【夢日記】夢と現の螺旋構造
自分は上野の博物館かなにかのホールに座っている。
座っているが、なにか用向きを思い出して立ち上がる。
すっかり時代遅れになった、モウ二十年も前の旧式のマッキントッシュ・コンピュータが色とりどりに光っているところを進んで行くと、ガラスの函になにか入っている。見ればそれは虹色の石でできたサクソフォーンで、何とも云えぬ輝きを放っている。其れをいま自分は「虹色の石」と云ったが、或いは見る角度で色味を変える虹色の貝殻であったかも知らぬ。
兎に角、こんなにもうつくしいものは見た事が無い、一体吹いてみるとどんな音がするのかしらん、と自分は半ば其輝きにうっとりとしている。
然し、ひとしきりうっとりしてから、自分は用事を思い出してツト立ち上がる。立ち上がってつかつかとホールを進んで行く。
今度は奥の方に大がかりな機械が鎮座している。
幾つもの歯車が複雑に噛み合って煙を吐き出している。蒸気機関の一種ででもあろうか。傍らに展示物を紹介する札が貼ってあって、其処には「永久機関」と書かれてある。其の不遜なる表題に自分はフンと鼻を鳴らして、急に軽蔑する気分になる。
其時に「嗚呼、俺はまた夢を見ている」という思いがする。見た夢を覚えているのは、しかし、久しぶりだと云う思いがして、夢日記をつけねばならぬと思うのだが、夢のなかの自分は目が覚めてしまう。然し、その目が覚めてしまうというのが夢であって、夢のなかの自分は再び虹色のサクソフォーンと偽物の永久機関の夢に戻ろうとする。夢のなかの自分が夢を見るわけだから、むしろこの「夢」は現実なのか。否、そもそも夢でなければ現実であり、現実でなければ夢であると云う二元論的な前提自体が誤っていて、夢でも現実でもない世界もありうるものなのか…。
夢と現との無限回の螺旋を繰り返していくうちに、遂に自分は…
…という夢を見た。ひどい寝汗だ。早いところ浴室で汗を流して会社にでも行くとしよう。
夜な夜な文字の海に漕ぎ出すための船賃に活用させていただきます。そしてきっと船旅で得たものを、またここにご披露いたしましょう。