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あなただけの動画ストーリーテラー~動画編集を始めるまでの物語~第一部

2008年2月

雪が積もる北海道の札幌市に

大学受験の二次試験を控えた1人の高校生の男が居ました

彼の家は貧しく、両親から「大学は奨学金を借りても国立しか行けない」と言われてました。

彼の周りの友人は、みんな大学進学を選んでいたので、漠然と大学には行かなければいけないものだと思い込んでいました。

彼は3年間勉強し続けました、センター試験で700点近い点数を取り、その結果から関西の国立大学に志望校を決めました

受験日の3日前、先生方から応援のメッセージをもらって

そして、受験の2日前に空港に行きました

しかし


その日も次の日も猛吹雪でなんと飛行機が欠航になったのです


新千歳空港にごった返す客


止まない吹雪


彼は受験をすることすらできませんでした


深い絶望感を味わい、泣いて家に帰りました。


「一体なんのために3年間勉強してきたのか」、人生が終わったかのような気持ちになりました。

高校の先生に報告のために、行きたくないという気持ちもありましたが、応援してくれていたので会いに行きました。

受験できなかったことを伝えると

40代の男性で趣味は野球の数学の先生は

「浪人して北海道大学に行け」と言いました。

北海道大学は彼が受けようとした大学よりもレベルが高いのです。

その40代の先生は、絶望し落ち込んでいる彼に

「コンビニに行け」みたいな軽いノリで言ったのです。

しかし他の先生も含め、「おまえなら行ける」とも言ってくれました

軽いノリで言ってくれたことが逆に、一年浪人するくらいどうってことないという思いに変わり、心が救われた気がしました


同じように浪人する友達もいたので、彼は浪人することを決意。


彼は気持ちを新たに理系から文転し、1年間猛勉強の末、

センター試験で8割取り、二次試験も突破し


見事北海道大学の文学部に合格したのです。


掲示板に自分の受験番号があったときの喜びは一生忘れません。


このとき彼は、「自分も努力すれば目標を達成できる」という大きな財産を得ました。


そうして2009年4月北海道大学文学部に入学しました。


しかし

彼はもう大学合格がゴールになってました
大学生活をどう楽しく過ごすかだけを考えており、将来のことは何も考えてませんでした。


バイトやサークルを楽しむ日々を送り


彼は大学を4年間過ごし、普通に就活し、



2013年の4月

大手の某小売業に入社しました


そこで彼は北海道から新卒で千葉県に来ました。



千葉にあるお店のインナー担当に配属され、

次の年には順調に品川のお店のインナー主任代行になりました。


しかし彼は思ったのです、

50代の女性の上司(インナー主任)は私よりも多少給料が多いくらいです。

彼はこのとき25歳。

「このままずっと働いても上の役職の人はたくさんいて昇進できるとも限らないし、給料だってそんなに上がらない。

ずっとこのままそんなに給料も上がらずに会社のために働き続けるのか?」

彼は家が貧乏だった経験から、もし自分に家族ができたら

「何不自由なく、お金を気にすることなく生活できるように稼げるようになっていなければならない。

子どもができたら、奨学金を借りずに大学まで行かせてやりたい」

そういう思いがあったので、

「年収500万円くらいじゃ全然だめだ、もっと稼がないと」


そう思うようになり、漠然と転職を考えているとき、

外資系なら年々給料が上がっていくと聞いたので、

2016年の3月

外資系のハイブランドに転職をしました

しかし現実はそんな思い描いていたようにはなりません

年々上がっても一月3000円、年に換算しても36000円でした。


そこでもまた、彼は絶望します。


「一体世の中の同世代は、どうやって稼いで

結婚して子育てしているのだろうか?

このままだと一生結婚できないんじゃないか?」


そうこうして、もがきながら働いている2018年のある日

知り合いづてに「静岡に霊視で有名なお坊さんが居るから見てもらえば?」
と言われました。

なんでもそのお坊さんは、視た人の守護霊が見えるらしく、

どういう仕事が向いているかなども教えてくれるということでした。


紹介してもらうと1万円と言われたので、とりあえず見てもらうことにしました。

新幹線で三島まで行き、タクシーでそのお坊さんの住所に向かいました

たどり着くと1階建ての普通の平屋でした。


ピンポンを押すと中から、背は165センチくらいで

少しふくよかな、50代くらいのお坊さんがお出迎えしてくれました


さっそく霊視してもらうと


彼には烏天狗様が付いてるということでした。

烏天狗様はビジネスではイケイケの存在らしく、


自分でビジネスをやりなさいということでした。


このことがきっかけで今まで会社に入って給料をもらうという考えから

「自分でビジネスを始めて稼ぐ方法があるんだ」

という考えを持つようになりました。



そこから自分に何ができるだろうと考えていたある日、


家の周辺にはペットを飼っている人が多いことに気付き、
「ペットの葬儀屋ってやっている人少ないんじゃないか?」と思い

自分でペットの葬儀屋をやれば需要があるのではないかと閃きました。


ノウハウを学ぶためにペットの葬儀屋を探しましたが、あまり出て来ず

だったら人間の葬儀屋でノウハウを学べば動物もできると考え

2018年の7月

思い切って葬儀屋に転職しました


そこでノウハウを学びましたが、
地元の葬儀屋とペット葬儀屋は色々繋がりがあって、

ゼロから始めるのは厳しいくらいの数の会社が存在していることを思い知ったのです。

完全にリサーチ不足でした

結局ペットの葬儀屋は断念することになり、葬儀屋は体力的にもきついので

葬儀屋よりも自分の時間が取れて家から近いところで働けるという条件の

格安SIMの接客販売に転職しました


そして2020年2月ころからコロナが流行したのです

これが転機になりました


仕事が1か月間休みになり、給付金が10万円入ってきました。

今度こそ自分で何か始めようと考え、

まずは副業をしようと思い、どんな副業があるか調べました。

そうすると動画編集にたどり着いたのです。

ちょうど給付金もあったので、10万円のパソコンに投資し

モニターなどの周辺機器など合わせて15万円かかりました。

そこから生ハム帝国さんの「movie hacks」を受講し

「premiere pro」,「after effects」を

学びました。

しかし残念ながら、お仕事の紹介所は機能しておらず、

そこでお仕事にはたどり着けませんでした。

moviehacksを受講するときにお仕事の斡旋までしてくれると

書いてあったので、だまされた気持ちになりました。

しかし文句を言っても仕方ないので、

クラウドソーシングで案件を獲得しようと

営業をかけ始めました。

しかし彼は接客販売はしたことがありますが、営業はしたことがありません。

営業文も試行錯誤しながら送るものの、案件獲得には至りません。

ただ、あきらめることはできないので、営業し続けました。


このころにはコロナがいったん落ち着き、また本業が始まってました。


仕事から帰ってきては営業

そんな日を繰り返していたある日

ココナラで依頼が来ました。

彼はうれしさに飛び跳ねました!

それはレザージャケットの商品紹介動画の制作依頼でした。

彼は、はじめての案件を獲得し、

不安に包まれながらも無事納品しました。


このとき彼は31年間生きてきて、初めて自分の力でお金を稼いだのです。


このときのうれしさは今でも忘れられません。


ここまで引っ張りましたが、彼とは私


動画ストーリーテラーのトモノウソウキです。

(最初からみなさんわかってましたよね、いまさらすみません)

これが今、私が動画編集をしている理由です。


第一部 完


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