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グルッペン(群) <1955-57>

3群オーケストラのための

『グルッペン』によって、空間における器楽音楽の新たな展開が始まりました。楽器から楽器への新しいタイプの多層的時間構成もまた外部フォーマットによって明らかになります。聴衆はいくつかの独立したオーケストラ---『グルッペン』の場合は3つ---によって囲まれます。それぞれのオーケストラには指揮者がいます。オーケストラは時どき異なるテンポで独立して演奏します。時に彼らは同じテンポに合体します;彼らはお互いに呼びかけあってお互いに答えあいます;あるものは他のものにこだまを返します;しばらくの間は音楽を左側から、前方から、あるいは右側からだけ聴きます;サウンドはあるオーケストラから別のオーケストラへとさまよいます。
 電子音楽『少年の歌』の五つのスピーカー・グループの配置の場合と同様に、空間のなかのどこで音楽が鳴っているかというその時点でのポイントもまた器楽音楽を聴く上で重要になりました:機能的な空間音楽。(この音楽を既存のコンサート・ホールで上演することは困難です。)それぞれの”クラングケルパー”(文字通りに:音の実体、オーケストラや合唱をしめすドイツ語での言い方)はいまやそれ独自の時間的な空間が経験されるようになり、そして聴衆は新しく、一般的な時間的空間を代わるがわる創造するいくつかの時間的空間の真中に自らを発見します。そしてこれらの音響素材からの響きはもはや「ポイント(点)」ではなく---あらゆるものが対位法化された冒頭部のように、核---「グループ(群)」なのです:音響のグループ、独立した単位としてのノイズと音響ノイズ。
 音響のグループ、ノイズと音響ノイズは完全に独立した単位です。各グループはその時間的空間の範囲内を移動します。とりわけそれ自身のテンポによって。
 運動の自由を保証するために、グループは三つの個別に指揮されるオーケストラの間に分配されています。三つのオーケストラはすべて同じ規模でほとんど同じ楽器編成です。あるオーケストラは左側に、あるオーケストラは前方に、あるオーケストラは右側に:それらは聴衆を半円形に囲みます。
 時に2あるいは3グループはお互いにぴったりと寄り添って、とてもぴったり合って---そしてそれらは同じ音響リズムで交わり---そしてこれを経て、それらは変化します。あるものが別のものを吸収します。あるいはそれと共に演奏します。それを破壊します。それらはお互いに拒絶したり固執しあったりします。
 あるいはそれらは混ざり合います。そのとき三つのオーケストラのすべてが一つになります:それらは同じテンポで---同じ和声構造によって---、同じ陰影で演奏します。しかしテンポが流動的な状態になると、絶えず減速あるいは加速されます。唯一の展開から、単声部がこれまでよりも明らかに---結局はとても単純に---際立ちます:特定の時間の長さにわたって弦楽器のみ、ギター、まさにドラム、ピアノ、2あるいは3のトランペットとトロンボーン、E♭管クラリネットのみを聴きます;そしてある人は別な人に沿って演奏します。
 しかし2あるいは3のクラングケルパーは空間的に分割されているのでそれらは完全に混ざり合うことはできません。一度変化すると---次の遭遇まで---それらは分かれてそれら自身の移動する空間に新しいグループを与えます。

世界初演の前一週間にわたって行われた『グルッペン』のオーケストラ・リハーサルは3群の指揮者とオーケストラ間の共同作業の素晴らしい期間でした。各オーケストラは五つの部分的なリハーサルに加えて弦楽器と打楽器のための三つのリハーサルを最初に行いました。オーケストラ群はそれからホール内にて二回のフル・セッションのために正式の演奏台上で一緒にリハーサルを行い、続けてドレス・リハーサルが行われました。
 ブーレーズとマデルナとの共同作業で明らかになったことは、この音楽にとって指揮者の最適なタイプとは---そして演奏者一般についても---スターダムのマンネリズムを捨て、そして彼自身をオーケストラの一音楽家と見なし、作品の優れた表現に集団的精神の姿勢で役に立つような種類の人です。
 以下のような質問がしばしば訊ねられました:なぜコンサート・ホールのために特別に書かれた音楽を放送するのですか?そうですね、それはまさしく彫刻の写真を見ること以上の何ものでもありません;たぶん人はそれからいつかはオリジナルの彫刻を見たいと思うのでしょう。この音楽が放送される時もまた同じことでしょう。そしてそれほど遠くない未来にラジオ・ネットワークはステレオ音響すなわち空間的に正確な聴取法を導入することでしょう。聴衆は数台のスピーカーを部屋の中に持つでしょう、そして少なくともこの種の空間音楽に妥当な印象を受けるようになるでしょう。(注1)

注一:1958年にはまだステレオの放送やレコードはありませんでした。

(1958年10月、テキスト「空間の中の音楽」より)

三群オーケストラのための『グルッペン』の演奏には異なる時空間と運動の同時性を経験するために、大きなホールが最適である。ただ目下の大きな困難は---電子音楽の場合と同じく---そうした器楽による空間音楽に相応しいホールを見つけること、あるいは建造することである。器楽による空間音楽や電子音楽の要求を満たすためには---現在、楽器とスピーカーを組み合わせるという最初のプロジェクトが進行中なのである---最初から可変的な構造のホールを考える必要があるだろう。
 既存のコンサート・ホールは古典的なコンサート慣習の結果であって、オーケストラは聴衆の前の舞台上に位置し、舞台上での楽器配置は二義的である。それは指揮者によって楽器配列が様々であることからしても明らかだ。『グルッペン』ではオーケストラを馬蹄形に配置する。聴衆から見て一群は左側、二群は正面(ケルンでは正方形のホールを菱形に使用したので、中央オーケストラ群には十分な場所が出来た)、そして三群は右側を占めるのである。このようにして、全ての聴衆が三群オーケストラの真ん中に位置することとなる。

世界初演での『グルッペン』の座席配置


(後続の上演では、座席配置は不適切な音響条件にあわせてときに逆転させなければなりません:指揮者からみて弦楽器は右側、管楽器と打楽器は左側。)

オーケストラI(左)37名

マリンバ奏者がカウ・ベル、シンバルとタム・タム(反対側の第二打楽器奏者と一緒に演奏する時でもマリンバ奏者に指揮者が見えるようにカウ・ベルは設置する)に歩いていけるように余裕をおく。
ハープは、オーケストラIIIのように、ステージの前端に置いてもよい。

オーケストラII(中央)36名
ヴィブラフォン奏者がカウ・ベル、タム・タムとシンバルに歩いていけるように余裕をおく。
座席順は16-17ページの写真に関係して僅かに変更。

オーケストラIII(右)36名
マリンバ奏者がカウ・ベル、タム・タムとシンバルに歩いていけるように余裕をおく。
ハープは、オーケストラIのように、指揮者の左側に置いてもよい。

-=譜面台
×=座席あるいは配置

<図>略

演奏台
世界初演のために、永久的に取り付けられたステージのないラインザール(ケルン)内に三つの演奏台が組まれました。オーケストラIとIII:12m×5m×0.5m;オーケストラII:12m×5m×0.40m。(三つのオーケストラすべてに13m×6m×1mの寸法のほうがよい)
 もし可能ならば、この作品は平らな床と永久的に取り付けられた座席やステージのない長方形のホールで演奏したほうがよい。ラインザールのサイズは36m×19.5m

(1965年の最初のレコード・リリースへの序文)

1955年7月から8月の間にクール(スイス)近郊のパスペルスで、私は3群オーケストラのための『グルッペン』の時間的、音色的、空間的な構造を作曲しました。それから、1957年に丸一年かけて私はケルンで楽譜を完成させました。1958年3月24日にケルンのメッセ会場のラインザールにて私(オーケストラI、左)、ブルーノ・マデルナ(オーケストラII、中央)、ピエール・ブーレーズ(オーケストラIII、右)の指揮するケルン・ラジオ・シンフォニー・オーケストラによって世界初演されました。『グルッペン』はコンサート・シリーズ「時代の音楽」のためのWDRケルンからの委嘱作品です。
 1965年5月9日(WDRオーケストラによるこの作品のヨーロッパ・ツアーの前夜)にケルンのアポステル高校のオーディトリウムにて3チャンネル録音が作成されました。オーケストラIを私が指揮し、オーケストラIIはブルーノ・マデルナの指揮、そしてオーケストラIIIをミヒャエル・ギーレンが指揮しました。私はその後にステレオ・ヴァージョンをミックス・ダウンしました。[1991年補遺:この1965年のWDR録音がこのCDに収録されています。]
 各グループの空間的な分離は最初には異なったテンポの幾つかの時間層の重ね合わせ---一つのオーケストラでは演奏することのできない---の結果として生じました。しかしそれは空間における器楽音楽にまったく新しい概念をもたらしました:この音楽の全プロセスは、1955/56年に作曲された5群のスピーカーのための電子音楽『少年の歌』のように、音響の空間的配置、音響の方向性、音響の運動性(交互に、孤立して、融合して、回転運動、など)によって相互決定されました。
 この作品は全体(楽章なし)として、そしてオーケストラ音楽、室内楽と独奏音楽の総合体として慎重に作曲されました。

[翻訳:山下修司]