見出し画像

ヒュムネン(国歌) <1966-67> 電子音楽とミュージック・コンクレート、独奏者付き

テープの製作期間中(1966-67)に、私は独奏者付き『ヒュムネン』の世界初演のために選んだ演奏者を電子音楽スタジオに何度も招きました:ハラルド・ボーイェ(エレクトロニウム)、ヨハネス・G・フリッチュ(エレクトリック・ヴィオラ)、ロルフ・ゲールハールとデヴィッド・ジョンソン---製作期間中の共同作業者---(タム・タム)、アロイス・コンタルスキー(ピアノ)。私は彼らのために『ヒュムネン』のテープを演奏して電子音楽とミュージック・コンクレートへの独奏者による「特徴付け」と「実況解説」を私がどのように思い描いているかを説明しました。私は---リハーサル期間中の指示と後の修正のみを通じて---私の製作した『ヒュムネン』への独奏者の「自由な演奏」を可能にしたかったのです。
 1959-60年に私の作品『コンタクテ』で既に、私は---即興演奏シンボルを使用することを通じて---ピアノ奏者と二人の打楽器奏者が電子音楽に反応することを試していました。その打楽器奏者とのリハーサルにあまりに失望させられたので、私はピアノと打楽器の楽譜を完全に確定化しました。
 『ヒュムネン』では、写実的な楽器、声、自然、そして抽象的な音響による技術的な音響の数多くの混合が存在します。私はエレクトロニウム、エレクトリック・ヴィオラ、タム・タムやその他の打楽器、ピアノの奏者達が音、和音、ノイズ、フィギュール、モチーフ、メロディーの断片の個々に「特徴付け(下線)」や「実況解説」をすることで、起伏と柔軟性をスピーカーの音響に与え、そして彼らの視覚的な演奏を通じてイベントがより良く理解されると思いました。
 この自由な演奏の「ルール」は私によって書き留められて時々補足されたり変更されたりします。全集CD10C-D(1995)の発表までに実践されてきた方式を引用します:

特徴付け、実況解説

もしともかくも可能ならば、テープ上のどんなものも覆い隠さない。

個々の音を色彩づけるために倍加する。

個々の音を延長する、特に低音部(ヘテロフォニックなペダル・ノートのメロディー、ときにとてもゆっくりと)

あらわにされた音域での、または拡張された時間周期のための、ポリフォニックなカウンター・ヴォイス

長い時間周期のための少数の音による実況解説---変化を与えられた断片から、または中心となる国家あるいはその領域ではっきりと現われている国歌から選ぶ。

全音階的な国歌のフィギュールをその通りには演奏しない、むしろ個々の音、インターバル、またはメロディーの断片のみを演奏し、それを無調の中間的な音をを経て変型する、例としては:<譜例>略。この間に、支配的な長七度、短九度、三全音が和声的不協和の再解釈のために使用される。(分離した)二つの音が幾度かお互いの後に続くときは、それらは大きなジャンプとアクセントの付け方に変化を与えて別のオクターブで演奏されなければならない。

時間的な拡張、あるいは短いフィギュールへの圧縮;異なる断片への長い時間周期にわたる変換

断片(単音、インターバル、短いフィギュール)は一度選ばれると、長い時間周期にわたって時折、表面に再浮上しなければならない。

かなり後に現われる何かの告知

冒頭までさかのぼる回想

テープを聴いている時に明確になった国歌からの音楽的思考の破片---再参照、予想---は演奏されなければならない。

中断によって、広く隔てられたパートの間のブリッジを演奏せよ。

一般的に、一度選ばれた断片は長い時間保持されて意図しているゴールへと変えなければならない(例:ある国歌の断片を分解してゆっくりと「顕微鏡にかける」)。

新しい前後関係での要素を記憶して、リズム的、メロディー的にそれを現在の要素と結合する。

充分に「ウインドウ」を残しておく:各挿入部の後に、いくつかのイヴェントが理解されてしまうまでテープと他の独奏者を聴く;さらなる特徴付けか実況解説があったときにのみ。

個々の音を補って、他の奏者の断片を継続せよ。

他の独奏者に対してあるいは他の独奏者に理解できるように、あらゆるイベントを視覚的にはっきりと演奏せよ。

リハーサル-演奏-録音

世界初演の約一ヶ月前に、長く、集中的な一連のリハーサルが始まりました。リハーサル期間中は、私が良いとは思わないものを見つけるとすぐに中断して、提案、訂正を行いました。私が、確かに、テープ---すなわち私自身の演奏者---上に製作していた、私の作曲した電子音とミュージック・コンクレートへの反応を通じて、私は新しい口述の流儀---規定された音によらない---の可能性を強く確信していました。
 その当時は、音楽家はまだ従うべきテープの転写を持ってはいなかったので、各人が耳で指示を書き留めていました。いずれにしても、私達はこの方法で世界初演を演奏しました。
 私自身はサウンド・プロジェクショニストとして働くとともに、『ミクロフォニーI』でのように、エレクトリック・ヴィオラとタム・タムのマイクにそれぞれ一台づつのフィルターを「演奏」しました。タム・タムに同じ追加の楽器を使用した演奏の技術は、『ミクロフォニーI』と同様でした。
 世界初演の後に、ボーイェ、フリッチュ、アーリングス(デヴィッド・ジョンソンの代わり)とゲールハール、コンタルスキー、そして私のサウンド・プロジェクションによって、数多くの上演がなされました。各々の上演の数日前には、私達は再度リハーサルを重ね、変更、改善を行いました。
 1968年後半と1969年初頭の数カ月間にわたって、私はやっとテープから研究用楽譜を転写する時間を持つことができたので、この間には私が1966-67年に作成していた全ての作業ノートを考慮にいれました。私の当時のアシスタント、ロルフ・ゲールハールが、私の手書き原稿を清書しました。従って1969年3月以来、独奏者たちはこの楽譜とともにリハーサルをして、彼らの演奏したものを空いた譜表へと書き込めるようになりました。
 1969年の3月31日から4月3日にかけて、私達はWDRにてステレオ録音をする機会を持ちました。これがこの全集CD10C-Dに収められた録音です。
 何度かの上演の後で、私の依頼でロルフ・ゲールハールが、演奏者の指示をまとめて「独奏者のパート」と題された一冊の楽譜に書き留めました。それ以来、この楽譜のコピーは『ヒュムネン』独奏者付きを演奏する意向のある音楽家には入手できるようになっています。1970年の万博(大阪)以降は、ヨハネス・G・フリッチュに代わってペーター・エトヴェシュ(エレクトロコード)、アルフレート・アーリングスとロルフ・ゲールハールに代わってヨアキム・クリスト(タム・タム)が演奏をしました。1974年以降はペーター・エトヴェシュに代わってスザンヌ・スティーブンスが幾度か演奏しました。
 70年代から80年代の間に、別なアンサンブルによる『ヒュムネン』独奏者付きのリハーサルと上演の録音が私に何度か送られてきました。その度に私はがっかりさせられ、大部分に独断的な混乱と恥ずかしげもない審美眼の欠如を可能にした演奏や解釈の余地を作品に与えたことで、私自身をますます責めるようになりました。最終的に、1991年3月18日に、私の書いた『ヒュムネン』の研究用楽譜の補足文で以下のように述べています:

 ”四部の独奏者付きの上演については、私とともにリハーサルをして、その演奏を私が良いと判断した音楽家のみによって演奏されるものとする。例えばマークス・シュトックハウゼン(トランペットとシンセサイザー)、ミヒャエル・スヴォボダ(トロンボーン、ユーフォニウムとシンセサイザー)、アンドレアス・ベトガー(タム・タムとその他の打楽器)、ジモン・シュトックハウゼン(ピアノ、シンセサイザー、サンプラー)は1990年の夏期の数週間にわたってフランクフルトとロンドンの二つの上演のために「独奏者ヴァージョン」を私とリハーサルをしました。私はこの「フランクフルト・ヴァージョン1990」を「独奏者ヴァージョン」として出版する予定です。
 「独奏者のヴァージョン」の世界初演以来私は音については何も決してハッキリと固定せず、むしろあらゆる演奏と録音はリハーサル期間中の私の口頭での指示と修正の結果なのです。『ヒュムネン』のための最初の独奏者のアンサンブルはずっと以前から存在を終えていて、上記で指名された演奏者たちが現在(1995)私とともに『ヒュムネン』をリハーサルした唯一のアンサンブルです。こういった理由で、楽譜と良い録音が存在し、そしてひょっとすると、別のアンサンブルが私とともにそして指名された演奏者たちとともにリハーサルをするまでは、私はこのアンサンブル以外でのいかなる演奏を認めるつもりはありません。
 別なアンサンブルによる幾度かのひどい演奏が私にこの通知を作成させた原因になりましたが、なぜなら彼らは---私達の新しい口述の演奏の伝統を顧慮することなく---『ヒュムネン』の電子音楽とミュージック・コンクレートのテープに不適格な「実況解説」を公に演奏したからです。私自身が「自由な即興演奏」の誕生に寄与したことを私は知っています:しかし私は一貫して作曲された、確定的な音楽よりもそれが比較にならないほど危険で壊れやすいことを知っています。
 「実況解説型即興演奏」と「直感音楽」は、様式と美的な質を保証するためにも、そのような作品の著者と一緒になった小さなグループでのみ習得することができるのです。”

『ヒュムネン』独奏者付きの新しい楽譜では、指名された四人の演奏者たちが1995年までのリハーサルからの結果と私の修正と提案のあらゆる指示を転記しています。この楽譜は「プロセス・コンポジション」のドキュメントであり、それは絶えず発展し続けています。近い将来にそれが出版されてからは、一つの可能なヴァージョンとして、さらにそれ以上のヴァージョンへの刺激として役に立つことでしょう。

[翻訳:山下修司]