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表出する情報を制御する事で「己を良さげに施す」という自意識の発露について。

なんというか、本当にもう、どうでもいい。
と思ってるんですね、実際。
上を向いても広い空があるだけだし、下を向いても10円玉一つ見つかる訳でもないし。
この先、どうにかなる予感もないし、なんとか出来る気配もないし、
書店でふと手を伸ばした『ライ麦畑でつかまえて』を同時に取ろうとした長身メガネ女子と指先と指先が触れ合った刹那奇跡的に互いが同じくらいの非常に高い熱量で電撃的に恋に落ちる、といった事も起きないし。

なのに、なのに、自分を飾って見せようと、まだ、未だに、している。
という事に前回「youtubeの再生履歴を振り返る (2)」を書いた時に気付いたのです。

一応、本当に、ただ自分のyoutube履歴を並べる、という穴埋めに近い投稿でしかないのですが、

というかそんな事言い出したら、私のnoteなぞ、全く全てが徒花で穴埋めにもなっていない代物じゃないか!とか言い出したら、そんな風に考え出したら、もう何も、何一つ出来なくなるので、その一点についてはご容赦くだされば幸いです。

結局、その履歴を出すタイミングとか、切り取り方とかは、コチラの任意作業であって、何となく「こんな動画見てるんですよ、ボク!」みたいな、視点なり視線なりをアピールしたいだけなのではないか?

その割には、別に大した発見もキュレーションもない再生履歴じゃないか!とか言われてしまうとしたら、全くもってごもっともでしか無い、と思います。申し訳ありません。

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一応、「履歴の削除」だけはやっちゃいけない!と思い、ちょっと一瞬
「N国関連の動画は恥ずかしいから、消そうかなぁ」
とかいう行為については、思いとどめましたし、ちょっと一瞬
「面白げな感じとか、エロ系の動画も混ぜ込んでおいた方が、面白げなのではないか?」
と考え、
オッパイにしか目がいかない料理動画」とか「オッパイにしか目がいかない弾き語り動画」とかを検索してみて、挟み込んだりするとかいう行為(オッパイだけに!挟み込んだり!)は、辞めたのですが。

コレは逆に言うと、もし仮に私が、恒常的にyoutubeでエロ動画を探しているようなタチの人物だとしたら、その情報開示に怯えて、再生履歴を公にする、みたいな事をハナから考えなかったのではないか?という推論にも繋がります。
一応、告白しておけば、私はFANZA(旧DMM.R18)で動画を一度レンタルで試してみてから買う派ではなく、気になったらブックマークしておいてセールの期間に入ってきたら買おう!と決めていたくせに我慢しきれず一般価格でHD画質をDLしてしまう派です。

しかし、結局、牽強付会にテメエの都合の良い話をするために、都合の良いyoutube再生履歴を並べ立てて、しかも、そこには、その切り取り方についてはコントロールが施されている。
のです。

こんな事が気になるのは...

簡単に言えば「自意識過剰」ですね。
言い換えれば「傲慢」「承認欲求過多」「横柄」。
自分がどう見られているのか?という事に常に心を砕き、下手を打ちたくない!と思うがあまり、同調圧力に身を委ねて、他人に気に入られたい!と思うがあまり、どうせもう気に入られない!と振り切った瞬間、高圧的で不遜な態度になる。

年を重ねて随分マシになりましたけれど、若い頃は、例えば街でどこかのお店に入るだけでも、
「こんなお店に自分は入る資格があるのだろうか?」
「こんな格好で入って大丈夫だろうか?」
「こんな体型で入って大丈夫だろうか?」
「こんな髪型で入って大丈夫だろうか?」
「あの店員はボクを見下しているんではないだろうか?」
「あの店員に話しかけられた場合どう対処すれば良いのだろうか?」
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といった諸々が頭をよぎってしまって、一歩も踏み出せなかったものです。

高く見積もった自分というヤツを、貶められたくないし、暴かれたくない。
という感覚が何をするにも付きまとって、その実、己への「高い見積もり」は根拠の無い希望的観測でしかないから、どこかでそれは破綻し、瓦解し、テメエに跳ね返って来てしまうのです。

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そこで、冒頭に戻るのですが、
もう、どうでもいい
と言いたい。自分に。

ナイーブでセンシティブな精神構造の自分を自ら慰めている場合ではないのです。

もう、どうでもいい。から、アレをやる。
もう、どうでもいい。から、コッチに行く。
もう、どうでもいい。から、どうにかする。

振り切って、生きていきたいと思います。
なるべく。
もう、どうでもいい。の、だから。

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