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テレムジーク <1966> 【監修済】

電子音楽

(1966年3月NHK東京での世界初演のプログラム、1969年に補遺)

序文

 私は1966年1月23日から3月2日にかけて東京の日本放送協会(NHK)の電子音楽スタジオにて、スタジオ責任者の上浪渡とスタジオ技術者の塩谷ヒロシ、佐藤茂、本間アキラの協力により、『テレムジーク』を製作しました。
 5トラックのオリジナル・テープは1966年3月22日に東京のNHKスタジオにて世界初演されました。

 東京での初めの8日間か9日間のあいだ、私は眠ることができませんでした。私はそれでも満足でした。なぜなら目を覚ましたままで横になっていると、頭が音響の幻影、アイデア、運動で途切れなく満たされていたからです。夜は眠れず、昼は電子音楽スタジオで8、9時間の作業をおこなって、なんら有用な結果も得られないまま--- 私は異質な言語、食事、水、空気、イエスとノーの混乱を吸収しなければならなかったばかりではなく、完全に異なったスタジオの技術機材にも慣れる必要がありました ---四日目を過ぎたところで、一つのヴィジョンが何度も何度も繰り返されるようになりました:それは私の気に入りました。サウンド、新しい技術的プロセス、形式的関係、記譜法の図形、人間関係などのヴィジョンで、しかもこれらすべてが一斉に一つのネットワークとして現れました。それは一つの作品プロセスにおいて表現するにはあまりにも複雑なネットワークで、私はその後も長い時間にわたってそれに従事することとなりました。
 こうしたことの全てに対して、私は昔から絶えず回帰してくる一つの夢に近づこうと思っていました。つまり「私の」音楽ではなく、全地球の、あらゆる国々と人種の音楽を作曲するという方向で、さらなるステップを踏み出すことです。皆さんはそれを『テレムジーク』に聴くでしょう。私は確信しています。皆さんはあれらの神秘的な訪問者たちの音楽を聴くでしょう。日本の宮廷からは雅楽奏者たちを;幸福の島バリから;南サハラから;スペインの村祭りから;ハンガリーから;アマゾンのシピボ族から;私が三日三晩にわたって参加した奈良のお水取りの儀式から;中国の華麗な名演奏家たちから;高野山の寺から;ヴェトナム高地の部族から(彼らについて恐ろしくて歪曲されたニュースをホテルでアメリカや日本の新聞で毎朝読んでいました);そして再びヴェトナムから、そしてヴェトナムからのさらなる魅惑(なんと素晴らしい人々!) ---(私がサイゴンに着陸して見たものは空港のまさに近くにたち昇る煙の雲、そして軍隊と爆撃機と恐怖に怯えた目)--- ;薬師寺の仏僧から;宝生流の能舞台から・・・。それらがすべて『テレムジーク』に加わろうとしていました、ある時は同時に、そしてまたある時は相互に浸透しあいながら。電子音楽の新しくて未知なる音世界をこれら神秘的な来訪者達のために開きつづけていようとして、私は手一杯でした。彼らが「まるで故郷のように」感じるようにすべきでした。つまり、作曲上の作為によって「統合され」たりせず、むしろお互いの精神の自由な遭遇において本当に融合しあうように。
 私はそれをどのようにおこなったかを確かには覚えていません---私は頭がぼんやりとしていました---しかし私はこの『テレムジーク』の作曲が成功したと信じています。

 1969年の挿入文:今日、あれから3年経って、『テレムジーク』はある新しい展開の始まりになっていたと言うことができます。そこにおいて、今世紀前半の "コラージュ"という状況は次第に克服されるのです:『テレムジーク』はもはやコラージュではありません。むしろ ---古い「既存の」オブジェと、私が現代の電子的手段により作製した新しい音響イヴェントの間の相互変調(Intermodulation)のプロセスを通じて ---より高度な統一が達成されるのです。すなわち、過去、現在と未来、遠く離れた場所と空間の、普遍性:テレ=ムジークです。

 1966年のテキストの続き:この作品のタイトルを最初に思いついた夜、私は突然に奔流のような連想を次々に体験しました。『テレムジーク』のためにそのときの言葉をいくつか引用しましょう:超 ---レーザー光線---星屑---北---光沢---雲の影---ヘリウム---極---鏡--- 私の私---高周波---白の上の白---反射---雪の足跡---明るさ---能管---摩天楼--- 氷河---リング変調---銀色の沈黙---復活---ハイファイ。
 私は『テレムジーク』を、私を客として招いてくれた国の人々に、つまり私が無限に賞賛しそして古き日本と新しき日本の間の矛盾に信じられないほど深くかかわっている日本の人々に、献呈したいと思っています。世界統合の過程を通じて、そしてありとあらゆるものの破壊と平板化という不可避的な過渡期を通じて彼らにもたらされる深刻なダメージのあいだ、あるいはその後に、彼ら日本人が新しい日本を産みだすことを、私は心から望んでいます。なぜなら私が ---特に日本で---学んだように、伝統はただ単に存在するのではなく、日々新しく創造されなければならないのですから。今日に現代的なものが、明日の伝統になるのです。私たちの為すこと言うことのすべてが、一つの連続した伝統の一環として理解されねばならないということを、忘れないようにしたいものです。さもなければ伝統は死ぬ。伝統は死ぬ。伝統は死ぬのです。

テープ

 5チャンネルのオリジナル・テープはNHK東京の電子音楽スタジオにあります。このオリジナルから私は数本のステレオ・コピーを同じスタジオで製作しましたが、その5チャンネルの空間的な配置は次のとおりです(パノラマ・ポテンショメーター左→右):I IVIIIIIV

 ステレオ・ヴァージョンの上演では、2トラック再生の二つの出力それぞれに二つの独立したフェーダーを、それと会場の四隅の高さ約3.5メートルのスタンドの上に設置した4×2スピーカーへのフェーダーで回路を組むことを推奨します:チャンネルIを左後方と左前方、チャンネルIIを右前方と右後方、会場中央でバランス調整。もしバランスが良ければ、ほぼ5チャンネルのオリジナルに近いサウンド・プロジェクションに到達することも可能になります。
 『テレムジーク』は暗闇の中で聴かれなければなりません。そのときにはステージ後ろの壁の上方に小さな月のような円だけが輝いているようにします(会場中央に設置したスポットライト)。

音響機材:

 2トラック・ステレオ・テープ・レコーダー
 ミキシング・コンソール、4フェーダーと4出力装備、
 各チャンネルに2フェーダー;
 4×2スピーカーとアンプ。

 1994年の補遺:何年もの間にわたって、NHKスタジオのディレクターにオリジナルの6トラック・テープから国際規格の8トラック・テープにコピーを製作してもらうように私が手紙を書いていると、1988年(製作の22年後!)に一本の8トラック・テープが私のもとに送られてきました。それに添えられていたのは、オリジナルのテープ・レコーダーはとっくに機能しなくなっているので、今一度修理して動くようにして、8トラック・テープのコピーを製作した、という説明でした。
 私がこのテープをWDRの電子音楽スタジオで聴いたときには、まったくもって私の作品(1966年以来いくつものステレオ・コピーを私は所有しています)とは認知できませんでした。ただ完全に歪んだ振動の迷路が私に送られてきただけだったのです。結局、オリジナルのテープ・レコーダーは現在では修復不可能であり、私たちは ---1966年以来のケースと同じように---ステレオ・ヴァージョンを上演しつづけなければならないということです。

電子音楽の製作

 『テレムジーク』は32の構造(モメント)で作曲されています。
 それぞれの音楽的モメントのためには、まず概略的な形式展開がスケッチされ、それからスタジオで、一トラックずつ次々と、音響素材(発振器、テープ・レコーダー再生)から直接に6トラック・テープ上へ製作していきました。この間、それぞれのトラックで満足(音高、リズム、強弱レヴェルなどについて)いくまで消去と録音を繰り返しました。
 大抵の場合、あるトラックあるいはいくつかのトラックから---電子的な音響変換回路を通過させて---さらなる別のトラックを作りました。こうすると次々に製作された各層が時間的に同期したままになるので、作業プロセスのあいだ、ある音楽的モメントの層状の製作過程を、最終的な形からいつもたどり返すことができました。32のモメンテ(持続時間は13秒から144秒の間で変化)は平均して一日一つ製作されました。

使用機材

 ビート・フリーケンシー・オシレーター:2台
 サイン=ウエーヴ・ジェネレーター:3台
 デルタ・ジェネレーター:1台
 ファンクション・ジェネレーター(NHKスタジオ製)<写真>略
 パイロット・フリーケンシー・ジェネレーター付きトランスポージング・テープ・レコーダー:1台 NHKスタジオのトランスポージング・テープ・レコーダーは "41"の設定で38センチ/秒あるいは19センチ/秒のテープ速度(スイッチで切り替え)に相当するパイロット・フリーケンシー・ジェネレーターが組み込みで装備されていました。
 テープ・レコーダー:2台<写真>略
 アンプリチュード・モジュレーター:1台 リニア・アンプリチュード・モジュレーターには信号AとBの二つの入力が装備されていました。出力結果はA+A×B(A×Bは変調済、しかるにAは常に変化することなく通過)。<写真>略
 リング・モジュレーター:2台(同時に使用する場合はA、Bで表示)
 ハイ=パスとロー=パス・フィルター:3台
 3度オクターヴ・フィルター:1台(設定37.5-75-150-300-600-1200-2400-4800-9600Hz)<写真>略
 
 さらに、使用されたさまざまな国の音楽の録音テープは楽譜に記載されています。

寺院楽器

 製作の始めに私は鎌倉で以下の寺院楽器を録音しました:

 寺院     楽器    近似の音高 楽譜でのシンボル
 光則寺    木柾    <譜例>略  <略>
 東慶寺    柝     <譜例>略  <略>
 東慶寺    木魚    <譜例>略  <略>
 東慶寺    リン     <譜例>略  <略>
 東慶寺    磬子   <譜例>略  <略>

 付け加えて、以下の寺院の鐘の録音---NHKアルヒーフ---が使用されており、「KANE」(鐘)と記譜されています。

 東大寺(奈良)       <譜例>略
 高野山(金剛峰寺)大塔   <譜例>略
 高野山(福島正則)     <譜例>略
 方広寺(京都)       <譜例>略
 妙心寺(京都)       <譜例>略

フォルム・スキーム(111ページ参照)

 私は32の構造とその区分の位置を示すために上記の日本の寺院楽器を使用しました。その構造の冒頭部で示されるのは予想される持続時間です:13秒の最も短い構造には最も堅く、ほとんど共鳴しない楽器「鐸」、89秒の最も長い構造には最も長い減衰音の「けいす」(四つの大きな鐘は終了直前を除いた144秒の持続時間を有する部分のみ)。構造29ではさまざまな寺院楽器が聴かれます。

構造29の抜粋

 <譜例>略

 <表>略

 記譜

 1から32は32個の構造の順番です。構造は中断なく連続します。

 IからVIは6トラック・テープ・レコーダ-で使用された六つのトラックを示しています("トラック" と"チャンネル"は同じ意味です)。

 I、IIetc. はトラックIとIIに連続して製作された、ことを意味します。

 I/II/etc. はトラックIとIIが同時である、ことを意味します。

 結果は5トラック版です。6番目のトラックは製作期間中のみ使用されました。あるトラックを他のトラックにコピーするときには、13センチの時間遅延が発生しました(テープ速度38センチ/秒)。この遅延は録音ヘッドと再生ヘッドの間の距離に相当します。

 (a)(b)(c)etc. 各構造での作業プロセスの順序を示します。各構造が完成した後に、暫定的な結果のために使用されたりされなかったりしたトラックはすべて消去されました。この消去は、つねに最後の作業して指定されています。

 →の意味:何かから他の何かへ、例えばII/III/IV/V/VI→トラック2からトラック6までをトラック1にコピー;あるいはV and∽12000HzRingm.→IV:トラックVとサイン波をリング・モジュレーターの二つの入力へ;リング・モジュレーターの出力をトラックIVへ。

 高い周波数と低い周波数に挟まれた空間に、周波数が数値指示なしの線で描かれている場合、それらは線分の空間的な位置に対応したビート・フリーケンシー・オシレーターの近似の設定によって製作されました。(例えば、構造1のI(a)、II(a)、III(a)、IV(a)を参照)

 s=秒数;dB=デシベル値;Hz=ヘルツ値;∽=サイン波;<記号>略=三角波;<記号>略=音量コントロール・フェーダー;HK=エンヴェロープ・カーヴ;Ringm.リング・モジュレーター。

 『テレムジーク』の構造1の作業プロセスは、以下に再現されています(115ページの補注を参照)。

 (a) 表示された∽を、時間遅延<補注3>を伴ってトラックI、II、III、IVへ。指示のとおり。
 (b) 完成したI/II/III/IVのコピーを、二重の時間遅延<補注3>を伴ってVへ。
 (c) Vと∽12000Hzを→リング・モジュレーター(s13-17に開く)へ、それをさらに→IVへ。<補注4>
 (d) IIIの冒頭部に「木鐘」そしてIII(a)を消去。
 (e) VIを消去。

 <譜例 構造1>略

 1、2台のビート・フリーケンシー・オシレーターの出力は並行に回路づけられ、ビート・フリーケンシー・オシレーター・スケールの表示された周波数レンジの範囲内で等間隔に10の周波数が設定されて5つのペアが次の図のように録音されました:<図>略。

 いくつかのトラックが一つのトラック上にコピーされるときはいつも、テープ・ノイズはフィルターで除去されていました。

 2、ビート・フリーケンシー・オシレーターとテープ・レコーダ-の間には回路を開閉するための押しボタン・スイッチがありました:<記号>略。

 3、録音ヘッドと再生ヘッドの間の距離による"時間遅延"(38.1cm/sで13cm)

 4、トラック上に録音(→)するときはいつも、トラック上に事前に録音されていたものはすべて自動的に消去されました。

 構造3では、初めて二重のリング変調(117ページ:V(b)を参照)が行われ、当時私はそれを「雅楽回路」と名付けていました。この回路で最初に変調された音楽が雅楽の「越天楽」だったからです。

 この回路は『テレムジーク』によって私が意図するものを、音楽的・電子的に成し遂げています;"既存の音楽" は最高周波数域12000Hzに移高され(予めロー=パス・フィルターで6000Hz以下をカット・オフ)、それによってこの音楽は加算周波数としての12000~18000Hzと鏡像である減算周波数としての12000~6000Hzに移調されました。その結果はトラック6に弱めて(-10dB)録音されました。

 同時に、しかし、高音域に移高されたテレムジーク(ハイ=パス・フィルターによって6600Hzまでを"処理済 ")は12000HzでのモジュレータBで二度目のリング変調をされて5500Hz以下でロー=パス・フィルターを通過します。この二番目の ---位相が同期している!---結果は、断続的なフェーダーの開放によって5500Hzまでの可聴音域へと下げられ、そしてその高音域の鏡像とミックスされます。そこで本質的なことは、二番目の下方への移高(s22.6からs31.4)で、そこでは12000~11950Hz~再び12000Hzまでの往復グリッサンドが起こっています。私はこの「雅楽回路」を頻繁に使用して、電子音響と「既存音楽」の間で、あるいはある「既存音楽」と別の「既存音楽」の間で、あらゆる種類のリズム的、強弱的、音色的「相互変調」を製作しました。

雅楽「越天楽」

 <譜例>略

 <譜例 構造3>略
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 1 連続的な"トリミング"によって。
 2 116ページの音楽例を参照。(雅楽「越天楽」の譜例)
 3 雅楽のリング変調のためにここで使用された回路を今後は「雅楽回路」と称するつもりです。

構造3について

 Iの(a):3台のサイン=ウエーヴ・ジェネレーターは次のように回路づけられています:

 <回路図>略

 ジェネレーター出力は0dB。
 1番目と3番目の音量コントロール・フェーダーは同レヴェル。
 2番目の音量コントロール・フェーダーは充分に弱めて、650Hzと2500Hzの差音が同じ音量で聴こえるようにする。
 4番目の音量コントロール・フェーダーの合計は-7dB。押しボタン・スイッチと5番目の音量コントロール・フェーダーは8、19、21秒目(ストップ・ウオッチを使用)に0dBとエンヴェロープ・カーヴによって開く。
 II、III、IVは同様に;三つの周波数のうち中間のものは低いレヴェルにそれぞれ設定する。
 8秒目と21秒目の四つのビートは連続してとても速やかに参入します(これはストップ・ウオッチ測定による結果として生じます)。

 (b)雅楽「越天楽」の録音(116ページ:笛単独ではじまる、それから太鼓がアッチェレランドで参入;5秒目から他の楽器の参入がはじまる)は次の回路で二重にリング変調されます:

雅楽回路

 <回路図>略

 (c)VI→Vにコピー(-10dB)、そして20秒の長さの木魚のアッチェレランド(この程度まで録音された)と21.3秒後の追加のビートをこれにミックス。

 (d)VIを消去。

 二つ同時に、別々の「雅楽回路」が行われた構造5での例:トラックIVでのバリの音楽「バリス・バパン」、それに同じくトラックVでのアフリカの音楽「イバニ・サンザ」の二重リング変調。

 (a)5層のサイン波→II、III、IV、V、VI、記述のとおり。
  II/III/IV/V/VI→I、時間遅延を伴う;合計+3dB。

 (b)4層のサイン波→III、IV、V、VI、記述のとおり。III/IV/V/VI→II、時間遅延を伴う;合計0dB。これに一つの「木鐘」のビートを+3dBでIIの冒頭に。

 (c)IIIのための回路:→<回路図>略

 (d)バリの音楽「バリス・バパン」(冒頭の24秒をカット)とリング・モジュレーターAとBのための2×12000Hzサイン波→「雅楽回路」(リング・モジュレーターBの出力は約8Hzのビート)。
  リング・モジュレーターAは絶えず開放、リング・モジュレーターBは唯一断続的に→IV。

 (e)アフリカの音楽「イバニ・サンザ」は(d)と同様;リング・モジュレーターBの出力は約1.5Hzのビート→V。

 (f)IVを消去。

 <譜例 構造5>略

[翻訳:山下修司、監修:清水穣]