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少年の歌 <1955-56> サウンド作曲法 【監修済】

電子音楽

『少年の歌』のサウンド作曲法

(1955年初頭のテキスト「Aktuelles」からの抜粋、このCD全集のために1991年に改訂)

 この2年間(1953/54)で、電子音楽の作曲のための基本的な前提条件が獲得されてきています。すでに音としてモデルが存在し(電子音楽『習作I』と『習作II』)、そしてそれらモデルは、その原理的な重要性を証してきました。私はいま新しい作品に取りかかっていますので、幾つか報告しましょう。
 基本素材として私はこれまで正弦波のみを用いていました。新作は歌われた言語音と電子音響を結合するものです。歌や話声の音響は部分的にその構造において、これまで電子的に作曲されてきたいかなる音響よりもずっと細密なものです。所与の話声音響と作曲された電子音響との組合せは、徹底的に自然でなければなりません。そのためには、人工的な手順を通じて歌や話声の音響をオブジェ化し、電子音響の世界の性質に融合するほかありません。こうして話声音響は、「正弦波」から「ホワイト・ノイズ」に及ぶ音色連続体へと組み込まれることになります。
 各々の話声音は、音響特性の一定の選別によって特徴付けられます。これらの音響特性すべてが、その和声音の特性をなしています。
 作品のために選んだテキストが話声音の一定の選択を決めます。それら和声音の幾つかは音色において緊密に結びつき、あるいはいくつかの特性によって相互に類縁関係にあります。他の音響と共通する類縁性をほとんど、もしくはまったく感じさせないような音響もあります。従ってテキストによって与えられるすべての言語音響相互の音響面における類縁性の度合は、全く偶然のままに大きくも小さくもなります。
 電子的に作曲される音響は、所与の言語音同士のあいだで欠けている類縁性の部分を、作品に必要な箇所で補完するのです。逆にいうと、言語音響は電子的音色のセリーへと有機的に組み込まれます。こうして、歌や話声の各々の音響は、そのなかに含まれる諸音素を順列並び替えした1つのパターンとして見なされます。
 マクロ構造でも同様です。言語音声が結びついて語となり、語が結びついて文となり、テキストの意味を作り出すのです。
 この作品では歌と話声の音響は、すべての電子音響とおなじく、音楽の形式規則に従います。
 ある語句の中の話声音が置換されるときは、少なくとも一回は、テキストの中にあるような本来の順序で組み合わせます。こうすれば、一連の置換形の途中で話声音置換の純粋に音楽的な意味が、多かれ少なかれ意外性を伴いつつ、言葉や文章の意味に変容するのです(telbju、lebtuj、jubelt、blujet(たえたよ・よえたた・たたえよ・たよえた)等々)。
 話声音響と電子音響の類縁関係においてそのあいだの推移が連続的に感じられるように、ここでの言語的意味から音楽的な意味へという推移も流動的です。ある種の置換は、たとえ個々の話声音が「最も意味をなす」位置から並べ替えられていても、語句の意味を推察させます。言語としての理解度のグレードも様々に段階分けされています。
 これは構想としては単純ですが、実際的な素材の選択および作曲には、それ相応の方法を必要とします。
 オリジナルのテキスト語句を含む、必要な個々の話声音響とその置換形のすべてを歌うのは一人の少年の声です。それらは、電子音響のように後の再加工のためにテープ上に録音されます。可能な箇所では、少年にあらかじめ音高、持続、強度を指示しておき、それに従って彼はそのつど話声音や話声音のシーケンスを歌います。別の場合、歌われた音響は、モンタージュのときにはじめて最終的な音高、持続と強度へと移されます。音色は、可能な限り録音中に決定してしまいます。
 電子音響を合成するための基本要素は、様々な話声音響と同じくらい精密でなければなりませんし、逆もまた同様です。そうしてはじめて、本当の意味での置換が可能となり、音色連続体が実際に経験されうるのです。こうして、母音とは、それぞれ一連の倍音のフォルマント・スペクトルということですし、無声音の子音は様々なカラー・ノイズです。これら二つの極限のあいだで、混合と組合わせの諸々のタイプが生じます。
 話声音のタイプと同様に、各々の音色は、ある規則のもとで「周期的」ないし「統計的」な音素構造の現れている形式として、作曲されうるものでなければなりません。
「周期的」あるいは「統計的」構造のあらゆる認識可能な性質は、完全に操作可能で、充分に変容可能でなければなりません。
 作曲すべき音響のために11の基本要素を選び抜いて、私は、使用されたあらゆる電子音響と話声音響のあいだに、ありうべき音響的類縁関係の充分に高度なレベルを達成したのです。私はこれら11の基本現象を本当に「基本」から互いに異なるものとして見ています。これまで正弦波のみを基本的に用いていたのと同じです。
 「基本的」と私が呼ぶのは、直接の聴取によっても、あるいは音響分析の任意の補助手段によっても、それ以上の異なるスペクトル成分へと分解することのできない音響タイプのことであり、さらに任意の音高、持続、強度において作曲可能な音響タイプのことです。
 実際、これら11の基本要素の一つ一つがそれぞれが、音響連続体全体をなす音響世界のなかで、原理的にそれ自体固有の性質をもつ一領域を開いています。重複する領域は、音色が連続体をなす、という考えを強めてくれます。しかしこれら基本要素のそれぞれは、それ相応の機能的な使用を要求するものであり、つまり各々が固有の機能領域を有しています。すこし頑張れば正弦波からカラー・ノイズを製作することはできますが、しかしそれは機能的に考えられた行為ではありません。

選択された11の基本要素とは:

1.正弦波;2.「周期的に」周波数変調される正弦波、3.「統計的に」周波数変調される正弦波;4.「周期的に」振幅変調される正弦波、5. 「統計的に」振幅変調される正弦波;6.両方の正弦波変調の同時で「周期的」な組み合わせ;7.両方の正弦波変調の同時で「統計的」な組合わせ;8. 密度が変化しないカラー・ノイズ;9.「統計的に」密度が変化するカラー・ノイズ;10.フィルター処理された「周期的」なインパルス・シーケンスからのインパルス(クリック)、11. フィルター処理された「統計的」なインパルス・シーケンスからのインパルス。

これら基本的形式は、私の作曲上の技術の必要に応じてあらゆるパラメーターで操作可能であり、変化可能です。
 変調とフィルター処理された帯域幅の限界は、私たちが音高と持続シーケンスを解像できる(聴き分けられる)インターバル範囲内に留められます。
 こうしてあらゆる基本要素は、似た「音色」の「単純な」音として聴かれます。私たちはミクロの時間構造の相違にのみ基づいて、要素間の差異を体験します。
 これら基本的な音の諸形態を同時に作曲してはじめて、音響、混合音、ノイズの線状スペクトルと帯状スペクトルの様々な領域が、つまり音色置換の王国が開かれるのです。
 素材を規定し、素材を作曲するのは一つの思惟です。音高システムのために私は6種類のスケールを選びました。以前の仕事においてと同様、これらのスケールは基本要素のあいだの部分音のインターバルを決定し、さらに音響、話声音、音響グループ、音高「領域」(音域)の、和声的ないし旋律的なインターバル関係を決定します。私は音高のハーモニックスケール、サブハーモニックスケール、半音階スケール、そしてそれら三つの組合せを使用しています。
 歌や話声の音響シーケンスにおいては、前後関係によって基底音の音高を変える必要があるわけですが、なぜ、テープ録音段階で歌手はその音高を最終的に決定してしまえないのか、もうおわかりでしょう。使用された音高システムは、ハーモニック・スケール、サブハーモニック・スケール、半音階のスケール、そしてなによりも非常に細分化された混合スケールによるインターバル進行を要求するわけですが、人間はそのようなミクロなインターバルをもはや正確に歌うことなどできないのです。そのつど望まれた音高を、歌手はおおよそで歌います。そしてモンタージュの段になってはじめて、この歌われたシーケンスを最終的な音高に移したのです。
 私は『習作II』で、調律された音高スケールをすでに使用して、混合音からノイズへと至る推移的領域を開拓していました。スケールにおけるステップの密度は「明るさ」の度合を変化させて「音色」の度合いは変えませんでした。音色は基本要素の種類、そして部分音スケールと強度のバランスによって変容します。
 この作品で使用された三つの音高スケール、さらにそれら三つの組合せのタイプは、スペクトル作曲のため、そしてまた和声法・旋律法のために充分なほどに多様な線状・帯状スペクトルを切り開くものです。スケールのセリーが、ハーモニック・スケール、サブハーモニック・スケール、半音階スケール、組合わされたインターバルスケールのステップ数を大きく変化させます。
 歌われた話声音の部分音構造も、このインターバル連続体へと有機的に組み入れられます。
 基本要素あるいは要素群(フォルマント)を同時に作曲するに十分な可変性を得るために、私は同時に、それぞれが1オクターブの幅の6つの「フォルマント領域」を用いています。
 一つの音響イベントにおいて同時に六つの要素群を組合わせる、基本要素あるいは要素群のそれぞれをすべての性質においてセリエルに変化づける、一つ一つのフォルマント・オクターブのなかで要素群ごとに部分音の周波数帯間隔あるいは中心周波数帯間隔の固有のインターバル・スケールを設定するなど、このようにいろいろ可能な複雑性をみても、音色置換の精密さというものが窺い知れることでしょう。
 私が基本要素を区別し選択した方法からおわかりのように、私はいつも時間構造に関するいろいろなアイデアから出発して、そこから他のすべての音響機能を導きだすのです。
 このことを、上述の基本要素10と11、すなわちフィルター処理された「周期的」または「統計的」なインパルス・シーケンス、を参照して説明してみます。
 「周期的」インターバルでの「クリック」のシーケンスは、一秒あたりの「クリック」数によって規定されます。「クリック」はインパルス・ジェネレーターで作ります。ある「クリック」シーケンスを、任意の音域で20Hz幅で、例えば980-1000Hzでフィルター処理し、そしてインパルス間の一定の時間インターバルとして1/10秒を選択するとしますと、980-1000Hzの中音域にある音が、一秒間に10回「周期的」にパルスを発振しているのがはっきりと聴かれます。インパルス・シーケンスを徐々に加速し、使用されたフィルターの、周波数に依存する(アタックの)トランジェント、さらには個別のパルスを区別する耳の能力の限界を越えると、それまでリズム的だった音は、ますます完全に連続して聴こえてきます。これとは反対に、もしインパルスの時間的インターバルをゼロに向かって減速すれば、音の「周期的」なリズム構造はますます明確になり、単一のインパルスがよく聴こえるようになって、音は均等な音高と持続をもつ単音のシーケンスへと分解してしまいます。私はインパルス・シーケンスの速度を毎秒20インパルスまで変化させました。なぜこの限界を選んだかは明らかです:もしインパルスがこれ以上速くなると、インパルスの周波数が、フィルター処理された音と並行して、第二の音高として下方から現われてくるのが聴こえるからです。そうなると「基本要素」はもはや「単」純な音とはいえず、つまり上述の意味での「基本要素」ではありません。
 ここには、最初の作品から私がずっとかかわっている、時間構造と音高の間の関係がとくにはっきりと認められます。また、「リズム」として体験されるそれら時間インターバルの範囲、と「音高」として体験される時間インターバルの範囲のあいだの連続的な推移も現れています。境界は、平均値としては、毎秒20インパルス(あるいは振動)のあたりにあります。推移はまさに連続的です。
 さて、上述のようなフィルター処理の基準で確定された様々な音高をもつ、このような「周期的にリズム化された」音が、あるスペクトルへと作曲されると、選択されて規則的にリズム化された基本要素の、様々にポリフォニックなミクロ構造に起因するスペクトルの変容が、それぞれ異なって体験されるでしょう。強弱変化が、さらなる置換要因としてそこに加わります。
 この「周期的な」基本的音形態に加えて、第二の「統計的」なそれにも言及しました。「統計的」な振幅および周波数変調においては、いまのところ技術的限界があって、変調する側と変調される側の周波数の位相関係をより精密に規定することができないのですが、それにたいして「統計的なクリック・シーケンス」においては、時間インターバルの統計的配分を細かく決定できるのです。個々の「クリック」は孤立して取り出し、セリーの「統計的」置換にしたがって、時間的シーケンスへと継ぎ合わせるのです。個々の間隔は正確に測定されます。このインパルス・シーケンスを上記でのようにフィルター処理すると、選択された音高は非・周期的に、一見無作為的にパルスを発します。置換と平均速度のいくつかのバージョン(時間セリーにおける最小インターバルの変更による)が現れてはじめて、これら「統計的に」経験される、基本要素のリズム構造の相違を感じとることができます。これら「基本要素」の組合わせから生じるスペクトルを、さらにタイプ分けすることが出来ます。
 もし、前出の例のように、このインパルスの「統計的」なインターバル配列において、音高聴取の限界を越えてしまった(インパルスの平均速度が毎秒約20「クリック」よりも上回った)とすると、私達はフィルター処理された音高と一緒にノイズを聴くことになります。たしかにこのノイズは、「クリック」シークエンスの平均速度が増すにしたがって明るさを増すように聴こえますが、その音高規定は近似的なものであり、まさしく「平均の」「統計的な」値としてのみ規定されうるのです。
 それゆえ私は「ノイズ」一般とは、音響要素の「統計的」ポリフォニック時間構造の知覚であり、「音」とは、「周期的」ポリフォニック時間構造の知覚であり、「基本要素」「単純音」とは、「周期的」線状時間構造である、と見なすのです。私は「音響」を集合的概念として用いています。電子音響、器楽音響、話声音響、いわゆる音響、など。「音」と「ノイズ」は「スペクトル」です。それらはハーモニック~、サブハーモニック~、ノンハーモニック~、半音階的~、結合~、統計的~などになります。これら基本要素のそれぞれは、私が前述した例に従って構造化されます。
 音量には、音高と同様に、私は六つの異なるタイプのスケールを選択しました。

オリジナルのテキストでは、ここから振幅と時間作曲の関係に関する長大な一節が続いています(「テクステ」第二巻54-55頁、デュモン出版社、ケルン1964年を参照)

 本質的なことは、「リズム」が音高や音色の知覚へと移行可能であるということ、時間感覚は音量に依存すること、異なる強弱レベルを含む場合は、技術的に測定された持続が感覚的に測定された持続にあわないこと、音色は、その部分音一つの音量あるいは周波数を変えてしまえば、もはや同じ音色ではないことです。
 時間構造の概念から音響現象のあらゆる特性を導き出そうとする意図において、さらにもう一つの、根本的な問題意識が明らかになります。
 選択された基本要素は、一般的な作曲や処理の手続き次第で性質を異にするものであり、単なる素材です。しかし作曲家の意志とコンセプトに応じて、基本要素の一つ一つのなかに構造が作曲され、その構造は、作曲されるべきそのつどの作品の包括的な構造に一致します。ある作品の基本的なミクロ構造とマクロ構造が、一つの包括的な作品概念から演繹されるのです。基本要素は、まだ無意味な素材という地位から高められ、特定の音楽的意味を得ます。ある特定の作品の外では、特定の方法で構造付けられたある基本要素、そこから生じたある音響は、意味をもちません。
 こうして、なぜ私が二つの別な作品において、同一の「準備された」要素や同じ音響や同じ「オブジェ」を決して用い得ないのかも理解されるでしょう。説明のために言っておけば、私はモンタージュ作業の前に、各音響のオリジナルテープを製作して保存します。そうしておけば、実際に音響を組合わせるときに、その音響がオリジナルで(あるいはさらなる変化形で)用いられるたびに、何度でもそこからコピーできます。
 私は、自分の個人的な作業の基本概念が、電子音楽の中心概念になりうると信じています。疑念と批判にもかかわらず、私はその基本概念を堅く信じて主張していくつもりです:作品構造と素材構造は一つである、と。
 『少年の歌』のポリフォニックな構造概念は、それに相応しい空間的投射を必要とします。私は5重の立体音響を使用しました。<注1:元々は、6チャンネルの作品が想定されていました。> 従ってこの作品は五つのスピーカー(あるいはホールの規模によってはスピーカー群)から再生されます。スピーカーはホール内の聴衆の周囲と頭上に配置され、この作品の音響ポリフォニーのなかへ聴衆を包みこみます。
 しかし同時に、私は電子音楽の最も本来的な機能、つまりラジオやテレビでの放送をも考えています。つまりこの点においては、ステレオ放送を可能たらしめるであろう将来の技術的な発展を見越して制作せざるをえないわけです。そのときまでは、モノラル放送用にシングル・トラックのバージョンを作っています。
 これまでの電子音楽作品は、数台のスピーカーによる上演のために作曲されたのではなく、一台のスピーカーでの聴取に基づいていました。だから、広いホールでの「コンサート」上演が満足のいくものになるはずもなく、それに対してラジオ放送には向いていたわけです。
 この、全体構造においてマルチチャンネルを想定した最初の作品が、音楽の作曲と聴取の新しくて生き生きとした芸術形式の始まりとなるかどうか、それを私のいまの作品は示すはずなのです。ここに私の統合的なセリー技法もまた、空間における音源の位置のコントロールをセリーに含み入れることによって、はじめてセリー技法の全面的な実現を美的に(追体験可能なものなのだと)実証することとなるでしょう。

[翻訳:山下修司、監修:清水穣]