな影響を与えた人の事を書こうと思います。
 それは、私の母方の祖父です。

 祖父は、山間部の村で工務店を起こした親方で、多くの部下を抱えていましたが、決してそれに奢る事は無く、村で誰かが大きな問題を抱え、困っていると聞くと、祖父は直ぐに駆けつけ、話を聞き、解決させました。
 そんな時、祖父の人助けを手伝うのは決まって母だったそうですが、母はそれを自然な事と受け入れていたそうです。
 祖父は村でも一番のおせっかい焼きと言われながらも慕われ、無くなるまで友人に恵まれていました。

 そんな祖父から聞いたエピソードで忘れられない話があります。
 祖父は第二次大戦でフィリピン方面へ陸軍の兵士として徴兵され、出征しました。
 祖父が着任した頃のフィリピン方面は、既に補給が途絶えがちであり、部隊の仲間も上官も腹も空腹に喘いでいたそうです。
 そんな状況下では、階級もですが「食糧確保が得意かどうか」「調理が得意かどうか」といった要因も隊内でのヒエラルキーに影響したらしく、獣を狩る術を故郷で学んでおり、また、当時の男性としては珍しく調理の腕も立つ祖父は上官からも頼りにされたと言います。

 ある日、祖父達の隊は戦闘に巻き込まれ、焼き払われた村の近くを訪れた際、その村の生き残りと思われる戦災孤児を偶然見つけました。
「幼い子供を連れての行軍は困難かつ危険だ」
 部隊長はそう判断しましたが、祖父はこう具申しました。
「人道上見捨てるわけには行きません。
 食料は私がその分を負担します。
 部隊に迷惑はかけません」
 そう主張して譲りませんでした。

 軍隊において、物事は大体、上官の鶴の一声で決まるはずです。
 しかし、先の話をした事情も働いてか、部隊長は祖父の主張を受け入れました。
 そして終戦後、引き上げ直前に祖父はマラリアに感染し、港で足止めされてしまいました。
 その時、祖父が保護した戦災孤児は最後まで付き添い、少しでも滋養の付く食べ物を確保し、差し入れてくれたそうです。
 結果、回復した祖父はこの孤児を養子にして生涯守り抜きたいと考えたそうですが、戦後すぐの状況でそういった手続きは困難であり、その港で別れました。

 フィリピンの戦線は極限状態の代名詞のように言われますが、そんな状況下でも祖父は子供を助けようとしました。
 村でもおせっかいと言われながらも、困っている人を見ればすぐ助けようとしました。
 祖父は他人の苦しみを自分の苦しみと同じように感じ、理解出来る人だったのでしょう。

 他人の苦しむ姿を見て、それが自分の苦しみのように感じる事を指して、自他境界が曖昧だと言う人もいるそうです。
 私も過去にそう言われた事があります。
 そういう人は距離感という物を理解しないおせっかい焼きだと言う人もいます。

 しかし、考えて見て下さい。
 攻撃・支配・独占といったトカゲの論理は他人の苦しむ姿を見て、何も感じない人でなければ実践出来ません。

 それよりも、多少おせっかいだと言われながらも、他人の悩みや苦しみを理解し、思いやりをもって寄り添い、時には助ける事が出来る心を持つ方が遥かに人間らしい事ではないでしょうか。

 私も過去、何度か言われた事があります。
「おせっかい焼きだ」
「そこまで無理をしてまで助けなくても」

 それはきっと祖父の影響でしょう。
 しかし、恥ずかしい事ではないと思います。

 それは、まぎれもなく人間の証明なのですから。

 

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