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CULTIBASE School ファシリテーション型マネジメントコース第1期を終えて

昨年12月から今年2月の3ヶ月にわたって、MIMIGURIが運営するCULTIBASE School ファシリテーション型マネジメントコースを受講していました。終わってからもう2ヶ月も経っていますが、当時を振り返りつつ現在の気持ちを文章に残しておきます。

↑は全6回の講座を終えたときのツイートです。短い期間だったけど「がんばった」「最後までやりきった」という達成感に「もうちょっと計画的に取り組むべきだった」といった後悔や「まだ続けていたいのに終わってしまった」という後ろ髪をひかれる思いが入り混じる感情が、高校の野球部を引退したときの気持ちと重なりました。

隔週の講座は毎回あっという間にやってきて、夏休みの最終日のテンションで毎回前日に事前課題をやって、ドタバタと当日の講座になだれ込むような感じでした。

普段からCULTIBASEのコンテンツにふれている方は想像がつくかと思いますが、何か答えがあってそれを教えてもらうというような内容ではありません。知識として得られることもたくさんありますが、学んで得られたレンズで自組織や自分、同僚、上司、時には家族にもまなざしを向け、考え、そして具体的なアクションを起こしてみることがメインです。思考の時間軸は現在だけではなく過去や未来にも行ったり来たりを繰り返していて、毎回終わったあとは脳みそが燃え尽きていました。

すべての講座の受講を終え最後の課題を提出し、何とか第1期を修了することができました。課題提出の締め切り日にみんなが駆け込みで提出していく様子をSlackでみていて、修士論文の提出最終日を思い出しました。やたらと学生自体のことを思い出させてくれるCULTIBASE Schoolでした。

もう少し生々しい情報は、ラーニングファシリテーターの臼井さんが書いてくれているので、そちらをぜひ。私自身は越境学習していることにあまり自覚的ではなかったですが、このコミュニティがホームになっていく感覚や居心地の良さはものすごく感じています。

臼井さんは「闘い」という言葉を使っています。私がいま学びを実践する上で闘っているのは、自分自身です。自己開示することを躊躇してしまったり、分かり合えなさに痺れを切らし自ら対話の場を降りようとしてしまうことも度々あります。組織や相手の問題ではなく、対話ができないという問題に自分自身が加担してしまっていることを感じています。とはいえ、さほど悲観的な感じでもなく、いま正に自身が変容の過程にいるのだと楽観的に捉えています。

さて、「まだ続けていたいのに終わってしまった」と書きましたが、実はまだ終わらせずに、しつこく場に留まっています。1期生とは有志で「探究のじかん」という対話の時間を定期的に持っていますし、実はメンターとして2期にも関わらせていただくことになりました。

CULTIBASE Schoolの最大の特徴は、学びを通じて築かれるコミュニティだと思います。同じ講座を受ける人たちとの交流はもちろん、共に成長していくためにより有意義な場となるように微力ながら貢献できればなんてマジメなことを考えつつも、過程を楽めればそれでいいかな。


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