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無際限 <1968> 【監修済】

『無際限』
アンサンブルのための

音を一つ奏でよ
好きなだけ多くの時間と空間があるという
確信をもって

                              <図>略
                            1968年5月8日

 (1973年1月のプログラム・ノート)
 アンサンブルのための『無際限』はサン・ポール・ド・ヴァンスでの「マーグ財団の夜」の期間中の1969年7月26日/27日の午後7時30分からほぼ午前2時まで演奏されました。演奏者はギー・アルノー、ハラルド・ボイエ、ジャン=フランソワ・ジェニー=クラーク、ジャン=ピエール・ドルーエ、ヨハネス・G・フリッチュ、ロイ・ハート、ディエゴ・マッソン、ミシェル・ポルタル、ミヒャエル・フェター、そしてカールハインツ・シュトックハウゼンでした。聴衆は午後8時から午後9時の間に到着しました。午後11時15分くらいから、徐々に演奏者は一人また一人と美術館の中庭から周囲の森へと姿を消し、つねに移動しながら演奏しつづけ ---最後の聴衆が車のクラクションを鳴らしながら彼方へと去っていったときには、朝の2時になっていました。
 それからダルムシュタットで『無際限』は1969年8月28日朝11時から12時の間に、事前のリハーサルなしで、録音されました(演奏時間47分50秒)。演奏者:ヨハネス・G・フリッチュ(コンタクト・マイク付きヴィオラとフィルター)、ミシェル・ポルタル(クラリネット、バス・クラリネット、テナー・サキソフォン)、カルロス・R・アルシナ(ピアノ)、ジャン=フランソワ・ジェニー=クラーク(ダブル・ベース)、ジャン=ピエール・ドルーエ(打楽器)、ヴィンコ・グロボカール(トロンボーン)、そしてカールハインツ・シュトックハウゼン(声、2リン[金属の鉢:日本の寺院用具]、サイレンの笛、短波ラジオ、ヴィオラ用フィルターと2ポテンショメーター)。この録音のあいだ、次第に数人の演奏者が演奏しながらホールのあちこちに進み、ホールの隅さらには外へと、マイクの配置を気にとめることなく、あらゆる方向に向けて演奏しました。
 『無際限』の指示「音を一つ奏でよ/好きなだけ多くの時間と空間があるという/確信をもって」に添えて、放物線状の曲線が描かれていますが、それは印刷ページの上端をはみ出て、その少し先で戻って降りてきます。この曲線は空間と時間の実効的な限界(または音楽的演奏上の慣例)の彼方をめざすことを示唆しています。したがって演奏時には「好きなだけ多くの時間と空間」があるという確信をもたなければなりません。最初は不可能なことに思えます。私は何日も、何週間も演奏しつづけられないし、 ---そして私の息、体力、共演者は絶えず私の音を制限するではないか;さらに---私は空間的に、つまり楽器によって、他の演奏者や聴衆の位置によって、録音の場合はマイクのある空間によって、束縛されている・・・。
 しかしながら、そのような「確信」に到達しようという試み続けていれば、どれほどまで音楽家あるいは一つの音楽の様式全体が、因習的限界、つまり、無意識的に受け入れられている時間的限界(音、沈黙、演奏の「可能な」持続時間)と空間的限界(楽器の占める空間、ホール[ステージ]での位置、演奏空間[聴衆のいるコンサート・ホール]、建物の空間[都市、フェスティヴァルの開催地]、地理的空間[「先進国」]など)によって絶えず狭められているか、意識するようになるでしょう。だから、サン・ポールでの公演のために私は長めのテキストを書いて、『無際限』から導かれる「ありえない」帰結の数々を強調しています(このブックレットの19~23ページを参照):すなわち、この音楽では「一つの音」とは単なる特定の持続と強度と音色をもつ単一音高ではなく、複雑で能動的な「生物」なのです。

 この録音のなかで語られるテキストはスリ・アウロビンド著『ヨガについて第一巻、ヨガの総合』(SriAurobindo Ashram,Pondicherry1955.第三版、1965年8月)からの抜粋です。録音がはじまったときに私は偶然によって本の710ページを開き、まだ読んでいなかった第17章「神聖なるシャクティの働き」から、繰り返し、なんども休止を挟みながら、異なるテンポで、声の強さを段階上にゆらし、 ---リン、サイレンの笛(1×)、強い呼吸音、短波ラジオから聞こえるノイズと言葉の断片を区読点としての使用しながら--- 読みあげました。録音の最後に語られる言葉は『無際限』のフランス語訳テキストです。そして車が近づいてきて、ギア・チェンジをして通り過ぎていく不思議な音は屋外から飛び込んできたものです。

[翻訳:山下修司、監修:清水穣]