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強度 <1968> 【監修済】

(1972年5月のテキスト)

 アンサンブルのための『強度』は事前のリハーサルや討論なしで1969年8月29日午前11時10分に一度だけ録音され、その直後に聴いたところ満足できるものでした(演奏時間:30分40秒)。演奏者はヨハネス・G・フリッチュ(コンタクト・マイク付きヴィオラとフィルター)、ロルフ・ゲールハール(マイク付きタム・タムとフィルター)、カルロス・R・アルシナ(ピアノ)、ジャン=フランソワ・ジェニー=クラーク(ダブル・ベース)、ジャン=ピエール・ドルーエ(打楽器)、ミシェル・ポルタル(サキソフォン、クラリネット、バス・クラリネット、フルート)、カールハインツ・シュトックハウゼン(ハンマー、釘、木製ブロック、紙やすり、やすり、ファイル、車の警笛(4)、サイレンの笛、ヴィオラとタム・タム用2フィルターと4ポテンショメーター)。

『強度』

一つの一つの音を、
自分の中から発散される
温もりを感じるほど
のめりこんで奏でよ

その音を奏でつづけ その音を保て
できるかぎり長く

                            1968年5月9日

 「直感音楽」固有の法則性についてはほとんど知られていないので、アンサンブル演奏が同期することはめったにありませんし、あったとしても大抵は偶然です。ところで、『強度』のこの録音には、そのような演奏者の同期性、あらゆる種類のシンコペーションとその解決によるリズム的抑揚、絶え間なくそして飛躍的に変化する脈動によるはっきりとしたテンポの相違が、いたるところでしかも多様な仕方でみいだされます。それは以下の事情に因るものとおもわれます。つまり、この演奏に先だって、私はすでに何度か「自分の中から発散される温もりを感じるほどのめりこんで一つの一つの音を奏でよ」という指示に対して、自分は「温もり」を肉体的な体温として解釈しよう、つまり「熱く」なって演奏して、できるだけ「熱さ」をキープしようと内心考えていたのです。
 録音の日の早朝、私には今日の録音の経過が自ずと浮かんできました。実際、午前11時10分からの録音はまったくその通りに進んだのです。私は、この早朝のヴィジョンのなかで時間を凝縮して見聴きしたことだけを行いました。厚手のセーターと車の警笛とサイレンの笛を私の楽器コレクションから取りだして、工事現場へドライブをして四角い木製ブロックを調達しました。それから町でハンマー、長い釘、やすり、ファイルと紙やすりを買うとそのまま録音に向かいました。
 なんら説明することなく、私は楽器を準備して、セーターを脱ぎ、マイクをテストして、演奏者全員が到着するとすぐに、以下のプロセスを開始しました:
 まず周期的に紙やすりとやすりをかけて、木製ブロックをきれいにしました。それからそれに次々と長い釘をハンマーで打ち込みました:最初は個々の釘を完全に、それから釘のグループを異なった深さで、そして最後には完全に深く打ち込んでしまうまで(大きな音高差がうまれます)。
 その後、比較的長い時間に渡って、さまざまな深さで打ち込まれた釘の軸を磨いたり、あるいはただ釘をふたたび打ち込んだり、木にやすりがけをしたり磨いたりしました。それに加えて、私はずっと口にくわえていたサイレンの笛を断続的に吹いたり、いくつかの場面では釘を完全に打ち込んでしまうたびに車の警笛を鳴らしたりしました。
 私の演奏の「強度」は直接に他の演奏者に伝わり、私の音響的・視覚的リズムに対し、彼らは「完全な同期」と「完全な対立」の両極のあいだで全身で反応しました。こうしてほとんど自然発生的に、演奏する指揮者としての私の役割を通じて、『七つの日より』で最も垂直な音楽が生じました。最初に私がハンマーを打つことや汗ばむこととして純粋に肉体的に解釈した「強度」は、精神的ポリフォニー、リズム的ポリフォニーへと突然に転換したのでした。

[翻訳:山下修司、監修:清水穣]