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ヒュムネン(国歌) <1966-67> プログラム・テキスト 【監修済】

 (以下のテキストは1967年11月の『ヒュムネン』の世界初演のプログラム用に書かれました。世界初演は1967年11月30日にWDRのコンサート・シリーズ「時代の音楽」の一環としてケルンのアポステル・ギムナジウムの講堂にて行われました。その後、1969年の最初のレコード発売[DGG]と1995年のシュトックハウゼン全集のCD10の発売に際して補遺されました。)

 すでに数年来、私はあらゆる国々の国歌を使用した電子音楽と声楽と器楽のための大規模な作品を作曲することを計画してきました。1966年に私はWDRの電子音楽スタジオでその製作をはじめました。1967年11月に、演奏時間が約114分の全四部が完成しました。
 それぞれの部分は特定の国歌を「センター(中核・芯)」として持ち、その「センター」に他の多くの国歌が---その特徴的な「出だし」とともに ---関係づけられています。
 第一部には二つのセンターがあります:「インターナショナル」と「マルセイエーズ」です。各国語入り乱れた短波放送の訳の分からないおしゃべりのなかから、第一部は厳密な、方向性をもったフォルムとして展開してきます。それは、楽譜のタイミングで、27分38秒間続きます。
 第一部は第二部へと次第に移り変わります。ブリッジ(橋渡し)はスピーカーからスピーカーへと流れ続ける、鋭い「流動音響 Flutklang」で、それはすでに「マルセイエーズ」冒頭部において低く歪んだ音からシューッと上昇し、そして第一部をその最後まで飛び越え、今や長い時間にわたって完全に静止しているのです(29.7秒の「中間曲」と共に)。それから9本の音響の柱(これによって第二部がはじまります)を横断したあとで、急降下して人間の叫び声だと認識できるようになります。それはさらに鳥の鳴き叫ぶ声へ、沼地のアヒルのガーガーいう鳴き声へ、さらに人間のわめき声へと変形されて、最後は8分の1の速度に減速された深く暗い「マルセイエーズ」の回想へと沈んでいきます。

 第二部には四つのセンターがあります:ドイツ連邦共和国国歌、アフリカ諸国歌のグループが、ロシア国歌の冒頭部と混合・交替します。加えて「主体的な」センターです。それはドイツ国歌とアフリカ諸国歌の間の連続的な移行の最後にいきなり時間を貫通し、そして ---過去のもう一つのドイツ「国歌」の反映として---作品全体のプロセスを暴露するのです:つまりスタジオでの作業の間のある場面のオリジナル録音であり、その中で、第二の現在、過去と以前の過去が同時になります(最後に語られる言葉は「私たちはさらにもう一次元、深みへ行ける」)。
 29.7秒の「中間曲」を含めて、第二部は、楽譜のタイミングで30分4.7秒続きます。

 第三部には三つのセンターがあります。ゆっくりとした(ここでは何とも混合されない)ロシア国歌の続きではじまります。ロシア国歌は、唯一電子音からのみ作られていて、1966年以来私が作曲してきたなかで最も大きな和声とリズムの拡張を伴っています。
 アメリカ国歌が第二のセンターとして次に続きますが、これは、束の間のコラージュと多元的な混合によって、他のすべての国歌ときわめて色彩豊かな関係を取り結びます。
 最後の短波音がピューッと「数秒で大洋を横断」して、スペイン国歌の熱狂的なセンターに流れ込みます。
 第三部は、楽譜のタイミングで、23分40秒続きます。

 第四部には二重のセンターがあります:スイス国歌、そしてハルモンディ(Harmonia +Mundi)においてプルラモン(Plural+Mono)が統べるユートピア、ヒュムニオン(Hymne+Union)の国歌です。第四部は最も長く、最も印象的な部分です。スイス国歌の最後の和音が、穏やかに鼓動する低音のオスティナートへと推移すると、その上に巨大な音塊、音響平面、音の軌道が集中し、その合間合間に、名が、多くのエコーを伴いながら呼ばれます。
 第四部は、楽譜のタイミングで、31分45.3秒続きます。

 ラジオ、テレビ、オペラ、バレー、録音、コンサート会場、教会、屋外...のための『ヒュムネン』。この作品は、この音楽のためにさまざまなシナリオあるいは映画、オペラ、バレーの台本を書くことができるように作曲されました。

 (1967年のテキストではここで補遺が続いていましたが、1991年に私はそれを撤回して、以下の補遺に取り替えました。)

 (『ヒュムネン』の研究用楽譜に1991年3月18日に書いた補遺)

 1967年の世界初演の機会に、私は、電子音と具体音による『ヒュムネン』の研究用楽譜に以下の序文を書きました:

 「特徴的な部分の順序と全体的な演奏時間は可変的です。演出上の要求次第で、各部を長くすること、追加することあるいは除外することは可能です。」
 この指示を私は撤回します。
 初演の時点で、私はすでに『ヒュムネン』のさらなる部分の製作をはじめていて、そして作品全体を何倍も長く続けようとしていました。しかしながら、私はそれらの部分の作業を継続しませんでしたし、『ヒュムネン』を、出版されたように四つの部分のままにしておこうと思います。つまり『ヒュムネン』の順序と演奏時間は確定しており、今後もそのままです。

(1968年8月の補遺)

 国歌は想像できる限りで最もよく知られている音楽です。誰でも自分の国の国歌を、そしてたぶん何ヶ国かの国歌あるいは少なくともそれらの冒頭部を知っています。
 よく知られている音楽を未知の、新しい音楽作品に統合すれば、それが「どのように」統合されたかを、特によく聴きとることができます:既知のその音楽が、変形されない、多かれ少なかれ変形された、移調された、変調された、など。「何が」がより自明であればいっそう、聴くひとは「どのように」に注意を向けるようになるのです。

 もちろん、国歌は「知られている」だけのものではありません。国歌は、時間を、歴史を、過去、現在、未来を「背負っている」からです。普遍性というものが、あまりにも頻繁に画一性と取り違えられるような時代において、国歌は民族の主体性を強調します。主体性 ---そして音楽的主題=主体の間の相互作用---を、個人主義的な孤立・分離から明確に区別しなければなりません。『ヒュムネン』はコラージュではありません。
 多面的な相互影響関係が、さまざまな国歌の間で、またそれらの国歌と名もない新しい抽象的なサウンド形式の間で作曲されています。
 『ヒュムネン』では「相互変調(インターモデュレーション)」という作曲プロセスが数多く使用されています。例えば、ある国歌のリズムが他の国歌の和声によって変調され、そうして出来た結果が3番目の国歌の強度エンヴェロープによって変調され、この結果が今度は電子音の音色配分と旋律曲線によって変調され、最終的にそのようなサウンドイヴェントに、特別の空間的な運動形態が付与されるというように。ときにはある国歌の1部分が未加工のまま、ほとんど変調されずに電子音なかに入り込み、またあるときには、変調が激しすぎてもとの素材がほとんど認識できない。このような無変調と過変調のあいだには、数多くの認識可能性のレヴェルがあります。

 国歌に加えて、さらに「見いだされたオブジェ」が使用されています:演説の断片、群集の音、録音された会話、短波ラジオからのイヴェント、公共行事の録音、デモ、船の進水式、中国商店、国家的レセプション等々です。

 時間、強度、和声、音色、空間的運動、全演奏時間の大きな規模と作品の開放性は、素材の普遍的性質から、そしてこのプロジェクト ---一見無関係な新旧の諸現象の統合、融合---に直面して私自身が経験した広さや無限性から、作業が進むにつれ自ずと帰結したものです。

 このように数多くの国歌を、共通の音楽的な時空間のポリフォニーへとまとめ上げる音楽作品を通じて、我々は、調和のとれた人類における民族と国家の統一を、音楽的ヴィジョンとして経験しうるかもしれません。

隠せ、おまえの作曲するものを、
おまえの聞くもののなかに。

覆い隠せ、おまえの聞くものを。

置け、何かを、おまえの聞くものの隣に。

置け、何かを、おまえの聞くものの遥か外側に。

支えよ、おまえの聞くものを。

持続せよ、おまえの聞くイヴェントを、
長い時間にわたって。

変形せよ、あるイヴェントを、
もはや認識できなくなるまで。

変形せよ、おまえの聞くイヴェントを、
以前おまえが作曲したものへと。

作曲せよ、おまえが次に期待するものを。

作曲せよ頻繁に、しかし同時によく耳を傾けよ、
既に作曲されているものに。
作曲の手を休めて。

混合せよ、すべての指示を。

加速せよ、ますますおまえの直感の流れを。

[翻訳:山下修司、監修:清水穣]