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太陽に向かって帆を上げよ <1968> 【監修済】

(1973年1月のテキスト)

 アンサンブルのための『太陽に向かって帆を上げよ』は1969年5月30日にパリのシャイヨー宮にて、シュトックハウゼン週間(ミュジーク・ヴィヴァント)を構成する七つのコンサートのうちの三番目のコンサートで最初に演奏されました。演奏者はハラルド・ボイエ(エレクトロニウム)、アルフレート・アーリングスとロルフ・ゲールハール(マイク付きタム・タム)、アロイス・コンタルスキー(ピアノ)、ジャン=フランソワ・ジェニー=クラーク(ダブル・ベース)、ヨハネス・G・フリッチュ(コンタクト・マイク付きヴィオラとフィルター)、ミシェル・ポルタル(E♭管クラリネット、バセット・ホルン、テナー・サキソフォン、タラゴート)、ジャン=ピエール・ドルーエ(打楽器)、そしてカールハインツ・シュトックハウゼン(ヴィオラとタム・タム用2フィルターと4ポテンショメーター)。これらの同じ演奏者はそののちにこの作品と『結合』を1969年6月6日と7日にレコード録音しました。その録音はハルモニア・ムンディから発売されています。
 そして1969年8月30日、これらの演奏者にカルロス・R・アルシナ(ピアノ)とヴィンコ・グロボカール(トロンボーン)を加えて、ダルムシュタットのフリーメーソン・ロッジでの一連のWDR録音の期間中、午後6時に放送とレコード用の録音が行われました(32分54秒)。

『太陽に向かって帆を上げよ』

一つの音を奏でつづけよ
その音の一つ一つの振動が聴こえるまで

その音を保て
そして他の者の音を聴け
----一音ずつ聴くのではなく、すべての音を同時に----
そしてゆっくりとおまえの音を動かせ
完全なる調和へと到達するまで
そして全体の響きが金色となり、
純粋で、穏やかに煌めく炎となるまで

                            1968年5月9日

 つまり、各演奏者に「四つの段階」で生じる「プロセス」ということです:一つの音を聴く---他の者の音を聴く--- 自分の音を動かす---調和に到達する。
 これらの段階はパリでの上演やその後の上演のまえには何度もリハーサルされました(1970年1月14日のロンドンでのBBCシンフォニー・オーケストラによる特に重要な公演を含みます。オーケストラは、それぞれ一人ずつ「核となる演奏者」をもつ四つのグループとして、聴衆の周りに配置され、作曲家によってリハーサルされました)。
 テキスト末尾の一見音楽外的な表現は、目を閉じ、完全にリラックスして、瞼を通り抜ける光に集中し、できるかぎり長い時間いかなる想念も思考も思い浮かばないようにする練習のとき、経験されることに基づいています。こうすると、調和のとれた状態のなか、あの柔らかな金色に到達するのです。それが「穏やかに煌めく炎」と知覚されるわけです。響きと完全に一体化することで、響きはさらに色彩になります。もはや色は響きの、響きは色の比喩ではなく、両者は完全に同じものになり、つまり響き=金色になるのです。この音楽の題名の『太陽に向かって』という言葉は、さらに正確に「金色の響き」を指し示しています。これは、金色を連想させる響きという意味ではなく、この調和の純粋に音楽的な実現のことです。それが完全に成し遂げられうるものなのかどうか、答えはありません。
 いずれにせよ、比較のためにフランス版の録音(DiegoMasson,EnsembleMusiqueVivante. HarmoniaMundiHMA190795)を聴くことをお薦めします。

(1974年12月のテキスト)

 アンサンブルのための『太陽に向かって帆を上げよ』の形式は以下のように展開します:最初に、それぞれの演奏者は、音の一つ一つの振動が聴こえるようになるまで、一つの音を奏でます。そして、その音を保ったままで他の演奏者の音を聴きます ---ただし、個々の音ではなくすべてを「一度に」。耳で全体の響きをとらえたならば、その音をゆっくりと動かします。完全な調和へと到達するまで ---そして「全体の響きが金色となり、純粋で、穏やかに煌めく炎となるまで」。
 これらの指示にできるかぎり正確で包括的に従うように試みた数多くのリハーサルに付け加えて、作曲家から演奏者に向けて数多くの補足と説明が口頭で伝えられました。例えば、なぜそしてどのように「調和」が音高の調和ばかりでなく、重ねられたリズムの調和(1:2:3:4:5:6:7:8:9)、強弱の調和(音色をかき消してしまうほど破壊的な強度とエンヴェロープを用いず、それでいて生き生きとした強弱をつける)、音色の調和(非楽音と楽音の間の均衡のとれた関係、目立ちすぎて他の音色を塗りつぶしてしまう音色を使わない、あまりに急速に音色を変えない、母音的音色の調和のとれた混合など)をも意味するのかを、正確に説明することが必要だったのです。

 演奏者たちは、他の演奏者の音を---すべて同時に---聴けば聴くほどに、いかに多くの調和させるべき局面があるか、そして「完璧な」調和に到達することがどれくらい難しいのかということを発見しました。最後に、全体の響きが「金色の、純粋で、穏やかに煌めく炎」にならなければならないという指示もまた、完全に明確化される必要がありました。なぜならその指示は、決して象徴的、詩的な言い替えではなく、むしろ技術的で厳密なものを意味しているからです。つまり、音楽を演奏している時 ---そして聴いているときもまた---目をわずかに閉じて、気を散らす思考やイメージが現れないようにすると、集中のさまざまな段階に応じて、乳灰色、暖かな赤紫色、そして最後に穏やかに煌めく炎としての金色が見えます。そして常にこれは達成された調和の徴なのです。
 『太陽に向かって帆を揚げよ』の演奏者は、上で述べたような経験をしておく必要があります。そうすれば、自分の演奏を評価するための技術として、それを意識的に適用できるわけです。

[翻訳:山下修司、監修:清水穣]