巻頭言 Apholists

Memento quod es homo (御身が人間なることを忘るるなかれ)

 テルトゥリアヌス (『護教論』Apologesticus 第33巻)

戦場から凱旋した古代ローマの皇帝が、四頭の白馬が引く二輪馬車に乗って、カピトリヌスの丘へと走ってくる。顔を辰砂で赤く塗り、紫のトーガをはためかせ、鷲の神笏を手にして歓呼に応える。が、馬車に同乗し、金の花冠を皇帝の頭上にかざした奴隷が、小声で「顧(かへり)み給ふべし」と耳打ちする言葉だという。

現人神 deus praesens といえども、可死の身体から逃れられない。弁論家出身のこのラテン教父は、「不合理ゆえに吾信ず」と信仰の逆説を喝破したレトリックの達人だった。父と子と聖霊の「三位一体」という合成説をもっとも早く理論化しながら、政治神学に踏みこんだせいか、異端に流れて列聖されなかった。

レトリックだけが残った。三位一体も「不合理」の逆説も、未だ後世は破ることができない。が、いつのまにかレトリックは詭弁に変じ、ポピュリズムの短絡に堕している。日記を綴るように日常の「小」を追って、世界の「大」きな物語を語ろうとしたのがジャーナリズムだとすれば、その通路が塞がれかけた今、言葉を飾らぬ事実報道だけでは戦(いくさ)にならない。眼高手低。自らの可死をふり返って、遠くを、ただ遠くを見よう。 (A)


<注>画像はシェンキェビッチ原作の映画「クオ・ヴァデス」より。24秒あたりで皇帝に奴隷が囁く。画像は鈴木均氏のご教示によります。



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ノンフィクション・ライター兼編集者。調査報道の最先端から、知的に「美しいメディア」を始めようと独立。翻訳、批評などウィングを広げ、めざすはA terrible beauty is born.
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