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正しい持続 <1968>  【監修済】

 (1973年1月に書いたテキスト)
 約4名の奏者のための『正しい持続』---事前に一度も演奏されることなく---1969年8月26日の午前11時と午後1時の間に2回録音されました。そして後に私は第2ヴァージョン(22分03秒)を放送とレコード用に選びました。演奏者はカルロス・R・アルシナ(ピアノとハモンド・オルガン)、ジャン=フランソワ・ジェニー=クラーク(ダブル・ベース)、ジャン=ピエール・ドルーエ(打楽器)、ミシェル・ポルタル(テナー・サキソフォンとクラリネット)、ヴィンコ・グロボカール(トロンボーン)、そしてカールハインツ・シュトックハウゼン(声、竹笛)。

『正しい持続』

音を一つ奏でよ
それを止めるべきだと
感じるまで
奏でつづけよ

ふたたび音を一つ奏でよ
それを止めるべきだと
感じるまで
奏でつづけよ

このようにつづける

止めよ
止めるべきだと
感じたなら

奏でるにせよ止めるにせよ:
いつも他人の演奏を聴くこと

一番良いのは
人が聴いているときに
演奏すること

リハーサルをしないこと

                            1968年5月7日

『正しい持続』とはどういうことか、が述べられています:「音を一つ奏でよ/それを止めるべきだと/感じるまで/奏でつづけよ//ふたたび音を一つ奏でよ・・・このようにつづける」。そして演奏時間への配慮として:「止めよ/止めるべきだと/感じたなら」。すなわち一音の持続は ---以前の全ての音楽でのように---身体の動作や数読み、時計や視覚的記号によるもの、音やグループ内での反応やリズム的なパターンについて指定され、ないし同意されたタイミングではなく、むしろ個々の演奏者それぞれによって、つねに純粋に直観的に、純粋に音楽的に決定されるものなのです:「止めるべきだと感じるまで」。このように聴き通された持続だけが、この文脈では正しいと判断されます。もちろん、各音の持続は、先行音、同時音、後続音に依存するものです。だから「奏でるにせよ止めるにせよ:いつも他人の演奏を聴くこと」。
 また、演奏者が音に持続を割り当てる際には、聴いている他者からの影響があります。そこで「一番良いのは/人が聴いているときに/演奏すること//リハーサルをしないこと」。
 正しい持続を感得しようとすれば、人は自動的に音のあらゆる性質(音高、音色、強度、順序や音群や音塊における位置)を考慮に入れるものです。そしてもし機械的で音楽外的な音の操作から自由になるならば、この録音のように、有機的で、解き放たれた時間が生起するのです。音が時間の中に存在するのではない。むしろ時間が音の中に存在するのです。

[翻訳:山下修司、監修:清水穣]