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火を焚きなさい

そう、山尾三省は綴った。

幼少期の思い出がない。
ありありと思い出せるのはいつからだろうか?

思えば、あまり考えていなかった。
自分は何が好きで、何が嫌いで、何を心地よく感じるのか?

轢かれたレールを歩いてきた、それに甘んじて。
だからこそ なのか、「責任を取る」ことをしてきた記憶がない気がする。

いや、もしかすると 今がそうなのかもしれない。
______

振り返る、
私は今まで 気づかないうちに何を捨ててきたのだろう ?
押しつけの「常識」をいくつ (同意なく) 聴かされてきただろう ?
多様性、共感、優しさ、理解、好き… って なんだっけ ?

いつまで 私は、繰り返すのだろうか。
次第に乾いていく、
広告やノイズの集積に耐えられなくなっていく、
生活は回らない、
「人生 そんなもんさ」「気晴らしや息抜きって大事だよ」…

私の思考は、感性は、コトバは、、、、
そんな小さな歯車の怒号は、叫びは、
社会の中では ”ワガママ" になってしまう、らしい。

「最大多数の最大幸福」
そんな、語呂のいいキレイな標語を聴かせるよりも
『他者は自己の拡大形態ではない』と教えてほしかった。

「みんな違って、みんな いい」と言って聴かせるより、
『他者を尊重すること』の本当の意味を教えてほしかった。

石ころ 一つない、レールの上は歩き易い。
そもそも 実は自分の足で歩いていない事にすら、気づいていなかった。
だから、レールやカートに不具合が生じた時になって
初めて気づく。あぁ、どうすれば… いいんだっけ?

そのくせ、キレイに笑うことは上手(なのかも。)、、、

ーーー

そんな… まとまらない秋の夜長には、
電気を消して、余計なノイズを断って、虫たちの声に耳を傾ける。
何という名前だろうか ?

詩集『奇跡 ーミラクルー』より 「この世の間違い」にて
長田弘さんは こう綴っていた。

ここからは この世の間違いが はっきり見える

薪を焚べながら、(われわれの…というより)
私の原初の火の傍らで その眺めを望んでみたい。

よし、明日は 長田弘さんの本を借りに行こう

ー筆おきー

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